つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

令和6年4月の創作③写真と短歌とお知らせ。

 

通用することもあれば 通用しないこともある ぼくはただ 背筋を伸ばす

 

 

 

 

 

 

このブログを長らく続けてきましたが、今日を最後に不定期更新にすることを決めました。

 

理由はいくつかあるのですが、大きな要因としては仕事の割合が大幅に増え、ブログのことを考える余裕が吹き飛ばされたことにあります。試行錯誤して4月は続けてきましたが、落ち着くまでは難しいと判断しました。

 

 

自分の意図ややりたいこと、伝えたいことが通用するはずと思ういっぽうで、他人から見れば別の視点で動くため、結果として自分のやりかたは通用しない、ということはよくあります。それは仕方ないのですが、こちらの心情を理解しつつも(それも怪しいが)、その人自身の判断のほうが正しいという観点から判断が下されることも多々あります。相手は議論を歓迎しますが、結論は決まっているため、議論することは不毛に感じますし、それが長い期間の中で何度も繰り返されますと、諦めに変化します。

 

恋愛に言い換えてみれば「振られる」ということなのですが、ぼくは今まで若いころの恋に限らず、仕事等に関しても散々振られてきました。そのうえで自分の納得のいく形に着地させようとしてきましたが、そこも段々と怪しくなってきました。気持ちが切れますと事故(重大なミス)につながりますのでかろうじて持ちこたえてはいますが、いつ意識が飛んでも仕方ない状態です。このような不安定な中では、文章を書くことに集中することはできないと判断しました。

 

 

ぼくはずと傷ついてきました。そして傷つけられてきました。

その経験を踏まえた歩みが、ほんの数か月でも、たった数日でも、納得のいくかたちで体現することが出来たらいいのかなと考えています。

 

 

 

先日も触れましたが、どのような形であれ3,000を超える記事を書くことが出来たのはひとつの自信につながりました。毎日更新に戻すかどうかはわかりませんが、今はここで培ったものを、主に仕事になりますが全振りしていきたいと思います。

 

 

きょうまでこのブログを読んでいただき、ありがとうございました。

 

余裕が出来たときにはまた記事をアップしますので、お付き合いいただければ幸いです。

 

 

読者を含めた皆様のご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

 

令和6年4月20日 青の人 こと とみさわゆうじ

令和6年4月の創作①【短歌】

朝晴れて 昼に曇って 夜は雨 星が見えるのいつになるかな

 

待ち列に 天邪鬼のお児がいて わかる気がして声出しわらう

 

ぜったいに 我が家というわけではないけれど 住み慣れたそこはスーパーホテル

 

小さな画面越しから猫に話しかけるけど 猫はストーブに忙しかった

 

 

 

何をどう言えば伝わるのか。

これを延々と考えることがあります。

 

 

同じ会社内でも、部署が違うと使う言葉も変わってきます。

 

そうすると、同じ意味合いを指す表現でも、「違う」と言われてしまうことがあります。しかし先方もどのように伝えればいいかわからないこともあります。そうすると時間だけが過ぎ、考えるのが面倒になって、簡単な依頼だけを行ってクローズ、なんてことがままあります。

 

伝わる、伝わらないは、どうやら職業をはじめとした「日々の生き方」でずれが生じてくるようです。

 

 

ではこれを解決するにはどうすればいいのでしょうか。

 

いまわかる限りでは「対話を重ねる」「対話を尽くす」くらいしか思い浮かびません。

それが近道なのかどうかはわかりません。とにかくやるしかないのです。

 

最近の人類は根気強くということを忘れつつあります。

感情に走ってしまうとこれまで積み上げてきたものが崩れてしまいます。

 

そうならないように気を付けたいところです。

相手が何を伝えたいのか、じっと耳を傾ける努力をしたいと思います。

時間通りにおえること。

時間通りに仕事を終えることが出来るとなんだか気持ちいい。

心も軽くなる感触を得ることもあります。

それは手元にある仕事がさほど溜まっておらず、切羽詰まってもいないという理由があるからです。

 

反面、仕事が延々と続く、残業続きの時は気持ちが重くなります。

単発の残業であればいいのですが、月末月初や年度末など、処理のオンパレードのときは残業も連荘となります。残業代はきっちり出るのですが、体力はなかなか回復しません。最近残業の連続を経験したのですが、頭のもやもや感がなかなか取れず、すっきりした感覚を得るには週末を潰さなくてはなりませんでした。

 

 

仕事をしているとき、時間内でも残業中でも、脳内に何かが走り回っています。

それは「この仕事を片付ける」ためのエネルギーのようなものですが、かんたんにオンとオフを切り替えられるわけではありません。どうしてもクールダウンの時間が必要なのですが、そこがうまくいかないと翌日の午前中まで引っ張ってしまいます。その連続が続くと疲弊という文字と抱き合ってしまうことになるので、定時で仕事を終えることは必要なのです。

 

 

郵便物などがバンバン届くと思っていた月曜日でしたが、思いのほか余裕をもって過ごすことが出来ました。普段は素早さを求める仕事も、丁寧さを考えることが出来たように、仕事量は人間の性格をいともかんたんに変えてしまいます。これがずっと続けばいいのですが、そうもいきません。また月末という山を超えなくてはならないのです。

 

アップダウンの激しい仕事であっても、身体を慣れさせなくてはなりません。

いまは身体を慣れさせる時期。いまは頭にリズムを叩きこむとき。

残業になったら仕方ない。怒られない程度に、または怒られること止むなしで、自分に仕事のすべてを叩きこむのです。

本日の昼食。

朝から所用で函館市に。

 

用事そのものは短時間で済んだので、とんぼ帰りです。

 

しかし、昼食のことを考えなくてはいけません。

 

どこで食べようか、と悩んでいたのですが、事前に家人と打ち合わせた結果、

 

北海道森町赤井川にある「レストラン山陽」さんに初訪問。

ラムステーキを注文しましたが、美味しかったです。

 

値段はそんなに高くないはずです。

 

近隣にラッキーピエロさんやケルンさんなどの競合店がありますが、ここだって負けてはいません。落ち着ける空間で、大きな窓からは駒ケ岳も見えます。ここで一息つくのも悪くないと思います。

 

 

どうしても地元や函館の飲食店にいきがちなのですが、最近は冒険心が芽生え、いろんなお店の外観を見ては情報を確認しています。その土地にはその土地のうまさがありますので、これからも堪能していきたいと思います。

どこまでいけるか。上を目指せるか。

こういう考えは若いとき限定のような気がしていました。

 

情熱大陸で。ジャズ作曲家の狭間美帆さんの特集をみました。

とても刺激的で、啓発される内容でした。自己啓発本を読むよりもです。

 

挟間さんの言葉には説得力があり、また力がありました。

 

語られる言葉はシンプルでしたが、うなずかせるものがありました。

 

 

 

驚いたことですが、挟間さんは日常のことやツアーに関わることを一人ですべて行うとのこと。多忙な中でそのようなことも行うのは、大変だと思います。

 

しかしそれができる、もしくは実行するというのは、管理能力があるのか、もしくはリズムが整っているかのどちらかなんじゃないかと個人的に考えています。

 

彼女のようにはいきませんが、この番組を見て、自分はどこまでいけるだろうかと考えてしまいました。

 

つまりは、高みに登れるか、ということを考え始めたのです。

 

ひとりで何かを行うには限界がありますが、挟間さんのそれはその限界を意識していないように思えました。それは自己との対話を徹底的に行うことで、納得のいく答えを出すという姿勢がそうさせているのだと思います。

 

果たして、自分にそれができるでしょうか。

 

 

現在、ひとりでの立ち回りでまだどのような行動も定着していません。

そのなかで落ち着かせていくのは、至難のわざだと思っています。

その反面、別な自分は「自分はどこまでやれるか」というのを興味深く見ています。

少し変態的ですが、「自分がこの小さな世界をどこまでコントロールできるか」という野望のようなものを抱きつつあります。

 

これらの展望が叶うまでに体力と思考力がもつかが問題です。

もっと若いときにこのような向上心があればと後悔しているくらいです。

 

ですが、札幌で働いている時にはもうこの気持ちは湧きおこりませんでした。

出世も何も考えなくなったいま、再び何かを目指したいと思えるようになっています。

 

 

倒れるまでというのは表現上よくはありませんが、とことん突き詰めていく意味はあります。

 

ここでどこまでいけるか。どこを目指せるか。

次があるなしに関わらず、ぼくはこの場所で対話を重ねたいと思います。