つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「はじまり」にネガティブな要素は一切ありません。幻想に囚われないように。

昨日の日記では先日受診した特定健診の結果について触れておりますが、現状では特に問題ない「軽度異常」の判断が「血中脂質」の項目で判定されました。

 

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

若い頃であればなんとかなる←アホ と軽く受け流すのかなぁと思いますが、そうは問屋が卸さない。なんてったって齢40ですから。「今」は異常をきたすことがなくても、いつその症状が進行するかはわからないので、このタイミング何らかの対策を講じる必要が出てきました。

 

幸い食事制限などもかかる状態ではないので、特に何かをセーブしつつという流れにならなかったのは本当に幸い。このからだが1日でも元気であるようにしていかなければなりません。

 

これまでわたしが行ってきたことは「健康法」ではなく一種の「治療法」であったため、これまでとは違う視点で取り組まなくてはならないな・・・と思っています。何故なら対策はあくまで「日常」に無理なく組み込むことの出来るものにしたかったからで、何か新しい習い事を始めるといった考えにはなっていませんでした。

 

食事制限はすぐにも取り組むことは出来るのですが、肝心なのは体作り。

かんたんにいうと「ストレッチ」などを含めた「運動」をメインにする必要があり、またそれをひしひしと感じていたのです。

 

そこで出てきた「コレ」を参考にメニューを組んでみることにしたのです。

 

 

 

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 サッカー長友選手の体幹20トレーニング。

DVDつきで1.000円+税とお求めやすい価格。

以前購入していたアイテムの出番がやってきました。

 

出番が~とは言ったものの、まったく使用していないという訳ではなく、この中のいくつかをピックアップしてストレッチを行ってはいたのです。ですが今回は体質改善を含めた大きな改革を行う必要があると感じたので、このトレーニングを自分に合わせたカタチで構成し、習慣づけることにしました。

 

この本を読んでいくと、目的別にメニューが分かれているのがわかります。

その目的は「ダイエット」だったり「腰痛防止」だったりと様々。

「キック力」や「投げる力」など、具体性を持った目的向けのものもあります。

 

その中で選んだのは

「腹をへこませたい」

「ブレない体をつくりたい」

「姿勢をよくしたい」

「疲れにくい体を手に入れたい」

の4点でした。

 

 

 

体を動かすワークは「ストレッチ」「インナーマッスル向けトレーニング」「アウターマッスル向けトレーニング」「連動トレーニング」に分かれており、ストレッチは一連の流れの最後にも行うというもの。まずはそれぞれの目的別に幾つの動作があるのかをカウントしていくと、全部で30動作にも及びました。

 

こんなに多いのか・・・と思いつつ、次はどれだけの時間をかけることになるのかをチェック。左右含めての時間を計測したところ、以外にも時間は20分ほどでした。

最初の内は動作の確認などが入るのでもっと時間はかかるでしょうし、回数を増やしていけば自ずと時間も伸びますが、この段階ではそんなに長くない時間だと感じました。

 

でも注意しなければならないのが「継続できるか」という点。

最初はこのメニューを消化したうえで「多い」「きつい」等と感じた場合はメニューの数を調整していこうと思います。

 

 あ、ちなみにダイエットを外したのは体重が「基準値内」だったから。

けどお腹は出てるんですよねぇ(汗)

なのでダイエット以外の項目で、からだづくりを楽しみます。

 

 

 

こういったことを含め、様々なことがきっかけで何かを「始める」ことは少なくないと思います。それは今回のように運動であったりもするし、習い事や人との出逢いなど様々です。

 

ひとことで言うならそれはまさしく「入り口」であり、それはスタートでもあります。

 

でもそのスタートを歓迎する人もいれば非難する人、我関せずというスタンスを取る人など、その人の「価値観」は様々で、そこで口論になったりと衝突することも少なくないと思います。

 

わたしも個人事業主としてスタートすることを昨年の夏ごろから構想していましたが、知り合いの歴史ある会社の社長に話したところ「新しく仕事を始めるのは大変だよ」と言われました。その方は賛成も非難もしなかったのですが、嬉しい反面、やはり自分で仕事をしていくことの大変さを知っているからか、両手を挙げて・・・とはいかないようです。

 

そして中学時代の友人と飲みに行ったときにも、軌道に乗るまでは他の仕事を何でもいいからするべきだとも言われました。これも非難という訳ではないのですが、その人の価値観に沿った真摯な発言だったと思っています。

 

これは個人的な経験ですが、何か新しいことを始める時、周りから応援する言葉は聞かれなかったように思います。逆に迷惑かけるなよ、とか、俺関係ないからなくらいのことは言われたかもしれません。そう考えると「個人」が新しく何かを「始める」ことに対する反応というのは、あまり喜ばしいことではないのかもしれません。

 

そう考えると、ひとは「批判」「非難」することに対してはなりふり構わず行うのに対し「称賛」「賛同」することに対しては消極的になるという癖を持っている気がしました。そうなってしまった背景には色んな要因が考えられますが、わたしのように個人事業主としてスタート切ることは「常識」や「安定」から外れる行為に捉えられ、あたかも人生を棒に振ることだと断定されがちです。理想よりもお金が大事だとか、青二才が変なこと考えるなとか、世間の常識やその人個人の常識に「勝手に」当てはめ、それは幻想だと責めたてます。

 

その人たちを責めるつもりはないですが、考えていただきたいのは、今働いている会社も、仕事の種類も、どれにも「始まり」はあります。そのどれも、もとは「ひとり」から始められたものだと思いますが、違うでしょうか。

 

いまと昔は違うんじゃボケ!!!という人もいるかもしれませんが、わたしは同じだと断言します。いつの時代も常に「ひとり」から新しいことは始まります。それは仕事にしてもそう、社会問題にしてもそう、そして国際的な問題にしても同じことなのです。

 

常にどこかのシーンにおいて「ひとり」の人が先端・発端をひらくことで事態が動くというケースは今でもあります。それをじぶんの身近なひとが行おうとしているからといって、批判の対象になるというのは本当に筋違いなことであり、恥ずかしいと思ってほしいくらいの気持ちです。若造がとか、資格あるのかとか、女がとか、素人が首を突っ込むなとか、お金がどうだこうだとか、ほんとうにいろいろと言われますし、そこで友人関係や恋人関係、親子関係にもヒビが入ることも。個人的にはそのエネルギーを賛同に向けることが出来たらと思うのですが、多くの人たちはネガティブなことに引っ張られやすいというのが現実のようです。

 

 

 

 

 

それでも。

前に進むひとはいます。それはもう、周りに何を言われようが自分の判断に影響はないと考えているひとです。じぶんの決意や覚悟をちゃんと持っているひとです。

 

そのひとが扉を開け、前へ進む。そこに順調な道など考えてはいないはずです。困難があってこそ気持ちも昂りますし、さらに自分の仕事に磨きをかけます。そのひとにはもはや「リスク」は関係ないと思っていいのかもしれません。リスクは単純に言えば「経験するために必要なこと」でしかなく、成功とか失敗とかの基準ではないのです。

 

やがてそのひとが新しい秩序をもたらしたとき、これまで非難しかしていなかったひとたちは手のひらを反してくるかもしれません。でもそれは失敗という価値観とともにその場から退場するだけです。

 

わたしが個人事業主として仕事をしようと思い至ったのは、もう既存の会社で働ける体ではなくなったと理解したことが理由のひとつです。その後様々な出逢いを果たし、これから展開する事業内容をまとめ、まさしくひとつの扉を開けようとしています。たとえ賛同は出来なくても、見守ってくれるだけでもしてくれれば、大いに安心するのになと感じました。

 

 

 

もっともっとカードに馴染むために再開したリーディング。

 

 

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今日はNo.24「入り口」が出てきました。

 

キーワードは「入り口」「門」「扉」「機会」「うち開く」

 

 

 

わたしたちは、日々いろんなことを「スタート」させています。

そしてそれを継続している方ももちろんいらっしゃいます。

扉を開けた先にある道はその時によって異なってきます。

道のコンディションに一喜一憂するかもしれませんが、それらを含めたすべての設定がじぶんにとって「必要なこと」だと腑に落ちたときには、日々の行為はただ「扉をひらく」だけではなく同時に「可能性をうち開く」ことにつながるのだと信じたい。

 

今朝引いたこのカードに描かれるマンダラの中心に魅せられつつ、涼しい風に体を清められながら、そのようなことを考えていました。

次は体内のガラクタ整理だな(汗)

昨日、撮影に行く前。 

先日受けてきた特定健診の結果が通知されてきました。

 

 郵送で通知されてきた、ということは、緊急での改善は不要ということにつながるのでまずは一安心。あとは開封して詳細の確認をするのみとなりました。

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検査項目はごくごくシンプルなものとしました。

血液検査と尿検査が入っていれば御の字だったので、検診当日も1時間かからないで終了。

 

よって検査結果の内容もごく少数の項目になってしまいましたが、それでも最低限の項目を押さえることが出来るのは嬉しい限りです。

 

検査結果は機能別判定の他に身体計測の項目と血圧、尿検査の項目と血液検査の項目に記載事項がありました。

 

 

 

身体計測の項目を見てみましたが、BMI体脂肪率はともに基準値の範疇に留まり一安心。

腹囲は79.5cmと気になる数字ではあったものの、基準値を超える数値ではありませんでした。

 

 

いや、でも、お腹出ていますからね(笑)

それは、昨日の撮影でも身が染みるほどよくわかりましたから・・・(笑)

撮られているときはさほど気になりませんでしたが、画像を見せていただいたときに、如実にですね・・・わかるんですよ・・・はちきれんばかりのがやつが(笑)

 

 

 

そんな現実を突きつけれられたのもそうなのですが、項目の評価の欄に「A」以外の文字が入っているところがありました。

 

 

それは「血中脂質」。

 

詳細を見ていくと、HDL、LDLコレステロールが基準値よりも高い数値が記載されており、そのため判定はAにならず。

 

 

 

判定は「軽度異常」となりました。

 

 

 

 

一言でいうと、コレステロール摂り過ぎということです。

 

じゃあ、このままいくとどうなるかというのは、以下のページを参照。

 

協会けんぽHP

 https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g4/cat450/sb4502/p016

 

こちらのページを見てもわかるように、このまま対策を講じずに行けば、動脈硬化をもたらし、最終的には心筋梗塞脳梗塞などの重度の疾患を引き起こす原因につながるとのこと。

 

今回の判定は「軽度異常」でしたが、段階が進むと「再検査」⇒「要精検・治療」となり、長期にわたる経過観察が必要になります。今はまだ発症前ではありますが、この結果を「まだ大丈夫でしょ?」と受け止めるか、それとも「生活習慣などを見直すいいチャンス」と捉えるかで、今後の生活に大きく影響を与えるのだと思います。

 

 

家内からは冗談で「余命が・・・」言われましたが、このまま放っておけば現実味を帯びることでしょう。でも「ここから」何かしていけば、変えられるのですから、これはある意味チャンスと捉えるべきなのでしょうね。

 

 

わたしの場合は「運動不足」が切実な問題なので、まずはそこから解消していくことに。

そして「水分」を意識して摂っていこうと思いました。

 

一度にたくさんのことはできませんし、仮にやっても長続きしないと思うので、出来ることからコツコツとやるという具合にやっていく。北海道も過ごしやすい季節を迎えたので、まずは積極的に体を動かすことを意識していきたいと思いました。

 

 

 

この通知が届く前に、歯周病検診のハガキが届きました。

 

40歳にもなると、色んなものが届くんですねぇ。

 

 

 

こちらも近々受診しないといけませんね。

宣材を含めた写真を撮影してもらいます。どきどき!

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目の前に並べられた衣類ですが、長年愛用している衣類の一部になります。

半袖もあり、長袖もあり、ちょっとごちゃごちゃしていますね。

 

このあと「撮影」があり、事前の打ち合わせの中でピックアップした衣類の中からこれらを衣装として使用することになったのです。

 

事前の打ち合わせでは写真を19枚(笑)撮りました。

靴だけで6足ですよ・・・(汗)

 

その他はパンツが7枚、シャツが6枚といったところ。

気候が涼しければ選択の幅は広がったのですが、今の季節に合った服を着たいという想いから、上記のセレクトになりました。

 

 

そこからコーディーネートしていただき、わたしが想像していなかった組み合わせで本日撮影をします。これはもうワクワク以外の何物でもないです。

写真はもともとそれほど撮影することがなく、携帯にカメラがつくようになってからぼちぼちと撮るようになったくらい。後はオークションの商品撮影くらいなもんです(笑)

だからというわけではないですが、自分の写真が古いものしかない・・・ということで、新しい扉を開くべく、今回オーダーしました。

 

 

 

これもわたしにとっては「必要なこと」。

進むだけ。やるだけです。

 

 

 

 

いまのところ札幌は良いお天気。風も心地いいです。

 

しっかり準備を整えて、撮影に臨もうと思います。

ガラクタの向こうには、安定がありますよ。

昨日感じたこと。

 

それは「安定した」ということでした。

 

 

 

ブログ内でも綴っていますが、わたしはガラクタ整理をしています。

そして、ガラクタ整理で仕事をしていこうと思い、個人事業主になりました。

過去に何度か行っていたものの、今年に入ってからの出来事は、ガラクタ整理をして初めて大きな壁にブチ当たりました。

それはもう苦しくて。辛くて。投げ出したくて。

こんな人生じゃったらもうギブアップしてもええわい!

とまで思っていました。

 

 

半べそかいた状態で、再びガラクタ整理を始め、相当打ち込みました。

とことん、自分の持ち物と、初めて自分の心に向き合い、整理を続けました。

 

その結果、自然と出てきた言葉が「安定」でした。

 

 この安定は「ブレない」「揺るがない」といった意味合いの「安定」です。

「安定した仕事」とは、ちょっと意味合いが違います。

 

 

 

今まではこの「安定」に、たくさんのものを積み重ねてきていました。

そうすることで、本来の「重さ」に耐えられなくなってきて、風に揺れるようになったのです。

それが「自信のなさ」や「不安」そして「恐怖」の類になったんだと思います。

 

ガラクタを減らしていくうちに、チキンな心が顔を見せ、駄々をこねるような抵抗をはじめました。それはもう「集中を逸らせる」ことに特化した抵抗です。これまででしたら、途中で面倒になって投げ出して、これまでと変わらぬ生活を送っていたことでしょう。

 

それを今回は、途中で投げ出さすに、やり切りました。

これはもう、自信を持って言うことが出来ます。

 

ずっと前から抱えていた心のしこりを「ガラクタ整理」で取り除くことが出来ました。

結局、自分を癒すことが出来るのは自分でした。それがわかりました。

他(外)に求めても限界があるとわかりました。他(外)に頼っていても、肝心の「自分」が本気でなければ一切の無駄です。それがわかるのとわからないのとでは、大きな違いになるのかもしれません。

 

 

 

そしてひとつ、気がついたことがあります。

 

それは「誰に」言われたか、ではなく「何を」言われたかが重要。

 

以前のわたしは「人」に惑わされ、流されていたことに気がついたのです。

 

  

もちろん「人」は大事です。

でも「落とし穴」でもある、ということなのです。

 

「この人の言うことは信用できる」というのも、限界があるということです。

「この人がいないとだめだ」というのも、限界があるということなのです。

人にこだわり過ぎてしまえば、それがブレーキになったり、ネガティブな感情を増殖させたりするのだと思いました。

 

 

じぶんのこれまでを捨てて、何かに頼ることほど悲しいことはありません。

だって、これまで積み重ねてきたご自身の人生の凄さを一番よく知っているのは、その人自身だからです。

 

いまは何も光が見いだせず、虚無な時間しかないという方でも、これまで生きてきた「歴史」があるなら、必ずそこから抜け出すことが出来る「チャンス」があります。

 

そのチャンスを前にしたときに、怖気づくかもしれません。不安になるかもしれません。希望や期待と一緒に、恐怖も入り混じったわけわかんないことになるかもしれません。邪魔が入るでしょうし、他の誘惑も出てきます。それは何故かというと、気づかせたくない、気がつきたくないという心理が働くからです。そこをするっと抜け出すことが出来たとき、何も不安になることはなかったと知ります。恐怖もないんだとわかります。

 

不安も恐怖も「ガラクタ」でしかありません。

それを整理できたときにこそ、ガラクタ整理についてわかっていること以上の「展開」が、その人の下にやってくるのだと信じています。

 

 

 安定という状態を実感して初めて自分のガラクタ整理がここまで進んだという実感を得ることになりました。今のわたしには不安も恐怖もない。その反対の期待や希望もない。

 

いまあるのは「それが自分の人生にとって必要なこと」のみ。

それがいまの自分にとって必要だと理解したのですから、進むだけです。やるだけです。

 

 

わたしは、すすみます。

わたしは、やります。

 

 

ガラクタ整理を掲げて。オラクルカードを引っ提げて。自然の中に身を置いて。

覚悟とも決意とも違う、力が入っていない、かといってゆったりともしていない自然な姿勢を、いつの間にかとることが出来ていました。

みずからが得た「ゆるぎなさ」は、世間や流行の価値観を吹き飛ばしてくれたかもしれません。

今日は満月だったようで、とても大きいお月様が札幌の空に映えていました。

日中は札幌から離れていたのですが、雲がかかっていたりとまったく違う天気であったため、多少の距離の違いでも如実に天気は変わるんだなと今更ながらに思いました。

 

昨日の日記でも書いたのですが、本格的に仕事をするにあたり、メニュー(オーダー表のようなもの)を作成中です。元々はこの満月の日までに仕上げてリリースするという気持ちがたいへん強かったのですが、周りからのアドバイスがたいへん興味深く(自分の案がいい加減なわけではありません 笑)、まだまだ改良の余地があると思ったため、リリースを延期することにしました。とはいっても延期期間未定にしては意味がないので、2週間ほどをめどに仕上げていこうという気持ちでいます。

 

 

 

ここ数日の心の変容(うつりかわり)を見ていくと、やっと自分の口で言えることがあったりと、他人からの指摘やことばでしかわからなかったことが、ようやくじぶんでその状態に気がつくことができるまでになりました。言葉に出すのはかんたんだと思うのですが、腑に落ちた状態というのと、そこから紡がれた言葉に、とても大きな充実感を得ることが出来ています。またこの気持ちは今までに持ったことのない感じのものであるため、この気持ちを初心として進んでいきたい・・・と思いました。

 

 

 

今日は何度か「ほんとにいいのかい?たいへんだよ?それでもやるの?」という感じの問いかけをもらうことが多かったのですが、それに関しては逡巡する間もなく即答で

 

「やります」「進みます」という返答をしていたわたし。

 

その様子からだけでも、以前とはまったく違う自分がいました。

 

 

 

 

 

先ほど帰宅し、ちょっとカードを引いてみようと思い、お風呂で汗を流した後に1枚。

 

 

 

導かれたカードは

 

 

 

 

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No.3「内観」というカードでした。

 

キーワードは「内省」「内的思考」「熟慮」「思慮」

 

 

 

自分が静かな状態になろうとしているとき、何故か周りはそれを乱そうとすることがあります。それはちょっかいを出すレベルであったりもするし、度を越えたものになることもあります。それはまるで、興味を自分自身から逸らせて、目的を見失わせるためのようにも感じます。

 

 

この場合の「静かにする」のいち方法としては「集中する」というのがあるのですが、特に「こうやるんだ」というかたちで教わることはほぼないため、どうしていいかわからないまま静かになろうと試み、周りからのちょっかいで早々に諦めてしまう、といったことを、これまでに何度も繰り返してきたように思います。

 

でも一度、静かにするためのコツを覚えてしまえば、周りのちょっかいも騒音も、気にならなくなります。周りが気にならなくなり、自分自身にフォーカスを当てることができたときにはじめて、無意識に、かつ、ひた隠しにしていたものが垣間見えるのだと思っています。

 

 

 

わたしがいま作成している文書も、思慮を重ねながら進めているものです。

あれこれ考えるとともに、どうすれば喜んでもらえるかといったことなどを自問自答しながら、書いては消し、ということを繰り返しています。

 

周りはヒントを与えてくれますが、決して解決はしてくれないと思います。

そこに依存をしてしまっては、結局は自分が完成しないまま、人生を終えてしまうことになるからです。

 

自分に課せられた課題の解決方法は、実は自分がいちばんよく知っている。

 

 

 

そこに気がつくまではとても険しく長い道のりですが、迷わずに進めば、自分が自分に対して「教えてくれる」時期が来るのだろうと思っています。

ふいに訪れた発見が、とても大きな気づきを伝えてくれました。

きょうは以前にお誘いいただいていた、いけばなの展示を見に行ってきました。実は過去に1度だけお花をいけたことがあり、それがご縁で展示会に招待していただいています。

 

展示会場は札幌駅付近であったのですが、昨夜から天候はぐずついており、外もなんだか蒸し暑い様子。じとじとするのはやだなーとか思いながら、その他の予定を組み込んで外出することにしました。

 

 

出掛ける前に実は思ったことがあって、地下鉄で会場まで行くにはおよそ30分が目安。それってちょっとなーと思ったのです。いつもであればそれくらいの時間はなんてことないのですが、今日の天候がそういう気分にさせたのか、何だか地下鉄で行く気がしなかったのです。じゃあ、何で行くの?となった時に思いついたのが、このところ利用しなくなったバスでした。

 

現在の主な移動手段が車と地下鉄中心の生活になってしまったため、バスという選択肢がすっぽり抜けてしまっていたのが本音で、手段としてはあまり乗り気のしないものでした。

 

その視点が変わったのは去年そして今年の前半と頻繁に上京していたときで「都バス」を利用したことがきっかけでその価値観が変わりました。移動時間はかかるけど、循環バスだったら運賃は下手したら一番安いのです。そんな大発見(笑)をしたのちに札幌でもいくつかの路線でバスを利用したことから、今回の選択になりました。

 

路線はJRバスが運行するもので、北5条通りから札幌駅へ向かうバスへ。

このバスは循環であるため、地下鉄の運賃よりも結果安く札幌駅へ行くことが出来ました。

そんな軽い冒険をしつつ、いけばなの会場に足を運んだのです。

 

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伝統。

 

 

展示会場はそれぞれのテーマ別にいけばなが展示されており「器」にフォーカスしたものや「伝統」を重んじたものなど、素人のわたしか見れば「攻めてる」感じがします。しかもロビーや会場の壁には「レリーフ」も飾られており、これはもうフラワーアレンジじゃあないのかと困惑(本人は違いがわかっておりません)。

 

それでもいけてあるお花の華やかさや静謐さ、凛とした作品を見ていくと、伝え方には限界だとか、一定の枠のようなものはないんだなと教えてもらいました。

 

強烈に印象に残ったのは、展示の中にあった「器」。

いけばなでは花器(かき)を使っていけるというのがセオリーだと思っていたのですが・・・

 

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おどろき!(おそらく卵の容器をうつわにしてます)

 

 

ここで花器として使われていたのはほんとうに様々で、かばんがあったり、わっぱがあったり、写真にもあるりんごの木箱があったりと、お花も素敵なのですが花器にも目を奪われてしまったりと大層忙しい結果に。それでも、いけばなの楽しさが伝わればという想いが込められてのことなんだろうなと考えながら、その衝撃に包まれていました。

 

 

 

その後はJRタワーの展望台へ。普段は平日、しかも天気のよい時を選んでいくのですが、この日は何故か「曇りでもいいんでないかい」という気持ちになっており、いつもと違う自分がちょこちょこ顔を出していました。

 

展望スペースから外を眺めてみるとやはり厚い雲に空は覆われており、藻岩山にもかかるほどの天気。どんよりした天気ではありましたが、しずかな空間が出来ていたので結果オーライ。軽食を注文してデスクワークにいそしみました。

 

デスクワークはガラクタ整理とオラクルカードのメニュー作成で、友人のアドバイスをもとに赤ペン入れ。そのアドバイスの内容も自分では思いつかないことであり、そしてとてもいい刺激になったのはたいへん嬉しいことでした。

 

 

 

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そんな流れで過ごした時間の中で思ったことは

「伝える 伝わるは ルールの向こうに」ということでした。

 

このセリフは最近見ているテレビアニメ「ちはやふる」という作品で出てくるものですが、それがとても心に残っていました。

 

 

 

伝えることも、伝わることも、自分で意図した通りにいくとは限らないと思います。

いや、意図した通りに仕組むことは可能だと思いますが、果たしてそれが本当に伝えたかったこと、伝わるものかと言えば、それがすべてではないような気がします。

 

 

 

人間の考えなど「その程度」という訳ではありませんが、考えが加わるからこそ自然とわたしたちは「枠」を創ってしまいます。その枠は「自我」と同様で、それに固執してしまったり、囚われてしまったりすれば、それは自分が想定したこととは違う、悲しい展開を生んでしまうかもしれません。

 

わたしも自分の考えに「囚われたまま」メニューを作成したとして、結果お客さんは来るかもしれませんが、その反響は「限定的」になったのではと想像しています。こうして自分の外側から色んな刺激、言葉にならない言葉をもらうことで、もう少し時間をかけてでも、よりよいものを創っていこうという励みになりました。

自分の人生に必要なことに「成功」も「失敗」も、ないんだ。

連日、正式にリリースするメニューを作成しています。

数か月前では考えもしなかったことを、いま自分の手で動かそうとしています。

メニューは一応完成し、何人かの方に見ていただいているところですが、それに合わせてこさえたい資料があるな・・・などと思いつきつつ、まずは地道な作業に取り組んでいます。

 

 

 

自分で動く。

 

 

 

4月の段階では、まだまだそこまで考えは至っていませんでした。

 

その及び腰な姿勢をぶっ壊し(笑)、前に出ようと思うようになったのは、まぎれもなく4月のイベント中に経験したことが礎になります。それはわたしにとってはとぉ~っても辛く、とぉぉ~っても苦しい経験でしたが、当時のわたしが感じた「成功」とはほど遠い経験が、結果としてわたしの今後のためには「よかった」のです。

 

当時はどうしてだ、なんでだ、こんなに頑張ったのにと呪いのように(笑)ブツクサと腐っていたわたしでしたが、ようやくあの時のことが腑に落ち、憑き物が落ちたような感覚になりました。それはまるで凝り固まった「先入観」や「トラウマ」そして「これまでの経験」に囚われていた「心」や「魂」といったものが「解放」されたような感覚です。それは一気に解き放たれるという感覚ではなく、気がつけばというのが本音で、これは決して自分以外の存在がやってくれたということにはなりません。

 

 

 

成功体験というか、自分の自信につながる経験を積み重ねていくことはもちろん大切です。それがあってこそ、大きな一歩を踏み出せると思います。かといって、失敗は不要だとは思わないのです。それはごく当たり前のことなのかもしれませんが、実際に経験してみるとわかるのですが、実際は誰も「失敗はしたくない」と考えています。よって「頭で考えていることはまた別のこと」になりがちで、実際の経験を軽視してしまう傾向があるように思います。

 

あの時のことは果たして「失敗」であったのか。

それをどのように判断するかは人それぞれで、その人なりの価値基準があります。

わたしは当時、あの時のことは「失敗」というネガティブなイメージを持っていました。

それが今では、ネガティブなイメージがなくなっています。どうしてそうなったかと言えば、ガラクタ整理と同時に心の整理を行ったから、としか言えません。

 

 

 

あの時の出来事からも継続して続けていたからこそ、自分の力で一皮剝くことが出来たのだろうとしみじみ感じています。

 

 

 

痛みがわかる。

苦しみがわかる。

辛さがわかる。

失敗がわかる。

ネガティブがわかる。

それを経験している。

 

 

 

それがあったからこそ、自らを鍛え、そして自信がつき、いろんなものが好転していったのだと言えます。

 

 

 

ガラクタ整理をするとよい展開が訪れると、師匠である竹内さんが言っていましたが、わたしに訪れたのは「仕事」といった目に見える変化ではなく、実は生きていくうえですごい大切な「心」の変容であったと思います。

 

人生に必要な経験の中には「失敗」も含まれています。それを意識せずにというのは難しい話ですが「成功」も「失敗」ももともとは「ない」ものと考えることで、少しは気が楽になるのかなと思いつつ、また明日から頑張ろうという気持ちになりました。

世界は変わる。世界が変わる。その基準は「わたし自身」だと気づきました。

昨日の朝、そして今朝と、とてもいい空間が出来ていた時間帯がありましたので、じっくりと、ゆったりと瞑想を行いました。瞑想も長い時間出来ることもあれば、短時間で終わってしまうこともあり、時間の長短の差があります。それでもやらないよりはかなりましで、感覚的な話ではあるのですが、やはり集中力が持続する気がします。昨日今日とワードを立ち上げて書類をせっせと作成しているのですが、思いのほか集中が切れることはなく、比較的スムーズに進めることが出来ています(それでも、どう表現していいか悩み、手が止まることはしばしばあります 笑 )。

 

 

 

先週末から今週にかけては来客があったりこちらから出掛けたりと、久々に忙しく動いていました。そこから得る刺激であったり、肌に感じる季節の爽やかさであったりと、動くことの大切さを実感しながら過ごしていました。

 

こころも少しずつではありますが軽くなり、または抜けてきたりというのを実感しながら、次の自分はどんなことで展開を起こしていこうかというワクワク感を持った妄想が出来ています。以前であればそれを頭のなかだけで完結させていた、または終息させていたのですが、それをアウトプット(現実化)していくことで、前を向いてどんどん刺激的に展開していこうという気持ちに切り替わりました。現在はせっせと書類を作成しており、今月の満月の日(20日)あたりにリリースしたいと思って情熱を燃やしています。リリースするのは「ガラクタ整理」と「オラクルカードリーディング」の2種類。いま自信を持って提供できるこの2つで、わたしは前へ出ます。

 

 

 

そんな想いを抱きながら、またまた久方ぶりにカードを引きました。

 

出てきたカードは「高次元」。

 

 

解説には「人の波動は信じることと行動によって決まってきます」という一文がありました。これまでにも何度かこのカードを引いているのですが、この文章ばかりが目に入って仕方ありませんでした。

 

ネガティブなときはやはり自分を信じることもできませんし、その行動も縮小されてきます。そして自虐的で物事に対して斜めから見、さもわかっているかのように夢と情熱を否定してしまいがちです。

 

ポジティブなときは何より自分を好きでいます。確固たる根拠はあったりなかったりはしますが、幅広く行動することでもたらされる恩恵を素直に受け取ることが出来ます。良いことで悪いことであれ、それをそのまま受け容れることが出来たりできます。

 

その大きな違いは「解釈」にありますが、そこに大きく「メンタル」が影響しています。

ネガティブな人、ポジティブな人それぞれに同じことが起きたとしても、受け止め方や解釈の仕方は大きくことなります。ひとつの事実に対して見方が180度変わることがこの世には現実にあります。それに大きく関わるひとつの事項として、他者と関わることがあるように感じます。コミュニケーションは対面よりも、対面しなくても済ませることが出来るツールへの移行が急激に進みました。文字だけが見える他者とのやりとりが中心になることで、対面で培われていたとても重要な要素が欠如します。

 

 

 

この現代は「ひとりでも生きていける時代」だと表現されています。

他者との関わりを持たなくても生活は出来るということですが、それを求める人が多くなる一方で、改善しなくてはならない物事をそのまま放置してしまう流れが急激になりました。個人の感情よりも現実問題を重視し、目を背けながら日々生きていくことで果たしてほんとうに自分を好きになれるのか?たとえなれたとしても、それは何かにフタをした上に立っているだけのことなんだろうと思います。

 

 

わたしたちは兎角「考える」ことを頻繁に行っていますが、それと同じくらい「感じる」ことを行っているでしょうか?もしどちらかに偏っていたなら、少しずつでももう片方への意識を強めていくことが、一番いいことだと思います。そうすることで、世界はぐっとわたしたちの味方になってくれるのではと思っています。

 

 

「道の真ん中に真実はある」

 

 

昨夜見た映画のセリフですが、そのことばにうなずきながら、満月の日に向けて作成を進めていきたいと思います。