つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

跡を濁さぬように。

函館、すっかり雪が少なくなりました。

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現場の倉庫のドアを開けると、あたたかい陽射しが入っていました。

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ここでの仕事も、残りわずかとなりました。
きょうあたりは、少し感慨深かったかな。
残りもしっかり仕事をしていきたいと思います。


出張になりますと食事に困ります。
コンビニで済ませるのはなんだかちょっと違う。

そのため、日々お店の開拓を行ってます。


ローテーションで回るお店もあるなか、新規で行くお店も着実に行ってます。

今週は



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年季の入ったお店であんかけ焼きそば。
結構盛りが多い。



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代表メニューの中華そば。
不思議と安心する味でした。




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大門という区画?の一角にあるお店で

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なつかしラーメンと餃子。


とまぁ、ずれはあるもののメニューに偏りが出ないように気を付けています。あとは水分もしっかりとるように心がけています。


どのような場面でも、食事に気をつかうのはとても大切なことです。長い付き合いをするからだなのですから、今が良ければでは長くはもちません。どっかこっかは衰えてくるのですから、そこを認めた上で意識を向けていかなくてはならないと思います。






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この仕事をしてから、軍手がかなりすり減り、ボロボロに近い状態になってきました。それだけこの手を動かしていたんだなと、両手を見つめながらふと思いにふけりました。

昨年秋から短期の仕事に出ましたが、いずれも無我夢中に取り組んでいた気がします。軍手のへたり具合が、努力を続けてきた結果を教えてくれているようです。体力も、そして筋肉も少しはつきました。きつさを感じることもありましたが、ここまで続けることができたのは幸いです。


来月からは、まったく新しい環境でスタートを切ることになります。そのための準備も、しっかり行っていきます。

逃がすでは決して、ない。

当たりました。



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コンビニでのど飴とビール(組み合わせは無視してください)を購入したところ、店員さんからレシートを見せられ、「当たってますよ」との一言。


思わず

「まじっすか」

と言ってしまい、それを聞いた店員さんも

「まじっす」

と返していました。


聞くところによると、キャンペーンなどではなく、ポイントカードの情報などからランダムに当たるそう。ここのコンビニはよく当たりが出るんですよと仰っていました。



こんなささやかなよいこともあれば、たいそう残念を感じることもある。

ホテルの部屋に戻り、加湿器などの空調を稼働させてしばらくすると、どこからか人の話し声が聞こえてきました。

ホテルの部屋の壁はそんなに薄くはないはず。
また外国人観光客が大声で話をしてるのかーと思いきや、聞こえてきたのは日本語でした。


壁に耳を当てて 笑 みますと、どうやらお怒りの様子で、営業がどうのこうのとかなり興奮していました。しかも、その会話はかなり長く続いていたので、話し相手のかたが気の毒に感じました。


現在職場で、社員さんに
「とみーは会社で怒ったことがある?」
と聞かれたことがあります。

この答えは「まず怒らない」。
自分でも驚くくらい、怒りません。



理由はかんたん。
怒らないと相手の何かを指摘できないのか?の一点。
そこに必要性を感じなければ、まず怒りません。

逆に、怒らなければならないと感じて怒ることもあります。以前の仕事ですが、始業前にパソコンを立ち上げて必要なファイルなどを開くという作業があるのですが、研修を受けたにも関わらずそれを実行しない人がいました。それだけなら怒ることもないのですが、決め手となったのはその人の業務態度。そこが最悪だったのです。つまりは自分でフォローせずにだらだらと仕事をしていたことを確認し、声をあげて怒りました。



ときには諭すように。
ときには叱るように。
ぐらいがちょうどいいのではないでしょうか。

怒りというのはハードパワーであり、一説には運気が逃げると言われています。そのため、どんなことにもありがとうと感謝の言葉をつかうように努めたり、どんなシーンでも笑顔を崩さないといったムーブメントがあるようです。

やりたいことはわかるのですが、正直無理があるし、よそよそしさしか感じません。その笑顔も、感謝の言葉も、ほんものには見えないのではないかと感じています。

もし上記のようなことを実践するならば、わざわざルールを決めることなく、日常生活の中で見いだしていくべきなのです。でなければ、怒りや笑顔がもたらすところの意味はわからないままなのではと思います。

ぼくも年齢を重ねますと、感情的になりがちな面が出てきます。そのときに、その感情を飲み込むような感じで一度沈め、自分を静かにさせるように気を付けています。感情的になったら負け、といったイメージがあるためです。

ネガティブなエネルギーに包まれたとき、運気は「逃げる」のではなく、自分の責任で「逃がす」のだと思います。誰のせいでもありません。責任転嫁をすれば尚更運気を「逃がす」ことにつながります。そうならないためにも、ただそれを避けるのではなく、学んで理解していくことが大事なのだと思います。



きょうの函館はとても春めいた1日でした。
雲ひとつない青空を眺めることができ、清々しさを感じました。

また移動中に五稜郭タワーの近くを通りました。




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めっちゃでかい建物でした。



きょう1日で起きた偶然の出来事が、目を背けないことの大切さを教えてくれました

不安や弱音が物語るもの。

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先週の函館の路面はこんな状況でしたが、今週に入ってかなり雪融けが進んだようで、雪山がかなり小さくなっていました。

 

きょうは少し遅くまで残業していて、仕事を終えて外に出てみると何だか暖かい。体感では昼よりも気温がある感覚です。

道路も雪融け水が流れているためか、あちこち広範囲で濡れていました。一度暖かさが来ますと、この勢いは止まりませんね。

 

函館の春は、もうそこまで来ています。

 

 

少ない時間ではありますが、函館ならではのものを買って楽しんでいます。

 

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このビールはアルコール度数が高かった。

飲んで驚きました(笑)

 

 

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函館でまさかのスパカツ。

 

 

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パキスタンカレー屋の限定メニュー。

 

 

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で、先の日記にも紹介した、なかなかお目にかかれない場をつくりあげているラーメン屋さん。この日はネギ味噌。

 

 

ふと振り替えると、函館に一ヶ月以上通っていました。ただ自由行動ができるあいだにお土産などを探すのはちょっとたいへん。

函館の奥深さを噛み締めつつ、きょうも元気に働いています。

 

 

 


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のせていたかも?定食屋で本日のおすすめ

 

 


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そして昭和五十五年開業の洋食屋さんでランチメニュー「ビジネス」をいただく。

 

 

それぞれの土地の特色といいますか、魅力がやはりあります。観光では見つけられない奥深さを感じながら、街の魅力に関して考えていました。

 

 

この時期、新しい土地に向けて旅立つかたが多いと思います。また、新しい土地に来てからひとつの節目を迎えるかたもいらっしゃると思います。

 

慣れない土地ですと、不安や弱音がどこからか滲み出てきます。ダメだとわかっていても、ついつい出してしまい、ネガティブな空気を引き寄せてしまいがちです。

 

気をつけたいのは、考えすぎないこと。

先を考えるには、限界があります。

その限界を超えてまで考えようとしますと、解決するすべがないと絶望的になってしまいます。

 

だから、そこそこに考えて、とりあえずやってみる。

そうすると、さっきの考えていることは一度リセットされます。少し先に進んだ状態で、改めて考えることができます。それを繰り返すことができれば、きっと弱音や不安は消えていくと考えます。

 

 

出張中は何を食べるか常に考えています。

考えすぎてしまいますと昼休みの時間がなくなってしまいますので、それこそ時間との勝負になります。くだらないことですが、身近なことに置き換えてみてみると、わかりやすさがアップします。

 

考えることは理解すること。

考えることはどうするかを決めること。

考えることは動くこと。

考えることは生きること。

 

世間は年度末に向けて多忙の一途を辿っています。その中でも自分自身にとって大事なことを忘れずにいて、必要なときには少し考える意識を持ちましょう。

 

流されては、やはりだめなのです。

 

 

「慣れ」という呪い。

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週末、苫小牧市千歳市に向かいました。

 

本来は1週間前に行くはずだったのですが、荒天が影響して延期にしていました。

 

この日はとても春らしい天気に。

お陰さまで、無事に用事を済ませることができました。

 

 

 

 

 

毎週末ですが、現在のところふたつみっつほど予定が入っており、忙しく過ごしています。

金曜の夜から月曜の朝までのあいだが自宅でゆっくりする時間なのですが、仕事とは違った忙しさに包まれています。

 

この背景をしっかりと書きたいのですが、なかなか書けないでいます。ただ、書かなければならないことなので、後日しっかりとお伝えしたいと思います。

 

 

移動には札樽自動車道道央自動車道を使ったのですが、おまわりさんがシートベルト等の取り締まりを行っていました。春の交通安全運動は少し先になりますが、路面が見えてくると自然に走行スピードもあがります。そこには注意していかなくてはなりません。

 

 

というのも、雪があった頃と比べて明らかに周りの車のスピードが速かったと実感したからです。

 

追い越し車線に出て走行していますと、雪が多かった頃のスピードとは明らかに速いスピードを出していました。通行車線に戻りましても、追い越し車線をビュンビュンと走り抜けていく車輌を何台も見ました。

 

 

 

 

運転しながらこの光景を見ていて思ったのは、慣れほど怖いものはない、ということ。

慣れるとは自信につながりますが、同時に過信の布石になります。ここまで出来たのだから、次はこれくらいやっても平気だろうという曖昧な想いが実は予想以上に危険な状況を招くことになります。

 

走行中ですが、反対車線で覆面車輌がサイレンを鳴らして走っていたことから、この日は「逸る」気持ちが先行しすぎていたのかもしれません。この気持ちの集合体は何も高速道路上のことだけではなく、あらゆる範囲でも言えることです。明らかに「こうだろ!」と言えることでも、先を急ぎすぎることで満足な結果が得られなくなることもあります。何かとああだこうだと言いたいところではありますが、まず何をして行くことが大事かを考えていく必要があります。正義感も正論も、感情だけで動かしてはだめなときがあることを知っていくことができればなと思っています。

 

 

北海道の冬の自動車による事故件数は、昨年と比べると明らかに多いそうです。事故を減らすには制度の整備はもちろんですが、運転者側と歩行者側の両方における意識の変化が不可欠です。どちらか一方だけでは、だめです。

 

 

 

ついつい考え事をしてしまいますが、これが原動力の源泉になっています。これからも素朴なことでも、色んな角度から見ていくことができればいいなと思いました。

 

 

 

 

苫小牧の用事が済んで、アウトレットパークに寄って、おなじみの店に顔を出して。

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自分には顔を出したいところがあるんだ!というちょっとした何かを実感していました。

苦しさから逃げないように

 
「忘れぬものか」と想うことがある

 

 

 

人生には忘れていくことも必要なことだと誰かが言ったが

 

いまの「忘れる」という作用は なんだか「自分に不要なものや関わり合いたくないもの」だけに集中しているような気がする

 

忘れていかないと人は生きていけないとほかの誰かが言った

しかしそれは忘れることで自分の恥を隠すような行為に似ていると思った

 

ある人はこう言うだろう

「おまえのせいでせっかく忘れていたことを思い出したじゃないか」と

 

またある人はこう言うだろう

「忘れていかないと前に進めないから」と

 

そのどれもが

自分は決して悪くないのだと言い訳しているように聞こえる

 

 

 

 

 

生きていく中では

 

忘れていくことも大事なことはある

 

けど

 

忘れてはいけないほど大事なものだってある

 

それをどのような基準で更新しているか

 

いまこの時期に 胸に手をあてて考える

 

 

 

 

 

ぼくもこの先 少しずつ忘れていくことだろう

けど 忘れてなるものかと思うものは たとえ苦しみを伴うものであっても

この中に留めておきたい

 

それがたとえ 死を誘うほどのものであっても

整理棚からひとつかみ。 ジャズ編 その139

 

Songbook / noon

 

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VICJ-61615


1.Time after time
2.Just the way you are
3.Love
4.I've never been to me
5.I'll stand by you
6.You are the sunshine of my life
7.Englishman in New York
8.You are not alone
9.Your song
10.Desperado
11.In my life

 


parsonel

noon(vo)
秋田慎治(p)
富永寛之(g,ukulele)
バカボン鈴木(b)
平石カツミ(b)
黒川修(b)
安ヵ川大樹(b)
藤井摂(ds)
加納樹麻(ds)
木村純士(ds)
大槻"kalta"英宣(ds)
黄啓傑(cor)
鈴木央紹(ss,ts)


「ソングブック」というタイトルのアルバムは、彼女に限らず数多くのアーティストが使い、発表しています。
スタンダードでありながら洗練された、また心のよりどころでありながらも奮い立たせる、様々なメッセージを込めてくれています。
noonが発する今回のアルバムは、ポップスジャズにアレンジし、そしてカヴァーしたもの。
絵本のようなライナーの表紙にも、注目です。

あの日。

きょうといういちにちは これまですごしたすべてのひだ

 

 

おはようございます

こんにちは

こんばんわ

おやすみなさい

さようなら

 

いただきます

ごちそうさま

 

すき

きらい

あいしてる

 

ありがとうごめんなさい

おねがいします

 

ほかにもいろいろあるけれど

 

たくさんのことがあって きょうのいちにちがある

 

 

そのことを どうかわすれないでね

 

あしたといういちにちも きょうといういちにちがあるんだから

 

 

 

 

 

 

 

きょうといういちにちは これまですごしたすべてのひだ

 

 

 

 

それぞれの融けかた。

ここ数日の函館。
雪融けが進んでいます。

全国ニュースでも流れているとおり、北海道は大雨の様相となっているとともに、強い風が吹くようになりました。



さまざまな現場を移動しているのですが、室内にいたときに雪融けの水が屋根から滴り落ちる音を聴き、二重窓のひとつを開けて見たところ、このような光景が飛び込んできました。



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なんとまぁ、立派な。
確かせっぴといったかな。
ここまでせり出ているのは珍しいです。

撮影した場所は人が歩く場所ではなかったので、このまま下に落ちていくのだと思います。が、気をつけたいのはこの時期の除雪。特に屋根の雪降ろしです。この時期は雪が一気に下に落ちる傾向があります。一歩間違えれば雪崩のような状況に呑み込まれる可能性があります。



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これの下敷きになったら、ひとたまりもないことを注意しておきたいです。


雪融けが進むなか、各地では除排雪が滞っている状況にやきもきしている地域も出てきました。雪も、そして雨も、例年より多くなっているようで、日頃普通に生活ができることのありがたみを感じます。

函館の主要道路はおおよそ雪が融けていますが、一本細い道を入りますと、アスファルトと氷の凸凹路面などが姿を表します。こうなると普通に通行することも難しくなりますので、春が訪れてきているのはごく一部に感じました。




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雪融けという言葉は、季節の変わり目のときに使われるほか、心境の変化という意味でも用いられることがあります。



今週末、3月11日を迎えます。
報道番組を見ていますと、あの日の記憶と、それからの生活などを特集として放送していました。

ぼくが見た特集ですが、この春高校を卒業し、震災で亡くなってしまったお母さんと同じ職業に就くことが決まっている方のインタビューが流れていました。

その中で驚いたことがありました。
その方は自分がまだ小学生の頃、亡くなってしまったお母さん宛に手紙を書いたそうです。その手紙の一文にこのようなことが書かれていました。


「つなみをうらまない」


当時としては、この言葉を出すのはとても難しいことではないかと思います。正直、無理やり引き出したもののように印象が残ります。

反面、この決意と覚悟はすごいものがあります。ひとつの悟りのように感じました。理解しているしていないではなく、どこかでそれが最適で最善だと辿り着いたのでしょうか。見ていて、とても立派になられたと感じました。



あのような大災害で大きなダメージを受けますと、恨みといいますか、負のエネルギーは際限なく溢れだしますが、実は人間関係や仕事などに関しても、同じような状況になることはあります。何かを恨むとき、人間はとても感情的になります。論理は通用しません。そういう人に限って「それはわかってる」と言うことでしょう。ぼくもその台詞は散々聴いてきましたが、結局は何もわかってはいませんでした。

少し変な言い方にはなりますが、恨むことを肯定するとして、どうして恨むことがいいのか、それをしっかりと説明することはできるのでしょうか。

それができなければ、恨むこともほかのことも、やめたほうがいいのではと感じました。


恨むことというのは、強硬な姿勢です。そうなると、雪も氷もしぶとく残ります。

反面、柔和な姿勢だとどうでしょうか。同じ状況であったとしても、捉え方は変わります。
捉え方が変わると、その後の展開も変わります。柔和なほうが、その「先」があることを知っていかなくてはと思います。

もし、いま。
どこかで頑固になっていることがあるならば。

どうすれば融けるかを、考えてみてください。
きっかけは、無駄にはなりません。
展開が訪れれば、頑固であったことも、すべて意味のあることだったのだと府に落ちる瞬間が訪れることを、確信しています。