つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

おかしくなった? 成長した? ちょっとした戸惑いがありまして。

季節が春から夏に変わりつつある中、最近これまでとは違う感覚が体の中を駆け巡ります。

 

 

 

 

 

 

 

それはいろんないきものが一斉に「溢れる生命」をアピールしてきて、わたしもそのテンションに巻き込まれるという感覚です。

 

 

寒かった冬からあたたかい春、そして夏へと季節が変わると、解放感のようなものが出てくるように、じっと堪えてきたものがここで一気に放出されていく様を全身で感じています。

 

 

 

 

 

どこか特別な場所へ出かけた、という訳ではありません。

 

自宅の近所や外出先などで、たくさんのエネルギーがぼくをつんつんしてきます(笑)

 

 

 

 

 

そんな感覚を「怖い」とか「怪しい」と言う人もいるかもしれませんが

それはわたしたちが元々持っていた感覚のように思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

野菜であれ果物であれ、お肉であれお魚であれ

 

わたしたちは常々「いのち」をいただいています。

 

ほかの「いのち」を取り込むこと。

 

 

 

いろんな言い方があるかと思いますが、食べ物は単なる「食べ物」ではないということを、これから先のわたしたちは忘れてはいけない気がします。

 

 

 

 

 

にんげんは他のいきものに救われ、感化され、影響を受けています。

 

そこに絶望を見ることもあるかもしれませんが、希望も介在していることを忘れてはなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ数日の夏の陽気にあたってきましたが、じぶんの周りにあるものすべてから背中を押された気がします。

 

それは、凝り固めて永らく持ち続けていた「エゴ」が、勝手にじぶんから離れていった結果、やっとシンプルに、そしてストレートに、ぼくの中へ届けられたのかなーと、じわりじわり感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちはときに孤独になるとき「わたしは独りだ」と絶望し嘆くことがあります。

数年前、わたしは毎晩お酒を呑んでは理由もなく号泣しました。嗚咽も漏らしました。

物事や人生を悲観しては、ただただ枯れない涙を流し続けた思い出があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたしはひとりじゃない」

 

 

 

ということばのほんとうの意味をそれぞれが感じることは、やはり難しいことだと思います。

 

 

 

でも

 

 

 

気づきがひとつでもあるだけで、地獄が一瞬にして天国へと変わります。

そのプロセスは、まさしく「証」。です。

 

 

 

それは、特定の「誰か」にだけもたらされるものではありません。

 

 

 

 

わたしのようなダメ人間ですら、気づきを得ることができたのですから。

 

 

 

 

 

 

あなたにだって、できるはず。

 

あなたにも、できますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

原動力。

 

意外にもそれは「ケーキひと切れぶん」のきっかけだったりしますから。