つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

遠回りでも実は理想的なルートだったりする。寄り道も立派で必要な経験です。

ここまでブログの記事を毎日更新していますが、それと並行してイベント用のチラシを製作しています。

 

そのチラシも今日までに完成し、先方のチェックも無事に通りまずはひと安心しているところです。

 

 

 

 

自分が何を「軸」として仕事をしていこうか、実は何度か悩んだことがあります。

 

カウンセリングを主体とした仕事など「こころがつらい状態」を改善する仕事をしたいとも考えたことがあります。

 

 

ですが結局は、まったく違うものを仕事の「軸」としました。

 

 

これは自分でも想像していなかったことですが、まさしく「これまでの経験は無駄にはならない」という流れでした。


誰もがそんなにうまくいくものじゃないと評されそうですが、決してそんなことはないと思います。


これはとてもふしぎなことですが、その状況に直面した時にこれまで生きてきた時間が一瞬にしてよみがえり「そうか、ここにつながっていたんだな」という納得の光景をもたらしてくれます。

 


それは決して奇跡ではなく、しっかりと今日まで「生きてきた」ことの証だと思っています。

 

 

大学生時代に教育実習で母校の小学校に通い、4週間みっちりと勉強をさせていただいたときに、クラスを担当されておられた先生が仰ったひとことが忘れられません。


それは「どんどん寄り道してください」というものでした。

 


みなさんはこの「寄り道」をどのように考えるでしょうか。

 

 

何も考えずに思い出すことは「寄り道しないで早く帰ってきなさい!!!」by母 ですね 笑。

 


母の叱責からすると寄り道は「悪いこと」に捉えてしまいますが、先輩の先生が仰った寄り道は「悪いこと」には聞こえませんでした。

むしろそれを勧めていたのですから、当時のわたしにすれば驚きでした。

 


その寄り道は「本業以外の経験」を指しており、それが「本業」に活かされるからという意味のことを、先輩の先生は仰られたのだと解釈しています。

そのからくり(または仕組み)を後年になって知ったときに思ったのは、結果として教師になることはできなかったけど、教師への道を志してほんとうによかったと思いました。


これはもう感謝以外のなにものでもないです。


世間ではよく「あれこれが無駄」としていろんな人を対象に批判を繰り返しています。残念ながらそれが日常の光景になってしまいました。


もちろん、無駄を省かなければならない分野は存在します。ただそれをそのまま人間の人生に当てはめて評価するのは危険なことだと思っています。

 

 

 

「無駄」は決して「意味のないこと」ではありません。
それは知らず知らずに植えつけられた「幻想」だと思っています。