きょうの札幌は昨日の様相とは打って変わって湿った雪が夜から降り積もり、わたしが住む地域では足首を軽く超えるくらいまでに積もりました。
写真は朝の自宅のベランダ。
湿った雪だったので、これだけ落ちずに積もっていたようです。
昨夜はアイスバーン。
今夜は圧雪アイスバーンになりそうです。
引越に際し、家具や家電の一部を刷新することになりました。
しかし、ただ新しいものを買う、という訳にはいきません。
当時のわたしは特になんにも考えておりませんでした(笑)。
引越先を決めた際、かなり入念にやったことがあります。
それは
間取りの寸法を測ること。
部屋の見取り図をコピーして用意してもらい、家の中のすべての長さ(高さを含む)を図りました。
そうすることで
・どんな家具がおけるか、または買いたい家具がある場合は希望に近いサイズのものはあるか
・家電を設置する際、サイズオーバーにならないか
・カーテンの長さは充分か
・どういった配置で運んだものを置くか
etc...
というのが「具体的に」イメージすることが可能です。
そのため、当初は「雲をつかむ」ような作業だと思っていたことも、ある程度絞って探すことができるようになりました。
しかし、肝心なのは「どこで探すか」です。
探すのも時間が限られてくるので、あまり幅は広げることができません。
悩んだ末に、今回は以下の項目から探すことにしました。
家電
⇒家電量販店をはしごして探す(洗濯機・冷蔵庫)
家具
・カタログ通販
・ネットショップ(楽天やヤフーショッピングなど)
・ホームセンターの展示を見て回る
家電のほうはある程度条件を絞っているのでサクサク進むのですが、家具のほうは難航。
というのも、
展示はしてあるけど肝心の在庫がない
というケースがあったからです。
当時ホーマックに家具を扱うブースが出来たこともあり、その他の家具店も含め見に行きました。
今度買う家具の中で「壁面収納」が出来る家具を買いたいということもあり、見て回っていました。
ちょうどホーマックで当時展示されていた壁面収納がそんなに高価ではなく、収納も十分にでき、テレビ台の役割も果たしてくれるため一度はそれに決めたのですが、在庫切れというのがしばらく時間が経過してから判明したこともあり、かなりカチンときた経緯があります。
在庫は逐一調べましょうよ。というのが本音。
だって、展示品があって何も触れていなければ在庫はあると思いがち。
それを書類書いて手続していった中で「すいません。在庫が・・・」と言われたら、その場で水の泡になりますもん。
お店側としては、そういった事情も考慮して欲しかったな・・・と思いました。
という訳で家具探しはカタログ通販とネットショップに移行せざるを得なくなり、長時間にらめっこした記憶があります。
結果、家具は
・カタログ通販
・ネットショップ
で購入しました。
家電のほうは、冷蔵庫はいったん見送りにし、洗濯機のみを買い替えることに。
ドラム式から縦型に替えました。
家具も希望のものが見つかったのでこれで注文。
引越前日に家に運んでくれる段取りを組みました。
これで大型のモノの用意は完了。
あとは引き続き引越の荷物作りと、粗大ごみを中心とした「ガラクタ整理」を行っていくことになりました。
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あさに引いたカードは
No.33「守護」です。
キーワードは「保護」「安全」「防御」「護衛」「保護シールド」
「守る(護る)」というのがこのカードの特徴ですが、みなさんは「守る」といえば何を思いつくでしょうか。
ここで使っている単語はProtection(プロテクション)ですが、日本で使われる「セキュリティ」もこれに当てはまるかもしれません。
そうなると「大切ななにか」を守る、といった表現が適切という気がします。
しかしながら、普段の生活において「守られている」ということを意識していることはほとんどないと思います。
それに「護衛」となるともうVIP待遇です。
特別な立場にない限り、こういった環境を与えてくれることもないと思います。
こうなると「守る」という状況とは無縁のような気がしてなりません。
ちょっと、考えてみてもらえますでしょうか。
わたしたちは、ほんとうに「守護」を受けていないのでしょうか?
ちょっと視点を変えてみると、わたしたちのからだは薄い皮膚によって「保護」されています。
それは「いのち」を含めた、わたしたちが生きるために必要なものを「防御」する「保護シールド」の役目も担っています。
そのように見てみると、守護というのは「保護」をする目的とは別に違う「役目」があるように感じます。
人間の細胞はおよそ70億個、と言われています。
細胞のひとつひとつが「人間」というひとつの「いのち」を活かすために需要と供給を常に行っています。
もちろんそのような動きを実感することは出来ませんが、わたしたちはとても小さいけれども多くの「護衛」を受けて生きています。
保護されて当たり前、という考えも今の世の中ではあると思います。
ですが上記のような「保護」もあるのだと肌身に感じたとき、そこに「感謝」が生まれてもいいのではないでしょうか。
「感謝」というのは「わたしに対してしてくれた何か」に関して行うものだと思うのですが
日々わたしたちを動かしてくれるこころやからだを守り、わたしたちに与えられた「役目」を果たすためのサポートをしてくれるあらゆるものに感謝することを忘れてはいけない気がします。
守護されているから、護られている大切なものはその力をいかんなく発揮できる。
そういった「背中を任せられる」ような存在が、自分の中にも、自分と関わるひとの中にも、必ず存在する。
あなたを「つよいきもち」にさせてくれるものは、絶えずあなたのそばにあるのだと思います。