つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

マイルストーンを定める。「記憶」ではなく「記録」を見ることが大切です。

ガラクタ整理シーズン3を始めた記事を読んだ家人が

 

 

「早速間違ってるよ」と・・・

 

 

 

昨年家人が参加した竹内さんの講座は、ガラクタ整理ではなく別のものだと。

 

うーん、こんな短期間でも記憶ってアテにならなくなるもんなんですね(わたしだけ?)。

 

 

加えて

 

 

「あなたが竹内さんの本を読んだ後、『このままじゃ逢えない』とも言ってたよ。

 」

 

 

 

 

 

 

がーん。

 

 

 

 

 

完全に記憶無し・・・・・

 

 

 

 

というのは、家人が先に上京して竹内さんの講座を受講してきた際、札幌で講座開催をしよう!という流れになったらしく、その情熱を札幌に持って帰ってきたのです。

 

その後のやり取りで「4月ならOK」ということだったので、昨年12月にふたりで上京することに。そして上京の前に偶然にも古本屋(笑)で、竹内さんの著書を購入し、読んでみたわたしが放ったひとことが

 

 

 

 

「このままじゃ、恥ずかしくて逢えない」

 

 

 

だったようです。

 

 

 

 

 

それでも凄いのが、従来のわたしであればそこで「しゅん・・・」となっていたのですが、即行動に移したのです。

 

 

 

 

 

そう。ガラクタ整理。

 

 

 

 

 

 

やり方はこれまでのやり方。こんまりさんのやり方でやりました。

大きく違うところは「整理する基準」ぐらいでしょうか。

 

 

ガラクタ整理をする前に読んだ竹内さんの文庫本は、200ページほどであっという間に読むことができる本です。

 

 

それをゆっくり、じっくりと読ませていただきました。

1ページ1ページ、じっくりと。

 

 

なんだか、そうしなければならないような気がしていました。

 

 

 

 

 

以前の日記にも書きましたが、読後はふしぎと

 

 

「ガラクタ整理が今すぐにでもやりたい」

 

 

という気持ちになったのは今でも不思議でなりません。

 

 

今週末に出張で東京に行きますので、そこでこの本を再度読み、振り返りをしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

そしてまたまた記憶のあいまいさが露呈。

 

 

この文庫本を読んだのが昨年の11月末と判明。

 

 

ということは・・・

 

 

 

 

 

実質1ヶ月で3回目のガラクタ整理を行ったことになります。

 

げ、短かった・・・・・・

 

 

 

 

 

 

短期集中で行っていたとは、驚きです。

 

第1話の内容は訂正します(汗)

 

 

 

 

スケジュール帳を覗いてみると、12月の行動が記録されていました。

上京していた期間もあるので、実質数週間でのガラクタ整理。

 

けっこうタイト。

 

 

 

それでも「やった」んだな、と自分のことながら驚きです。

 

 

ここで整理したものを並べていくと

 

・各種書類

・CD-R

・本

・CD

・日用品

・食糧や調味料

・名刺

・思い出の品

・衣類

 

 

などでした。

こうやって見ていくと1回目のガラクタ整理と内容はたいして変わりありません。

 

違いと言えば「」くらいなものですが、この家に移り住んで3年が経っていたので、そこそこガラクタが収納スペースに眠っている状態。それを直視して一気に片づけるにはちょうどいいタイミングだったのかもしれません。

 

 

 

 

過去の記録から汲み取れるものは必ずあります。

そして、新しい取り組みでも、ゴールまでのチェックポイントを明確にしていけば、悔いのないアクションは起こすことができます。

 

 

自分が誇らしく生きていく手段のひとつとして、行動や展開に関する記録はつけていくべきだな・・・と改めて感じました。

 

 

 

4月開催の各種ワークショップ、参加者募集中です。

 

maruyamabase.hatenablog.jp 

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地道に営業をしております。

そんな中で引いたカードが

 

 

 

 

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No.49「天使の存在」でした。

 

 

キーワードは「天上の存在」「天空のスピリット」「導きの存在」

 

 

 

秋山さんのことばに

「存在していることを喜びましょう」とあります。

これは、日々苦しい、悲しい想いをして生活している人にとっては、実感が湧かないことばです。

 

 

 

ではなぜ、喜べというのでしょうか。

 

 

 

 

少しオカルトな話をすると、いま生きているひとの周りにはいわゆる「守護霊」が一緒にいます。違う言いかたをすれば「守護天使」だったりもします。

 

 

守護しているんだから、何かしら手を差し伸べてくれる。

 

 

と、思っていたら、どうやら違うようです。

 

 

 

 

 

クレッグのリーディングでは、天使は「永遠なる聞き手」だとあります。

つまりは「何もしない」わけです。

 

 

極論ですが「○○がわたしにこうしなさいと言った」というのは、ウソになるということです。わたしもこれには賛成の立場です。

 

 

 

現実世界で何かしら行動することはあくまでも「自分」の意思で行うものです。

誰かに指示されても、命令されても、お願いされても、決めるのは「自分」なわけです。

 

それを「○○が~したから」という理由で動くのは、単なる「逃げ口実」でしかないです。

 

あなたのそばにいる天使はそういうことすらもわかって欲しくて、ただただ「聞き役に徹している」ことを、どうか感じてください。

 

 

 

親しい友人に愚痴などをたくさん聴いてもらったあとは、どんな感じになるでしょうか。

 

 

気分が晴れるときも、そうでないときもあるとは思いますが、少しだけでも「道が見える」感覚を覚えたことはないでしょうか。その聞き役の方が自分からは何も言わなかったとしても、その表情やうなずきかたなどで、あなたに返ってくるものはとてつもなく大切で、大きなものとなってくるはずです。

 

 

 

その出来事だって見守っている。

 

自らが展開をしていくその姿を、あなたのそばにいるあらゆる存在が誇らしく感じ、また愛おしく思っているということを、どうか忘れないでください。

 

 

 

あなたが未来を創っていく。

あなたは未来を創ることができます。

 

それを「天使」がじゅうぶんにわかっている。

 

 

 

だから

 

 

 

 

いまある道を 歩み続けてください。

 

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