つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

またあした。想いをのせて。

午後2時46分。

 

 

 

 

 

6年目の3・11が、はじまりました。

 

 

 

震災当日のその時間は、札幌駅地下街のアピアにいました。

ちょうと昼食をとっていたのですが、長い横揺れが続いたことを今でも鮮明に覚えています。

 

 あれからもう5年の月日が経ちました。

 

 

 

 

 

 

きょうは午後からヨガの教室で、クラスを受けながらその時間を迎えました。

 

 

 

教室の窓からは外の様子が確認できましたが、今日は雪がぱらついたり、いっきに曇ったりしていましたが、その時間を迎えるころには晴れ間が広がっていました。

 

 

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教室の後には地下歩行空間の北3条広場へ。

 

 

 

昨日今日とそこでシンポジウムなどのイベントが行われており、木育のブースもありましたので「木育マイスター」としてお手伝いさせていただきました。

 

 

 冬の地下歩行空間は通常時でもたくさんの人が歩き通っていますが、この日の人の数、北3条広場に集まっていた人の数は、とても多かったです。

 

そこでは写真のパネル展やチャリティー販売、メインステージでは楽曲の演奏やトークイベントが行われおりました。また、新聞社、テレビ局の取材や中継など、かなり慌ただしい雰囲気がありました。

 

 

わたしは木育のブースにお邪魔し、上着を脱いできぼう(木棒)のプールに配置。

後ろでは木棒(希望)を造るワークショップも行われていました。

 

 

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 こんなにたくさんのかたがきぼうにメッセージを刻んでくださいました。

ありがとうございました。

 

 

時刻は午後3時過ぎであったことから、小さいお子さんを連れたご家族がきぼうのプールを見つけてくださり、たくさん遊んでくれました。

 

最初はおっかなびっくりだったのが、ものの数分で慣れてしまい、しまいには寝そべって遊んでいて

 

 

 

「あ~気持ちいい~」

 

 

 

と言っているのがおかしかったです。

 

 

 

 

一応見守り役でプールにいましたが、わたしとも仲良くしてくれてほんとうにありがたかった(笑)

 

 

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 こどもがうつぶせでプールの中に入り、かつ上からきぼうを敷いてみた。

所謂「砂風呂」ならぬ「きぼう風呂」。

 

 

誰かが楽しく遊んでいるようすを見て、他の子も「遊びたい」と親御さんにねだったり。

 

 

プールの中に入っていた木棒を1個1個見て、読んでみて、そしてついには

 

 

「これ、造りたい!!!」

 

 

と元気な声で工作ブースに向かっていきました。

 

 

 

 

 

わたしの滞在時間は2時間ほどでしたが、それでも多くの方に来ていただきました。

木育マイスターとして、感謝申し上げます。

 

 

 

遊んでいただいたのは小さなお子さんが大半でしたが、中にはお父さんもいっしょに入ってくださったり、お子さんの親族のご友人が一緒に遊んでくれたり。

 

 

高校生がプールに興味を持って、プールに手を入れて肌触りを楽しんでいただいたり。

 

 

 

ご高齢のかたも木のぬくもりを感じていただきました。

 

 

 

 

 

ワークショップには外国の方にも興味を持っていただき、順番待ちでお待たせしながらも楽しく作っていただいたようでした。

 

 

この光景を見守らせていただくことができたこの日は、たいへんよい経験となりました。

 

 

そしてUHBのカメラがきぼうのプールを映していったようです。

こどもたちが元気にあそぶ姿も、しっかり伝わってくれればいいな。 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとりの日本人として、道半ばの復興に対しては微力程度の力添えしかできないかもしれません。それでも「まずはひとりから」という気持ちで、訪れていただいた方に「木のいろいろ」を感じ取っていただけるよう、精進するのみです。

 

 

 

 いまはまだ、感情の整理が無理であっても。

1日もはやく、平穏な日常が訪れますように。

そのために、わたしは出来うる展開を起こします。

 

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けさ引いたカードは

 

 

 

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No.63「天のメッセージ」でした。

 

 

 

 

キーワードは「霊的洞察」「天のコミュニケーション」「神聖な情報」

 

 

「天の声」という表現があります。

 

それはひょっとするとここでいう「神聖な情報」なのかもしれません。

 

 

 

しかし、受け止めて欲しいのはその情報が「あなたが求め、望んでいる」ものとは限らないということです。

 

 

その声を聞き分け、感じ取っていくことは非常に難しいことです。

 

 

 

加えて、天からのメッセージがいまのあなたを「否定する」ものだったとしたら、それを純粋に受け取ることは困難というか、おそらく無理でしょう。

 

 

あなた自身が「こうだ」と信じて疑わず、大切な人と仲違いをしてしまったとします。

しかし後日、自分が信じてやまなかったことが「誤り」だったとわかったら、果たしてどうするでしょうか。

 

 

それでも「○○した○○が悪い」と責任転嫁をして、何もしませんか?

それとも今すぐにコンタクトを取り、謝りますか?

 

 

行動を起こすか、黙っているかはあなた次第です。

 

行動を起こすことで、氷解することだってあります。

 

 

どんなメッセージであれ、受け容れることは大いなる勇気と決断が必要です

それがわたしを支えていく、と信じで、意固地なプライドは捨てましょう。

執着もこの先の旅には不要です。

 

 

 

もし、あなたが受け取ったメッセージが「誰か」に伝えなければならないものだとしたら、相手からの連絡を待つことなく、あなたから展開を起こしてください。

 

 

 

 

取り返しのつかない後悔を増やすのは、もうやめにしましょう。

 

 

 

 

それが、あなたにメッセージを届けたことの真意だと思えてなりません。