つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

残り続けた「意外」なモノの整理。それは到達点への道しるべです。

部屋の中や家全体を整理していくと時折

 

 

 

 

「なんで、これ捨てないでいたんだろう?」

 

 

 

 

というモノに遭遇することがあります。

 

 

 

 

 

 

それは長らく他のモノに紛れていたりなど様々な状況が考えられますが、みなさんも同様の経験をされたことはあるのではと思います。

 

 

 

 

 

 

CD-Rを整理して、次に整理したのが

 

 

家計簿でした。

 

 

 

 

 

 

 

1冊ではありません。

 

 

8冊です(笑)

 

 

 

 

 

 

家計簿をつけていたのはわたしだったのですが「なんとなく」「とりあえず」という気持ちで残しておいたもので、この時点で「なんで整理しなかったんだろう」と思うことができるようになっていました。

 

 

 

 

 

ご自宅で何かの記録を数年分残しておくというのはなかなかないと思います。

会社等であれば規定で残しておかなければならないのですが、自宅ではそこまでの長期間にわたって残しておくケースはめったにありません(データを取っているなら別です)。

 

それにこの家計簿8冊分を引越のときに運んだのが、今となってはお笑い種で、そこそこの重さだったと記憶しているからなおさらです。確実にダンボール1箱を消費しています。

 

そこそこの重さであったのにはもうひとつ理由があり、何かしらの書類や領収書を家計簿に「挟んだまま」にしてあったため、1冊の重量が重くなっていました。それが8冊分となると、かなりの重さになります。雑誌なんかをまとめるとそんなに大きいものではないのに重みだけはしっかりある、といったような感覚です。

 

 

 

 

 

もうだいぶ長い期間、開いてもいない過去の家計簿。

この先データを取ることもない家計簿。

複数冊あってスペースを取り続けている家計簿。

重みだけはある家計簿。

・・・・・・・

 

 

ん。

 

 

 

残しておく理由がない。

 

 

と、言う訳で整理をすることにしました。

 

 

 

整理をする中で、念のため挟まっているものを確認してみると、受診したときの領収書や各種払込書、レシートなど様々なものが挟まっていました。または当時契約していたものに関する書類など。なかには特に中身も確認せず挟めたであろうものも挟んであったので、1冊の家計簿がぱんぱんに膨らんでいた理由がよくわかりました。じぶんのガサツな管理を責められて いると思いながら丁寧に選り分けていき、個人情報等の記載があるものは電動シュレッダーで処理。家計簿自体は燃やせるゴミの袋へポイ。

 

でも(それでも)8冊ですから、挟まっているものを抜いたとしても、相応の重さでした。

 

 

 

 

 

この整理が終わってもともと家計簿を入れてあった箇所を見てみると、狭いところに押しやっていたということがよくわかりました。

 

保管場所は壁面収納の1部なのですが、立てて収納する場所が当時はなかったので、積み上げて収納していました。この状態では、確かに「そこに」家計簿があるのはわかるのですが「何年の家計簿」となるといったん全体を引き出して確認しなければなりません。

 

 

似たようなケースでは書類も同様で、引き出しの中に「積み上げて(平積み)」保管してあることから、いざその書類が見たいとなっても容易に探し出すことは出来ませんでした。

 

 

 

 

書類関係は後日整理することになるのですが、その前哨戦としてはじゅうぶんな価値があったと思います。

 

 

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昨日は人生初のお花を習ってきました。

 

 

活けたお花を持ち帰らせていただき、花瓶やコップに選り分けて鑑賞しています。

 

 

 

けさ引いたカードは

 

 

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No.33「守護」でした。

 

 

キーワードは「保護」「安全」「防御」「護衛」「保護シールド」

 

 

 

 

 

 

キーワードから想起する守護のイメージは

 

 

「じっとして」「ひたすら」護るといったものをイメージさせます。

 

「防御」の反対語は「攻撃」かと思うのですが、「防御」は「静」に対して「攻撃」は「動」というイメージを抱くことができるかと思います。

 

 

 

以前にもこのカードは引いたのですが、きょうまた引いて感じたのはちょっと異なる「守護」のイメージでした。

 

 

 

「攻撃は最大の防御」

 

 

という文句を聴いたことがあると思います。(もともとはラテン語の格言らしいです)

 

 

 

これを読む限りでは「じっと堪える」のが「防御」でもあるが、こちらから行動を起こすことによって自分を護ることにもつながる、といった解釈になると思います。

 

 

ただ、状況に応じて護りに徹するのか、それとも前へ出るべきなのか、その判断に迷いが生じるのもまた事実で、失敗なく(状況が悪化することなく)無事に済めばといった思惑が働きます。

 

 

 

じっと防御に徹して待つことも、いいことだと思います。

しかし注視して欲しいのは、防御は「中に入らないようにすること」の行動であり、それに徹しすぎるとあなたにとって必要なことすらも「弾いて」しまう場合があります。

 

攻撃に転じていくことも、いいことだと思います。

しかし気をつけてほしいのは、攻撃は「何を対象とした防御となるのか」をしっかりと軸としてとらえることです。攻撃すること自体が目的ではなく、攻撃の先に防御という目標があるからこそ攻撃が「生きてくる」のであります。単純な攻撃は荒廃をもたらすだけの行為になり得るということを、よくよく思うことが大事です。

 

 

 

 

 

防御に徹していても、攻撃に徹していても

 

 

 

「もうこうするしかないんだ」という感情が湧くことがあります。

 

 

 

それは何かの行動を起こしつつも半ば諦めている、ちょっと変わった状況です。

 

 

 

でも、今の状態から反転して次の行動に移ったならば。

それが思わぬ展開を生み出し、諦めの感情が消えてなくなることも憶えておきましょう。

 

 

 

両手に何かを持っているしかなく、そのままの状態でやり過ごすこともできるかもしれません。

でも、その手に持っているものを手放すことで「新しい」何かを手中にすることができます。

 

 

それぞれが持っている「正しさ」を手から放すことで、その正しさを大きく凌駕した「架け橋」がかかり、手放したはずの「正しさ」が姿を変えて戻ってくるということもあり得る。そのような願いを込めずにはいられませんでした。