ここからは怒涛の整理になります。
みなさんは、本の収納場所はどこにありますか?
本棚だったり、マガジンラックだったりと、だいたい決まっていると思います。
が。
実はそこ以外にも本を置いてあるケースが多いのです。
例えば
テーブル・机の上とか
寝室のふとんやベッドのそばとか
テレビの近く、電話の近く、その他あらゆる台のうえ
書類にサンドイッチされた本
などなど
本や雑誌類は結構至る所に収納(というか放置)されていたりします。
まず、当時のわたしの本・雑誌類の収納(または放置)場所ですが
- 本棚
- 壁面収納
- マガジンラック2つ
- パソコン周辺
- リビングのテーブル
- 食卓テーブル
- かばんの中
- 押し入れにあるカラーボックス
- 押し入れに入っているダンボールの中
などでした。
書き出してみると、恐ろしいものです(汗)
これらを丁寧に巡回しながら1冊1冊手に取って判断していくことになります。
もう、1回目の教訓がどこへ行ったのやら・・・・・(笑)
中央区の家ではもともと収納箇所が少ないので、1回目と比べると本の所有数そのものが違いました。それでも時間がかかることになったのは整理するものとしないものを分け、さらに整理する本をダンボールに収納して別な場所に一時保管するため。最終的に整理対象になった本はブックオフの出張買い取りをお願いしました。それが2015年末のことになります。
一時的な放置場所である4.5.6.7は除外し、残りの5か所に絞って整理を開始。
本を整理するのは体力もそこそこ必要で、年末の時期でもあったので体力配分を考えながら行いました。時折本以外のモノの整理を行うなどして気分転換?し、買い出しやら整理やらで慌ただしく年末年始を迎えることになります。
-マガジンラック-
わたしの家にはマガジンラックが2つあり
・箱型のもの
・V字型のもの
があります。
ここには主に雑誌や雑誌タイプのムック本を収納。
ほぼ積ん読状態(要するに読んでいない)。
雑誌を入れてる他は空きスペースにコミック本やら文庫本やらを入れてる始末。
ここには広報や出前のチラシなども入れていたので、本当に入り乱れていました。
これを整理するにあたり、マガジンラックを1つに減らしました。
きっかけは箱型のマガジンラックが何かの拍子で角の部分が破れてしまったためで(材質は紙と布で出来ていたような感じのタイプ)、そこからどわっと流れ出した雑誌を持ってみたら案の定重かったので、一気に減らすことを決断。
マガジンラックにあるものをよーく見てみると
・雑誌類・・・85%
・チラシ・・・5%
・広報・・・5%
・フリーペーパーなど・・・5%
という割合で入っていました。
雑誌に関しては読んだものと読んでいないものが混在していたので、手放す前に読んでおくものと読まずに整理するものとに整理。
雑誌は10冊束ねただけでも相当の重さがあるので、何回かに分けて別室へ持っていき、手放すときを待つことに。
当時読んでいた雑誌が
・ソトコト(カルチャー誌)
だったのですが、どれもそこそこの重さ。
2冊合わせただけでも1kgほどになるのです。
それほど、整理は大変で、とっても大切だということです。
移り住んでから3年経過して、やっと本気で「空間」に意識を向けた瞬間でした。
4月開催の各種ワークショップ、参加者募集中です。
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きのうは雪も風もついた午後になり、夜には生活道路の一部が真っ白に。
朝になれば徐々に雪は融けていきますが、季節の変わり目の寒さは体に堪えることもあるので注意が必要です。
けさ引いたカードは
No.36「スピリチュアルティーチャー」でした。
キーワードは「形而上学の指導者」「聖なるガイド」「導師」
ティーチャーは「先生」なので、体育会系のいわゆる「コーチ」ではなく、学問などを
教える側のほうをイメージします。
「形而上学」は
基本的な哲学の仮説を批判的に考察し,存在するものはそれが存在するかぎり何であるかを明らかにしようとする哲学の一分野とされています・
(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
また、
① 存在者を存在者たらしめている超越的な原理,さらには神・世界・霊魂などを研究対象とする学問。第一哲学。
② 客観的実在やその認識の可能を端的に認める哲学的立場。不可知論や実証主義の立場から独断論や実在論を称した語。
③ 事実を離れて抽象的なものにだけとどまる議論を揶揄(やゆ)していう語。
④ 書名(別項参照)。
(出典:大辞林 第三版)
哲学用語なのでなかなか理解には苦しいですが、ほかのキーワードを見てみると「思想」や「観念」といった分野における指導者、といった表現になるでしょうか。
※哲学に詳しくありません。ご了承ください。
ここでいう「スピリチュアルティーチャー」は
・ハイヤーセルフ
だったり
・ワンネス
だったり
・サムシンググレート
だったりするのかなと思っていて、じぶんの態勢が整えば、そういったガイダンスを聴くことができるとクレッグは解説しています。
じぶんがもたらすあらゆる経験からも常にメッセージは存在しており、その受け取り方によって次の段階にステップするといった具合に聴こえてきます。
普段の勉強の場でも、これを学び終えたら次はこれ、というように、基礎から応用へと学びの幅が広がる瞬間があります。それは土台としての「基礎」が備わっているからこその「ステップアップ」であることを意識するべきだなと思います。
実生活でも、仮にゲームの世界でも「チュートリアル」のように「次はこれを行ってください」といったガイダンスがあったりなかったりしますが、実はこれまでの道のりから自然と「やること」については導き出しているはずです。
それがもしわからない、というならば、静かな空間に身を置き、静かな時間を作ってじっくりと向き合う時間をつくってください。
わたしたちが出来ることのおおよそのことは、過去の経験を基に生み出すものと、天性のものとがうまく融合したもの、と考えています。
あなたの求めに応じて、様々なケースで「師匠」や「恩師」のような存在や出来事に出逢うことができます。そのチャンスの扉は常日頃から用意されています。そのことを意識して、季節の変わり目からも、普段接するひとたちの表情からもふんだんに感じ取っていただきたいと願っています。