とみーのグラウンディング日記

北海道・札幌市在住。伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

いつか大きな「木」に育つように。 -NPO法人ねおす、発展的解散に寄せて ④-

特定非営利活動法人ねおす(NPO法人ねおす)は、発展的解散を遂げました。

 

 

 

 

ただ解散したという訳ではなく、次のステップに進むため、必要な体系へ「変容」したということができます。その姿は潔く、そして逞しくもあります。

 

今回をもって先日のフォーラムに関する記事は完結となりますが、最後に分派して今後も活動していく団体を列記したいと思います。

 

 

NPO法人 くろす野外計画社(現:黒松内ぶなの森自然学校)

HP:http://www.d2.dion.ne.jp/~buna_ns/

 

NPO法人 いぶり自然学校

ブログ:http://blog.goo.ne.jp/yeti-soul

 

NPO法人 大雪山自然学校

ブログ:http://blog.goo.ne.jp/daisetsu_2005

 

・札幌まるやま自然学校

HP:http://maruyama-ns.jimdo.com/

 

・札幌石山ゲストハウス

ブログ:http://sapporo-ishiyama-guesthouse.hatenablog.com/

 

 

上記はNPO法人ねおすに参画していたスタッフが各地元で活動していくための組織。

今後は独自に、さらに地域に根差した活動を行っていくことと思います。

 

 

実はこれは一部で、ねおすにボランティアで参加した人や一時期でも参画した人は多くいらっしゃり、その人たちはそれぞれに「志」を抱き、地域おこし協力隊や自然学校、教育委員会などで活躍していらっしゃいます。

 

ねおすの活動にかかわったひとたちが徐々に「育つ」ことで、ねおすと気持ちを同じくするひとたちが多く輩出されたのも、ねおすの大きな功績のひとつです。以前はこのような自然体験活動に関しては「○○にならない」とそっぽを向かれる代表格でありましたが、今やその立場は逆転しています。しかし「経営」分野での熟成はこれからであり、課題も多くありますが「ここから社会を変えゆくことは出来る」という「ねおす」の実例を基盤として、次の時代に向け歩んでいくことになるでしょう。

 

 

 

 

 

わたしもボランティアスタッフとしてたくさんの触れ合いをさせていただきました。

 

そこでの経験はわたしを「目覚め」させるとともに大きな「変容」を生み出しました。

 

技術や知識はまだまだこれからですが、地域社会とのかかわり方やそれを「仕事」として創出していくことがこの先「マスト」になると確信しているため、ねおすの「種」を持つひとりとしてわたしは自然体験活動者として、また「木育マイスター」としてふるさとの北海道とともに生きて参ります。

 

 

 

 

 

その種が風に飛んでいき、全国や世界各国へ広がっていけば、このうえない喜びになることは、いうまでもありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか大きな木に育つように。

 

 

未来は創れるんだ。

 

 

 

 

youtu.be

 

 

 

 

-おわり-

 

 

楽曲紹介

 

①O2(オーツー) 福原美穂 feat AI

②また陽は昇る 高橋優

③ひとつだけ 矢野顕子 忌野清志郎

④夜明けの歌 eastern youth

 

※北海道にゆかりのある人または楽曲で構成しました

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東京を訪れると、期間中に1回は雨にあたっています。うーん、雨男?

 

しかし外では緑だけの景色のなかに花模様が加わるようになってきました。

こころなしか鳥たちも喜んでいるようです。

 

ひんやりと、どんよりとした朝に引いたカードが

 

 

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No.19「リニューアル(復活)」

 

キーワードは「再生」「よみがえり」「復活」「回復」

 

 

 

 

 

「変化」のなかに「復活」への道筋がある。

 

 

 

「再生」が行きつく先に「復活」はあるという定義がされており、ここでは

 

第一段階「根本的に変わらなければいけない時期だと知ること」

第二段階「再生の過程の中にあり、抜けるためには苦労することも知ること」

第三段階「再生・補充・回復 自分が生まれ変わって活性化させた力を得る」

 

と段階を踏んで説明されています。

 

 

 

上記のことは何か特別な時に起こるのではなく、私たちが夜眠りについてから朝起きて元気になっているように、日常の中で繰り返される「普通のこと」なのだと思います。

 

ときには打ちのめされることもあって、ひと晩では回復することができないかもしれません。しかし日にちがたつごとに、わたしたちが持つ「からだ」は復活するための「働きかけ」を「からだじゅう」に行います。からだはいつも、わたしたちのこころが元気に「復活」してくれることを望み、また確信して待ってくれているんだと、受けとめてもいいのではないでしょうか。

 

 

 

このカードは「自分の問題を見つけ、自分の核に光をもたらし~」と解説されています。仮に自分に問題があるとわかっていたとしても、それに対して「何もしない」のであれば「自分は影のままでいい」と言っているに等しいです。

 

それは「どんなにがんばったとしても充実した、幸せなときは訪れない。それでいい。」と自分で決めてしまっていることと同義です。

 

 

 

わたしたちは不思議と影に身を落とすクセ(習慣)が染みついてしまっており、それに加えて「それでもかまわない」と開き直ります。

 

断言しますが、そんなわたしたちを「誰か」が救ってくれることは一切ありません。

 

 

あったとしても、ささやかなフォロー程度でしょう。

 

最終的な「救い=復活」は、わたしたち「自身」でしか行うことはできないと思うべきではないでしょうか。

 

 

 

もちろんわたしもそうですが、人生の、特に苦しい出来事、辛い出来事、もう死んだっていいや、やれるだけのことはやったんだと力尽きた出来事、これらを理解するにはある程度の「時間」がかかります。

 

そのあいだは影の中に身を置いてもかまわないと思います。が、願うべくは影という「枠」からその身を出して光という外界に再び旅立ち、活発に動くことで変化を遂げてほしいのです。

 

 

そこにもたらされる喜びこそが「復活の証」なのであり、わたしたちは「いまここにいる」ということの、高らかな「甦り」の宣言につながるのだと思います。

 

 

 

昨日で講座が終わったのですが、わたしはいま成田市にいます。

今回の出張は回数が重なるためLCCで通っているのですが、ちょうどセール期間にあたったためせっかくだからと滞在を1日延長して滞在しています。

 

 

ほんとうは千葉駅周辺に宿をとる予定だったのですが、わたし特有のクセ「石橋を叩いて叩いて叩いて渡らない」といういわゆる「チキン」な面が前面に出てしまい、気づいたら千葉市ホテルは全滅。やむなく成田市にホテルをとりました。

 

結果オーライというわけではありませんが、せっかくだからと「眠り重視」のプランにしたところ、ホテルの最上階に部屋があったようで、ちょっとしたうきうき気分でおります。

 

 


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講座の最終回に竹内さんからこの「石橋を~」のクセを捨てましょう!と言われました。ついでに腕を組むクセもあるようで、そのクセも捨てましょう!と追い打ち。

 

講座を受けていて思ったのは、ほかのひとの「ガラクタ」やその時の気持ちはわかってくるのですが「自分」のほうは意外とわかっていないということ。講座を受講するたびにわたしは竹内さんからぶっすりと突き刺さる単純明快なひとこと(個人的見解)でフリーズ状態になり、その姿がほかのひとのツボにはまるという、何とも恐ろしい展開になっていきました(あくまで個人的感想です)。

 

いまのわたしは、ガラクタ整理を通して自分を変えたい!と強く決意しています。

そのため、じぶんで見つけたガラクタと、竹内さんが指摘してくださった「クセ」というガラクタを整理することに決めました。そうしなければ、いつまでたっても何も変わらないと思ったからです。何も変わらずに、自分のことをこれでもかと責め立て、静かに死ぬことを考えるのはもうやめにしようと決めたから、ここまでのことが実直にできるのだと思います。

 

 

 

いま、わたしも「復活」の過程のなかにいます。

 

じぶんが溜めてきたモノはほんとうにぱねぇくらい多いです。

それをひとつひとつ手に取って手放すのは、じぶんが予想している以上の精神力と体力を使います。正直ほんとうに辛いです。

 

 

それでも「やりきる」と覚悟を決めたのは「再生し復活」したいからです。

 

ちゃんと、与えられた「人生」という役目を全うしたいからです。

 

 

 

そのためにわたしはガラクタ整理に出逢ったのでしょうし、竹内さんはじめとした講座の受講メンバーにも出逢ったのだと思います。

 

 

 

 

もう何も無駄にしたくない。

 

そのためにわたしは、体力も生命力もゼロになりかけたところから歩みをはじめました。

 

自分の意志で。

 

 

 

 

それは「生きたい」と「生きる」という、普遍的で軽やかな覚悟だと思っています。

 

 

朽ちたはずの古木から若芽が出る。

鹿島神宮で出逢った光景が、鹿島神宮の杜が、教えてくださいました。 

 

 

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