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ガラクタ整理 Season3をお送りしています。
ガラクタ整理師の竹内清文さんの本「ガラクタを捨てれば人生はすべてうまくいく!」
を読んでの実践。これまでの片づけとは違うものを感じながらひとつひとつのモノを
整理していきます。札幌市中央区に移ってからは初めての整理になります。
今回は初めて「モノ」と「モノに込めたエネルギー」について考察しています。
ガラクタ整理の時期は平成27(2015)年 12月となっています。
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3回目のガラクタ整理もラストスパートです。
じぶんのモノの整理が落ち着きそうだったので、小物類の整理のほかに年末の掃除も兼ねて以下の場所の整理を行いました。
・洗面台下の収納
・調味料棚・冷蔵庫内
・手をつけていない「引き出し」の中身
-洗面台下の収納-
ここには洗濯洗剤だったり、お風呂で使うもの、洗面台で使うものが収納されていましたが、引越してきてからはほぼ見返すこともなく放置していました。そのため「使わない」モノがごろごろと入っている状況。かさばるモノもありましたので、ひとつひとつ手に取って確かめ、使うもの(これから使っていくもの)と使わない(今まで使わなかった・これからも使わない)モノとに分けて整理しました。ここに入っているモノは大きさがあるものが多いので、整理もスムーズに進みます。よくもらいものの○○とかが入っていそうな環境ですが、今と昔ではそのモノに対する考え方や常時使用しているモノも変わってきていると思うので、使用途中のモノや未使用のモノに関しても、直感的な判断がすんなり出るのかなと思います。
-調味料棚と冷蔵庫-
調味料は「頻繁」に使うものってけっこう限られている印象を持っていて、代表格である醤油なんていつも半分以上余した状態で期限を迎えてしまうこともしばしば。お塩・お砂糖などは長期間の保存が可能ですが、粉系は時間が経ってしまうと鮮度が落ちてしまい逆に悪影響を及ぼしたりなんてことも。また使う機会が非常に少ない調味料も揃えていたりすると、最初の1回だけ使用し、あとは使わないまま期限を迎えるなんてことがよくありました。この癖を変えていくのは徐々にといった流れになりますが、ここでも「これまで使わなかったものは、これからも使わない」という基準で整理。賞味期限(または消費期限)も切れてしまっているモノも合わせて整理しました。そうすると雑然としていて、ぎゅうぎゅうだったスペースに余裕が出てきてかえって取りやすくなるとともに、どんな調味料があるか「把握」もできるようになったので、結果として一石二鳥だったのかなと思います。
-引き出し-
仮に「整理するものがない」としても、巡回で各場所を見ていくことが必要です。
というのは「何かに隠れて」不要のモノが目に触れてないこともあるからで、ないはずのモノが実はあった、ということが大きな一歩になります。
壁面収納に引き出しが2つついていて、細かな部品やらケーブルやらをそこに入れていましたが、もう使わないと判断できたものは次々と処理。ごちゃごちゃしていた空間にスペースを作り、きれいに収納することができるようになりました。これまで収納箇所が複数ある場合は、整理を行うことで「統合」することも可能なわけです。そのためには「なんとなくとっておいた」モノが「今後使うかどうか」を見極めなくてはなりません。仮に「ずうっと使っていないモノ」がそこに「ずっと」置かれていた場合、それは「今後」も使用することはないでしょう。「いつか使うかも」の「いつか」が具体的でなければ、仕事用のモノじゃなければ保管する理由はないと思います。逆にそれらを整理することで持ち物の圧縮が可能になり「把握」が可能になります。これまで大量のモノを抱えていましたがそれらを「少なく」することで判断にも負担がかかりずらくなります。その循環を起こすことで「モノを溜める」という負の連鎖を少しずつ止めていくことができるようになってくるのです。
-小物類-
コレ、実はけっこうなやっかいものなんです。
というのも、小物「類」というのがその理由で、1つ1つがそれほど大きくないということと、色んな種類のモノが数多くあったりします。
わたしのケースですが、靴箱の大きさに色んな小物を入れて保管してありました。ジャンル分けもせずに「小物」という大きなくくりで長期間保管をしていたわけです。それを整理することになって箱を取り出し、中身を見てみると、こんな感情が湧いてきました。
「めんどくせぇ」
笑。
なんでこんな感情が湧いてきたかと言いますと、なんでもかんでもその箱の中に入れて保管してあった訳で「カテゴリ」別に分けていなかったのです。そのため当初は「どう整理をすればよいか」ということで立ち往生してしまいました。パンドラの箱みたいな感じです(笑)。
それでも整理しないと前には進めません。時間はかかっても仕方ないと心に決めつつ、整理を始めました。
わたしが整理した手順は
- 手に取る
- 使う・使わないを直感的に判断
- 仕分け
- カテゴリ分け
- 各々の場所に収納・もしくは処分
という流れになりました。
1~3までの行程に一番時間がかかりました(数日間)が、そのあとはスピーディーに進めることが出来ました。
わたしが持っていた小物はごちゃごちゃしていたので細かい作業になりはしましたが、純粋に捨てて整理するものと今後使用するもの、整理はするけれどオークションに出品するものなどに分けることができ、ついには小物類を入れてあった箱を縮小することに成功。
結果的にスペースを作ることに成功したかたちになりました。
小物類に限らず、ひとつの箱に「いろいろなモノ」を入れてしまっていると後からの整理がとても大変で面倒で、テンションがガタ落ちになることはよくあります。なぜなら「箱の中身の整理が終わる」というゴールが見えなくなり、手が遠のいてしまうからです。
それでも。
その箱と箱の中身は、それを作ってしまったひとを象徴するモノなので、諦めることなく整理することが必要です。逆にその大きな「峠」を超えれば大きな自信になり、今後そのようなケースを作ることもなくなるでしょう。
ガラクタ整理を行う際は集中力が必要です。しかし、いろいろなモノが出てきたり、周りからの横やりに阻まれて作業の手を中断させられたりします(最初の頃はけっこうな言葉の横やりが入りました)。
ガラクタ整理を始めて最初のころは周りの人もその行動が意味することが「わからない」ので、つい自分の基準なり「もったいない」感情がわぁっと出てきて意見したりします。
なので
「それ本当に捨てるの?」
とか
「それまだ使えるんじゃない?」
など
自分も長期間使用していなかったことを「棚上げ」にしていることすら忘れて、作業の手を停滞させるようなことを平気で言い放ってきます。
しかしそれも仕方ないこと。それも「投影」の一部でしかありません。その「投影」を変えてゆくためにも、今「目の前にあるガラクタ」の整理に取り組む必要があるのです。
そして、ガラクタ整理を順調に進める方法のひとつとして「音楽」があります。
これは楽曲をかけることによって頭の中に「よけいな考え」が生まれづらくなります。考えもシンプルに、判断もシンプルになって、感情やモノに左右されにくくなります。ただ注意してほしいのは楽曲のジャンルで、バラード系などのゆったり目の音楽はNG。逆にまったりしてしまってガラクタ整理がはかどらなくなります。
4月のワークショップにいらして下さる竹内さん(きよさん)が以前ブログで紹介していた、ガラクタ整理にぴったり!な曲の代表例として「この曲」が挙げられました。
個人によって好みの音楽はそれぞれあると思いますが、こういった「ノレる」音楽のほうが整理は行いやすいです。ただついつい無音の空間で整理を行ってしまうわたしは後から音楽をかけたりします。無音の状態でも整理ができるのであればそれでもOKなのですが、ちょっと手をつけては長時間休んで・・・なんて場合は、この方法が整理に拍車をかけてくれるかもしれません。
次回はガラクタ整理シーズン3最終回。
このガラクタ整理を振り返りたいと思います。
4月の各種ワークショップ、参加者募集中です。
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「きょうのオラクルカード」
点描画アーティストで東京在住の秋山峰男さんの画と、ヒーラーでセドナ在住の
クレッグ・ジュンジュラスさんのリーディングによる共作「インスピレイショナル・
マンダラオラクルカード」を使用。1日に1枚ランダムに引いています。
ここで綴っている文章は、わたしがそのカードから伝わってくるものを
読み取り、書き起こしたものです。
現在は「今日わたし以外の誰かに1枚のカードを伝えられるなら、
わたしにそのカードを引かせてください」と念じて行っています。
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昨夜は休んだの時間が遅かったにも関わらず、いつもより早く目が覚めました。
風が強い朝のなか、瞑想のあとに引いたカード
No.47「直観」
キーワード「洞察」「第六感」「天与の超能力」「内なる叡智」
昨日の日記で
「石橋を叩いて叩いて叩いて渡らない」という特有の癖を手放すことにしました。
これは結局「耳を塞いでいた」状態だったのでは、と思いました。
ひとは「未知なる能力」を持っているとされています。
ひとつのことを「極める」ことにより、稀有な存在になることだって可能です。
しかしその土台には「じぶんのこころとからだをひとりぼっちにしない」ことが求められます。
そのどちらも「孤独」であると、その人になにも「届かなく」なります。
口では助けて欲しいといいつつも、誰かが(またはじぶんが)差し伸べている手に対して卑屈になり、おんぶにだっこで「すべてお任せで助けてもらおう」としている、周りも疲弊してしまう人が実は身近にいた、ということは恐らく経験があるのではないかと思います。
上記のような人を何とか助けたいと思うけれども本人が「助かりたい」といった気持ちが湧き上がらなければ、みずからが動こうとしなければこういった周りからのサポートも無意味になり、ついには孤立してしまいます。そうなるといかに「人間=神」であっても、いずれ「光輝く」とわかっていたとしても、それはいずれも「つもり」程度のものしかなくなってしまいます。
「運命」ということば。
これは「決まっている」のではなく「変えていくことができる」と解釈していく。
人間に与えられたお役目は「全う」することと「変えていくこと」。
全うすることは言うまでもなく「人生」で、変えていくことは「古い習慣」になります。
いくら住むところが変わっても、仕事が変わっても、根本が変わらなければいずれ「同じ問題」がわたしたちの前に現れ、悩み、そして余裕を無くします。たとえその時点で何かから「あなたは将来光輝くから大丈夫だよ」と言われて「わかっていた」としても、それは「未経験」のことになるので「わかったつもり」の状態でしかないことを刻んでおかなくてはならないのです。
古い習慣を手放し、新しい習慣を手にする。
そのためには「孤独」にならず、周りに耳を傾けてみましょう。
ひとであったり、ときには直感であったり、実はさまざまな現象でわたしたちをサポートしてくれるものが存在しています。
それをどう解釈し、古い習慣や癖を捨てていくかは努力次第ですが、わたしたちが本来持っているであろう「天与の超能力」ですら、磨き鍛えることで「小さなもの」から「大きなもの」へと変容し、道なき道を「拓く」ための礎になるのだと思います。