とみーのグラウンディング日記

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

ガラクタは「下げる」ものと気づくこと。「上げる」ために必要なものは「変わりたい」という気持ちです。

今年の2月から2週間に1度上京し、ガラクタ整理師である竹内清文さんが講師を務める「モノ&メンタル スペースクリアラー 認定講座」を受講してきました。

 

 

 

 

講座の流れは

 

 

 

 

 

 

東京で2時間の座学を受ける

 

 

自宅でガラクタ整理を行い、経過報告を行う

 

 

東京で改めてガラクタ整理の報告。座学を受ける

 

自宅でガラクタ整理

 

 

ということの繰り返しで行われました。

 

 

 

次の講座までのあいだは2週間あるのですが、それがあっという間の時間に感じるほどでした。もちろん日々の生活や仕事がありますのでガラクタ整理に充てる時間はそんなに長いわけではないですが、片づけが中々進まないことは焦りにもやる気にもつながり、一進一退はありながらも、少しずつでもガラクタを処分していきました。

 

 

 

 

1回目の受講は2月14日。

 

 

 

 

 

 

 

 

この日教わったことは

 

 

 

「ガラクタの定義」でした。

 

 

 

ガラクタとは

 

  1. 使わないもの、好きではないものはガラクタ
  2. 散らかったものはガラクタ
  3. 無理に押し込んだものはガラクタ
  4. 未完成ものはすべてガラクタ

 

 

となっています。

 

 

詳細の説明は省きますが、ガラクタかどうかは別として、上記の項目に当てはまる箇所が読者のかたの居住空間にもあると思います。

 

 

 

 

 

またガラクタは「下げる」特徴があり

 

・やる気

・気持ち

・集中力

・自尊心

 

なども「下がって」いくとのこと。

 

 

その理由として

 

 

「モノ」と「心」は見えない糸でつながっている

 

 

 

からだとのこと。

 

 

 

 

つまり

 

 

 

モノには人のエネルギーが伝わるという特性があります。

使っていくうちに「愛着がわく」とか「自分の手足のように動く」というのはその一例です。人ともの、それぞれがいい影響を与えている状態になります。

 

 

しかし、ずっと使っていたはずのものから手が離れると

 

ものに伝わっていたエネルギーが途切れ、ものに残っていたエネルギーが「枯れ」ます。

 

 

 

そしてついには「空っぽ」になり「ガラクタ」と化すのです。

 

 

 

 

ガラクタばかり集まっているところは果たして綺麗でしょうか?

ガラクタばかり集まっているところは果たして清々しいでしょうか?

ガラクタばかり集まっているところは果たして「上がる」でしょうか?

 

 

 

答えは「NO」です。

 

 

 

理由は「穢れ(汚れ)」=「気枯れ(けがれ)」ているからです。

 

 

 

そうなってしまったものをずっとのこしておいても「下がる」原因を手放さないで放っておいているということになります。

 

 

 

 

だからガラクタは少しでもいいから整理していくことが大事になるのです。

 

 

 

でも

 

めんどくさい

時間がない

そのままにしておいても実害はない

その話、嘘っぽい

今上がってますが、何か?

 

 

と思う方もいらっしゃいます。

 

 

 

 

でも「断捨離」や「片づけ」も「ガラクタ整理」とやることはいっしょなのです。

実際に行って「すっきりした!」というかたの声は、ブログなどでもすでに多く語られています。

 

加えて言えば、ガラクタを整理するとそこに「スペース(空間)」が出来ます。

出来たスペースは、常に変化します。

 

 

 

 

 

よく例として挙げられていることが

 

 

 

 

「空き地」です。

 

 

 

空き地はずっと空き地のままでしょうか?

 

 

違うと思います。

 

 

 

駐車場になったり、マンションや一軒家が、店舗が建ったりと「変化」します。

 

 

 

 

 

 

それと同じように、自宅にある「スペース」も変化します。

その変化は「新しい展開」であることは、言うまでもありません。

 

 

 

 

 

 

 

ガラクタは、ちょっとずつでも減らしていったほうがいいです。

 

 

 

 

 

 

理由は

 

「ゼロよりはまし」

 

だからです。

 

 

 

 

ガラクタは「ロック」をかけるとてもやっかいなもの。

 

 

その「ロック」はかんたんに外れるとは限りません。

 

だから徐々にでもガラクタの数を減らしていけば「ロック」が緩み、やがて外れます。

 

 

 

そのロックが外れたときには、仕事でもプライベートでも、新しいことが舞い込む。

それは講師の竹内さんが自ら実証されていらっしゃいます。

 

 

 

 

何ら特別なことではないのですが「努力して積み重ねる」ことが、下げていたものを手放し、ロックをも外すことにつながります。これは誰にでもできることです。

 

しかし、それがなかなかできないのが実情です。

 

 

 

 

 

竹内さんの著書「ガラクタを捨てれば、人生はすべてうまくいく!」にも

 

 

「変わりたいという意思」「手放したいという意思」

 

 

がもっとも大事だと書かれています。

 

 

 

 

わたしのケースですが、手放そうと思っているけど手放していないものの中に

 

 

 

「手紙」

 

 

 

がありました。

 

 

 

これに対して

 

 

 

「手放さない理由」をじっくり考えるワークというものがあり

 

 

 

考えれば考えるほど、最初に出てきた理由とはまったく違う理由が出てきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

わたしの場合、手紙を手放さない理由は

 

 

「また読み返したいと思っていたから」が

 

「記録(歴史)を残しておきたかったから」になり

 

「写真と同じように残しておくべきものと思っていたから」に変わり

 

 

 

ついには

 

 

「忘れたくなかったから」になりました。

 

 

 

 

 

 

 

これはほんとうにじっくりと「モノ」と「こころ」に語りかけ続けなければ出てこなかった「本音」でした。

 

このワークは大切で、逆にこれを嫌うと「棚上げ」や「先延ばし」を習慣づけてしまうことにつながります。しかしそういったことの「やり方」を教わることはまずないため、地道で面倒なことは自然と遠ざけてしまうことも、仕方のないことだと思います。

 

 

 

 

ガラクタは

 

「空っぽ」であり「死んだような」もので「重い」ものです。

 

これは既に「活発さ」を失ったものとなっており、人や家に深く影響します。

 

 

 

それを整理して少なくしていくことで

 

「活発」「生き生き」として「楽しく」「嬉しい」影響をもたらすことが可能です。

 

 

 

そんなことをシェアを含めてじっくり講義を聴き、次回までの宿題を設定することになりました。

 

 

 

 

次回までに「何を整理するか」。

 

 

そして、整理する場所の「before」と「after」の写真を撮ることを義務付けられました。

 

 

これは参加者と竹内さんでシェアするためと、ガラクタ整理中の疑問などに答えるため。

 

 

座学とOJTを同時進行で行うような感じです。

 

 

 

次回までの期間に何を整理したか。

 

 

それは

 

・空き箱

・紙袋

・小物

・手紙

 

でした。

 

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これは紙袋の「整理前」。

 

 

 

 

こんなところからでもOKなんです。

100グラムでもいい。ロックを緩めることができるなら。

 

少しでもいい。

本気で「変わりたい」と思っているなら。

 

 

 

 

 

 

 

4月開催の各種ワークショップ、参加者募集中です。

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

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「きょうのオラクルカード」

点描画アーティストで東京在住の秋山峰男さんの画と、ヒーラーでセドナ在住のクレッグ・ジュンジュラスさんのリーディングによる共作「インスピレイショナル・マンダラオラクルカード」を使用。1日に1枚ランダムに引いています。ここで綴っている文章は、わたしがそのカードから伝わってくるものを書き起こしたものです。

現在は「今日わたし以外の誰かに1枚のカードを伝えられるなら、わたしにそのカードを引かせてください」と念じて行っています。

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きょうのカードは

 

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No.11「Awareness(気づき)」

 

 

キーワードは「自覚」「認知」「知覚」「理解」

 

 

 

 

気づきはときには無情なもので、わたしたちの都合や希望などまったくお構いなしにやってきます。

 

そのなかには

 

・知らなくてもよかったこと

・知りたくなかったこと

・信じてしまったこと

・見方が180度変わってしまったこと

 

といったことでしょうか。

 

 

 

わたしたちは普段から「知る・理解する」ことによって成長を遂げ、その行動範囲を広げています。しかしながら「知った・理解した」内容がときには古かったり、ときには虚偽だったりすることがあります。

 

残念なのはそういった状態のものにしがみつき、声高く叫んでいるひとがいるということ。

真実はときには知る必要のないものだってあります。そういったことから、この世界はかんたんにいろんなことを知ることができるようになってしまったし、クォリティの高いものを知ることも一筋縄ではいかないということです。

 

 

一度「理解」してしまったものを変えるには、新たな「理解」が必要です。

 

その自覚がない限り、どこかでわかっている「つもり」というトンネルに入ってしまいます。大事なものは目に見えないと、名作「星の王子さま」では語られています。本質は目に見えないところにあるということを、どうかこころに刻んでください。

 

 

わたしたちは目に見える現象に流されがちです。

直観的になることも大事ではありますが、ほんとうに大事なのは「こころ」が小さくならないことです。

 

 

この世界は画面から通して見えることだけが真実ではありません。

普段の生活空間から見える世界にだって、画面から伝わるものをかんたんに超える「真実」があるということを「認知」するときが必要です。

 

仮に「A」ということについて理解が出来ていたとしても

 

ジグソーパズルのようにたくさんのピースを集めてAについて理解したことと

ひとつの彫刻作品を見てAについて理解したこととは、たとえ同じ理解内容でもその経路が大きく異なり、それは自身の経験や信条に大きく影響してきます。

 

そのどちらかが正しくて、一方が間違っているということではなく、自分が経験してきたことだけが正しいとは「限らない」のです。ときには自分が「理解」していることでさえ「枠」になってしまうことを潔く「知覚」することを忘れてはなりません。

 

 

自分が積み上げてきたものをときには「疑う」。

 

その姿勢が「枠」を遠ざけ、世界を広げるための「気づき」を受け取れるのだと思います。