つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

※終了しました 改めて、今週末開催する「ガラクタ整理ワークショップ」「体の氣&スペースの氣 クリアリングセミナー」「座敷童子パワー! あやかり女子会」のご案内です。

今週末に迫りました「ガラクタ整理師」竹内清文さんをお迎えしてのイベント。

 

 

今日は改めてイベント内容の紹介と、これまでのまとめ記事を掲載していきます。

 

 

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 ガラクタになった雑誌。ざっと50冊。

 

 

 

 

まずは告知記事から

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

 

日程は

4/16(土) ガラクタ整理ワークショップ

4/17(日) 体の氣&スペースの氣 クリアリングセミナー

4/17(日) 座敷童子パワー! あやかり女子会

※全日程終了しました。 

 

 

ガラクタ整理ワークショップに関しては、まずこちらの記事を。

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

続いて

 

体の氣&スペースの氣 クリアリングセミナーの紹介記事

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

最後に

 

山形県にある「タガマヤ村(やまがたを逆に読むそうです)」に宿泊し、まったく霊感がないにも関わらず座敷童子に遭遇。その後嬉しい出来事がご自身やご自身の周りにも訪れているという体験談を中心にお話いただく、座敷童子パワー! あやかり女子会

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

また、竹内さんは国際的な資格でもある「空間浄化師」の有資格者。

札幌滞在中は交通費を除いた代金でご自宅のスペースクリアリングを受け付け中です。

※終了しました。

 

 

また竹内さんはみずからをゲイであることを公表(オープンリーゲイ)。

札幌滞在中は母校である北海道大学の教壇に立つほか、LGBTに関する講演や各種活動にも参加します。

 

 

 

またとない機会です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからはわたしの熱い想いの語り場になります。

 

 

 

 

ガラクタ整理や断捨離、片づけといった動きは既に多くのかたの認知を得ていて、最早新鮮味がないものになりつつあります。それでもわたしが「ガラクタ整理」を選び、一生涯の仕事とするべく自分を「変えて」いこうと思ったのは講師であり、また師匠でもある「竹内清文」さんの人柄も大きいところです。ツールは仮に良いものだったとしても、それを伝える側の人に魅力を感じなければ、伝えていくのはやはり躊躇します。わたしは東京へ通い、ガラクタ整理の講座を継続して受けてきました。講座の会場では直球を投げられることも多く、感情のスイッチも「入りかけた」ことが何度かあります。それでもこの人を信じ、ガラクタ整理を信じていこうと決めたのは純粋に「変わりたい」と強く願ったからです。願いは神社や日常の祈りで捧げがちですが、実現するのはじぶん以外の存在ではなく、じぶんに寄与するところが大きいです。その他の存在はその「段取り」をしてくれる程度です。1から10まですべてお任せでは、何も変わりません。お任せで実現してくれたとしても、それに対する不満足が湧き起こるだけだと思います。

 

仮に、これまでに「断捨離」や「ガラクタ整理」そして「片づけ」の本を読んだり、講座を受けたりしてその内容をご存じのかたがいたとします。その方がもし、本を読んでも講座を受けても実際に「整理」をしていないのであれば、残念ながら読んだ本も受けた講座も「無意味」な状態です。結局は「読んだだけ」「受けただけ」の状態で、行動に移っていない。それは大変もったいないです。「いつかはやろうと思っている」と思っているかたももちろんいらっしゃると思います。でも「いつか」を「具体的ないつ」にしない限りは、結局は本を読み、そして講座を受けただけで満足してしまっている状態なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「百聞は一見に如かず」

 

 

 

 

 

 

このことばはみなさんもご存じだと思います。

 

 

 

 

ブログで彼の魅力、ほんとうのガラクタ整理の魅力を伝えるには限界があります。

 

 

もし、ガラクタ整理をやろうと思ってもなかなか実行に移すことができないという方がいらっしゃれば、ぜひ「本物の」ガラクタ整理に、そして竹内さんに逢いに来てください。

 

 

 

 

 

 

もう一度言います。

 

 

 

 

 

 

 

「百聞は一見に如かず」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、竹内さんを札幌へ招く際、色んな葛藤がありました。

 

 

 

 

 

ブレーキをかけるように出てきた言葉が

 

 

 

 

 

 

「時期尚早」

 

 

 

 

 

屋号は設けたものの、活動経歴はほぼなし。

知名度も、信用度も、何もないところからのスタートで、いきなりのイベント運営です。

果たしてどれくらいの人数が集まるのかさえ、見通しが立ちませんでした。

 

 

 

 

 

それでも、このイベントを執り行うことにしました。

 

並行してわたし自身も「モノ&メンタル スペースクリアラー認定講座」を受講し、1秒でも早く仕事の「軸」のひとつとして確立させるために、必死になろうと決意しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

イベントに関する様々な活動。

すべてが手探りで、すべてが初めてのこと。

 

 

 

 

 

先方に「無礼」だと思われても仕方ない。まずは伝えていくことだと心に決め、手紙やメール、SNSを使って知人にあたるいっぽう、チラシを作成して札幌市内に置いてもらう活動を始めました。途中協力を申し出ていただき、店舗のみならずイベント会場にも置いていただく「展開」も手にすることができました。

 

 

 

それでも、まだ何かやり残したことはないか。

それでも、まだ何かやれることはないか。

 

 

 

限られた条件のなかで出来ることを探しては実践するという日々が続きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、手ごたえがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

この状況に対し、ひとは「しょうがない」と言うと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

でもわたしは、その言葉を使いたくないのです。

「しょうがない」で済ませる程度なら、最初からこのイベントは組みません。

まだ、この言葉はわたしには使えないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北海道はコンサートを含め、いろんなイベントの集客には苦労するよと聞かされていました。

 

北海道民はイベント開催の直前になるまで申し込まないという習性があるらしく、その動きに中々慣れないという声を聞いたことがあります。

 

また、歌手のコンサートも継続して北海道で行うのはほんの「一握り」であることをご存知でしょうか。一般的なこととして、コンサートで利益を上げるのは難しいと言われています。チケット完売のコンサートでもそれはあり得る話で、空席があれば次のツアーから北海道は入らない、というのはよくある話です。

 

 

 

 

 

仮に「また来るから今回は行かない」とイベントやコンサートには参加しない姿勢のかたがいたとします。

 

 

ところが「次回から北海道での講演はなくなりました」と運営側からの告知があったとしたら、その方はどう思うのでしょうか。

 

「いずれまた来る」「なんで~?(半分キレてる)」「しょうがない」等、その講演をじぶんのいる土地で行わなくなった「運営側」を責めるのが大半ではないかと思います。でも運営側としては「参加」してくれる人がいないのであればと、撤退を余儀なくされるというケースがほとんどです。こういったイベントはご存じのとおりビジネスであり、お祭りではありません。

 

 

 

もし、このようなイベントの「次回」を期待されているかたがいらっしゃるならば。

「次回」を期待するのはもうやめにしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

まずは「今」なのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、信頼している人から

 

 

 

 

 

 

 

なぜ「今」なのかがわからないんだけど

「次」の機会でいいと思うんだけど。

 

 

 

 

 

 

と言われたことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こたえは単純明快です。

 

 

 

 

「今」がなければ「次」もない。

 

 

 

 

 

 

考えづらいことですが、仮にご自身の寿命が今日までだったとしたら。

もう「次」はないのです。

 

そうなると「今」を後悔しないように生きるしかない。

わたしたちは当たり前のように続く日常に慣れてしまい「明日死ぬかもしれない」とはまったく考えなくなりました。

 

 

 

でも、決してありえないわけではないこと。

そのような不安要素に怯えながら生きているわけではありませんが、自分で旗を掲げてからは「その日」を意識するようになりました。

 

 

 

 

 

 

そうやって毎日進んできたせいなのか、それに見合った反響がないからなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

力が、抜けました。

 

 

 

 

 

もう、いまのわたしができることはやりきりました。

 

もう、万策尽きました。

 

 

 

 

 

でも、諦めたくないのです。

イベント会場が満員になって、賑やかなイベントになることを。

 

 

 

 

 

でも、もうわたしには何もやれることがなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この感情を、一度手放します。

そして、委ねます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログを読んでくださっている読者の方にお願いです。

 

 

 

 

 

 

筋違いなことかもしれません。

あれだけ熱弁を奮っていたにもかかわらず、これだけのことしかもう言うことが出来ません。

 

 

 

 

 

どうか、このイベントを、様々な手段で拡散してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくの手では届けることができなかった場所まで、読者のみなさんの手で届けてもらえないでしょうか。

 

 

 

わたしの勝手なイメージですが、いつしかわたしは「北海道という大きな鐘」に対して小さな槌で打ち鳴らそうとしていたのかもしれません。

 

 

 

どうかみなさんの手で、この大きな鐘を打ち鳴らしてはいただけないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当事者だからという訳ではありませんが、一連のイベントはすべて「価値」があります。

 

あなた自身が「変わりたい」と思い、展開を起こすための燃料が、竹内さんの言葉に込められています。

 

 

 

ガラクタ整理を行うと

 

・仕事が決まります

・家計がラクになります

・家族の習慣が変わります

・心の整理がつきます

・モノを見る目が変わります

・先延ばしをやめます

・物事の把握ができるようになります

・新しいことが舞い込みます(人も仕事もプライベートも)

 

 

だから

 

 

 

 

 

「人生がうまくいく」のです。

 

 

 

 

 

もちろん、クリアリングセミナーも、座敷童子パワー!あやかり女子会も「人生がうまくいく」ヒントが満載の内容になっています。

 

 

 

 

どうか、この機会を見過ごさないでください。

 

わたしたちが生きるこれからの時代は「増やす」ではなく「減らす」のがクールです。

 

 

 

 

あなたの人生がこのうえなく「うまくいく!」ように

わたしは自信をもって、一連の講座をお薦めします。

 

 

 

「今」しかない人生を、ぐっと良いものにしましょう。

「今」しかない人生を、素晴らしいものにしましょう。

「今」しかない人生を、ワクワクするものにしましょう。

 

 

 

 

 

「今」しかない人生を

 

 

 

どうか輝かせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、ガラクタ整理向け(独断と偏見)楽曲を

 

youtu.be

 

 

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「きょうのオラクルカード」

点描画アーティストで東京在住の秋山峰男さんの画と、ヒーラーでセドナ在住のクレッグ・ジュンジュラスさんのリーディングによる共作「インスピレイショナル・マンダラオラクルカード」を使用。1日に1枚ランダムに引いています。ここで綴っている文章は、わたしがそのカードから伝わってくるものを書き起こしたものです。

現在は「今日わたし以外の誰かに1枚のカードを伝えられるなら、わたしにそのカードを引かせてください」と念じて行っています。

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きょうのカードは

 

 

 

 

No.58「宇宙意識」

 

 

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キーワードは「気づきの高まり」「厳かな理解」「神聖なる知覚」

 

 

 

 

 

最近、前の職場の同僚から

 

 

 

「吹っ切れたような」

 

 

 

ということばを聞きました。

 

 

 

 

 

 

これをどう捉えるかは状況によりけりなのですが、わたしはそれをひとつの「悟り」のように捉えています。

 

 

 

本来「悟り」は1回だけ得ればOK!という訳ではなく、何度も悟りを繰り返し得ていくことが必要だそうで、悟りを得た瞬間からそれはもうそれは悟りではなくなっているそうです。

 

 

 

 

この「吹っ切れる」は、ひょっとしたら「心の整理」がついたからなのかもしれませんし、パズルのピースがすべて揃った結果「悟った」ことの表現なのかもしれません。

 

 

 

 

 

「気づきの高まり」に向けての行動を、ひとは常に行っています。

 

 

 

 

 

 

 

光りも影も「吹っ切れる」ことや「悟り」には必要不可欠な要素であるということ。

それをほんとうに「理解」してこそ、勇気と確信に溢れた行動を起こすことができるのだと思います。