つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

あの日のこと。 ~ゆずれない願いは儚くも水泡に帰した~

モノ&メンタル スペースクリアラー認定講座の認定試験は、わたしが予期していたというより「期待していた」展開とは180度異なる方向へ進み、そして認定となりました。

 

 

 

期待していたわたしが浅はかだったのかもしれません。

 

 

 

しょうがない、と言い訳してしまうのもなんですが、やはりそれまでの積み重ねがありましたので、どんなのかといった具体的なものはなかったですが、認定試験にふさわしい展開を望んでいました。

 

 

 

いざフタを開けてみると、それはふさわしいとかではなく、破天荒な試験であったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書の他に様々なところを次々と「突かれ」、返答に窮していたわたし。

昨日までの記事には書いていませんでしたが、これまで引いていたオラクルカードの記事にも容赦なく言葉が降りかかっています。

 

 

 

 

 

 

試験後になって、どうして説明できなかったのだろうと自問自答していました。

恐怖だったのか、それとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出てきた答えが

 

 

 

「すべて言い訳になってしまうから」

 

 

 

 

でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹内さんの問いに対し、わたしは

 

 

 

「~だから」

 

 

 

という流れで答えを返していたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、それがだんだん

 

 

 

 

 

「~だから」は言い訳になる。そうなるともう何も言い返せない。

 

そうなると、もう従うしかない。

 

竹内さんの言っていることが、わたしの主張「よりも」正しいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

という思考に変わっていきました。

 

 

 

 

 

それが結局、何も言えない状況を生み、次々と竹内さんに「突かれる」状況に導いたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、わたしが試験後も浮き上がってくることが出来なかった、決定的なひとこと、または出来事といえるものがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

「この書を整理出来たら認定するけど、どうする?」

 

 

 

 

 

 

といった言葉をかけてきたと記憶しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが普通の(とはいってももはやどんなのがふつうかわからない)試験であれば、それに対してしっかりと考えて判断することが出来たのかなと思うのですが、わたしの場合は違いました。

 

 

 

 

 

この一言を言われたときには、既に普通の状態ではなかったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンタル弱ぇw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思われても仕方ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで親にしこたま叱られているこどものよう。

まるで先生にしこたま絞られている生徒のよう。

まるで上司にしこたま説教されている部下のよう。

 

 

と表現すれば、少しは伝わるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このときの置かれている状況を思い起こすと

 

・「書」を整理しなければ認定しないといわれたが、それが取引のように感じられた

・午後にイベントを控えており、出発するまで時間がなかった

・これまでの連続の「突き上げ」によって思考能力がストップしていた

 

 

 

というのがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時の心境としては

 

 

 

「そうか!これを整理すればいいんだ!晴れて認定なんだ!」

 

 

 

ではなく

 

 

 

「竹内さんの言っていることが正しいから、ぼくの意見は言い訳にしかならないから、竹内さんの言う通りにしよう。それですべてが終わる。この苦しみから解放される。」

 

 

 

 

というものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして認定が下り、午後からのイベントで報告がされ、わたしは痛々しい表情を参加された方々に晒すことになった、というのが、わたしが感じて抱えていた当時の状況です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後、竹内さんは東京へ帰りました。

ほどなくして、わたしは大きく体調を崩しました。

 

自分の感情を無くし、表現する言葉もなくしたため、家人にもどういったことが起きているかをまったく説明することが出来ず、けんかのような、言い争いのようなことが起きました。

 

 

 

 

 

 

それからしばらくの期間、家庭内別居をすることになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

話しかけられても答える気力もない。

ひたすら、あの日のことが繰り返し甦るだけ。

 

こんな想いをするために、ガラクタ整理を学んだのか。

自分が仕事として身につけたいと思ったガラクタ整理は、こんなものだったのか。

これまでの覚悟や積み重ねはいったい何だったのだ。

 

 

 

 

 

 

呪文のように、上記の言葉が浮かんでは消えていたような感じでした。

 

 

 

 

 

 

 

竹内さんが東京に戻ってから1度だけメールをいただいたのですが、勿論それに返事を書く気力もなければ言葉も浮かばない。そのまま放置せざるを得ませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれが、大きな節目の展開をもたらすことになりました。

 

 

 

 

 

まずは竹内さんのブログをご覧ください。

 

キヨのクリアリング日記:【7月10日迄早期割引、初開催限定価格】 10月、札幌で初のガラクタ整理4週講座、募集開始します。

 

 

 

 

実は札幌でのイベントのなかでお茶会があったのですが、その場で「次回のイベントを企画しましょう」という流れになり、このイベントに参加された方たちが協力してくれることになりました。

 

かんたんな打ち合わせと会場候補地をピックアップ。

 

竹内さんの滞在期間に合わせ、どれくらいの人数を目標にすべきか、とか、その他に単発の講座を開いてはどうかなど、活発な提案がされていたと思います。

 

 

 

 

 

竹内さんがまだ札幌にいる時にわたしは

 

 

「次回のイベント、主催としてやらせてください」

 

 

と申し上げ、これに向かって動き出す予定でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それがつまずきました。

 

 

 

竹内さんが帰ってからしばらくのあいだ、わたしは止まったままでした。

 

ほんとうに、止まっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月19日に竹内さんが東京へ帰りました。

 

 

 

 

その後4月24日に竹内さんからのメールが来ています。

何かわからないことがあれば聞いてくださいといった主旨のメールでした。

 

 

ですが「あ」すらも書けない状況だったので、そのままに。

 

 

 

 

 

 

そして次のメールが5月6日に届きます。

 

 

そこでは

・ショックが大きいのは予測がつくが、消化が長引きふさぎこむのは意外だった

・10月のイベントをお願いするのはやめます

・この状態では認定後の次の講座(アドバイザー講座)も難しいので、受講に関してはいったん白紙にする

 

 

 

 

 

 

 

 

このメールを読んだときには

 

「いちばんやってはいけないことをやってしまった」

 

という感情が出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それも時すでに遅し。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは予想外の出来事から「仕事」のチャンスを手放してしまいました。