つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

あの日のこと。 ~砕け散り、沈んだ水底から浮かんできたものは~

ちょっとここで、これまでの経緯を時系列にします。

 

 

 

 

4月15日・・・竹内さんが札幌に来る

        北海道大学での意見交換会&勉強会

 

4月16日・・・ガラクタ整理ワークショップ

 

4月17日・・・体の氣&スペースの氣 クリアリングセミナー

        座敷童子パワー あやかり女子会

        モノ&メンタル スペースクリアラー講座 認定試験

 

4月19日・・・竹内さん 東京へ帰られる

 

4月20日以降 体調を崩す

        家人と衝突 家庭内別居

 

4月24日・・・竹内さんからのフォローメールが届く

 

5月6日 ・・・今後について竹内さんからのメールが届く

 

 

 

おおよそですが、このような流れになっていました。

 

 

 

 

記憶ではGW前には家庭内別居は解消し、少しずつですが回復に向けているさなかでの、竹内さんからの厳しいメールが届いたかたちになっています。

 

 

このブログに関しては4月18日にイベントのことに触れた記事を書いた後の1ヶ月は整理したCDのレビュー記事「整理棚からひとつかみ」を上げていました。

 

この記事は整理時にあらかじめ作成してあったものなので、これまたあらかじめ作成してあった冒頭文と本文を貼り付けて予約投稿の設定をすれば完了というもの。

これを一気に数週間分作成。最終的には1ヶ月分の記事を作成することとなりました。

 

 

実はこの時点でも、ブログを書くことが出来るかどうかは半信半疑でした。

そのため、アイドリング期間として、ごく普通の日記を少しのあいだ上げさせていただいた後に、ガラクタ整理シーズン4を再開しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の時系列のなかで

 

 

 

 

 

「家庭内別居」

 

 

 

 

 

 

となった期間がありました。

 

 

 

 

 

 

 

おそらく日数は1週間程度だったと記憶しています。

 

 

 

 

その間、わたしは何をしていたかというと・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

まず

「ひとことも声を発しませんでした」。

 

別居なので(笑)コミュニケーションはほぼ取っていなかったと思います。

 

 

 

 

そして

「ひたすら瞑想に費やしていました」。

 

 

これは家人からの提案でもあるのですが、じぶんの頭を冷やす、または諸々の整理を進めるにはいい手段のひとつだとも感じたため、起きている間はほぼ瞑想に費やしました。

 

とはいっても、あの日のショックから体調を崩していたため、瞑想しては寝込み、起き上がって瞑想してはまた眠りに落ちるということを何度も繰り返していました。

 

 

 

ただ座って目をつむっているだけ。

なにも考えず、感覚に集中しているだけ。

 

 

 

 

 

といけばいいのですが、やはり雑念というか、色んな考えが通り過ぎたり留まったりします。

 

 

 

この時はやはり、他人を責めるというよりは「自分」を責めていました。

 

 

 

 

竹内さんがわたしのことを「ドM」と評したのはまさにここ。

 

 

 

 

 

 

自分で自分を苦しめているし、それが普通だと思っている。

自分には足りないものばかりだと嘆き、悲観している。

ほんとうは違うのに。

 

 

 

しかし、わたしにはそれがわかりませんでした。

ショックのこともうまく説明できなかったこともありましたが、このときは完全に

 

 

 

 

感情に支配されていた

 

 

 

 

のだと、振り返って思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想していた期間中、毎度毎度わたしはわたしを責めました。

 

 

 

責めて責めて責めて責めて責めて責めて責めて責めて責めて責めて

 

 

責め続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俗にいう「無」の状態など、なかったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、自分を責め続けているわけですから、どんどん苦しくなってきます。

 

これも、長年抱えてきた「癖」でした。

 

 

 

 

 

 

 

野球で言えば、自分が投げた渾身のストレートを打ち返され、なおかつホームランにされた。

 

 

自信が打ち砕かれるには十分な材料です。

 

 

 

 

 

これまでにも、生きることをやめたくなるほどの出来事がありましたが、今回はそれに匹敵するくらいの出来事になってしまいました(ひょっとすると、仕立ててしまったのかもしれません)。

 

 

 

別居をして何日か経った日の夜に

 

 

「もういい。こんな苦しみを味わうのはもう嫌だ。」

「もうじゅうぶんに生きた。」

「もう悔いはない。残りの寿命は返上するから、さっさと連れて行ってくれ。」

 

 

 

 

 

 

と、かなり感情的な思考に偏っていたわたしは、上記のようなことを強く思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これには笑うかたもいらっしゃるかもしれませんね。

そこまで考えなくても・・・と。

 

 

 

 

 

でも

 

そこまで という度量に至るまでの経緯とその感じ方はやはり人それぞれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

残念としかいいようがないですが、この時のわたしは

 

 

 

「絶望感」に支配されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのようなことを考え、願いつつ、静かに眠りにつきます。

 

もう、目を覚ましたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本気で、そう願っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それくらいの本気を、今回の講座やイベントに注いでいましたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、わたしは知らずに眠りにつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、目を覚ましました。

 

 

 

 

その場に起き上がります。

 

 

 

 

2度3度、呼吸をした後に、これまでとは違う感覚が体中を駆け巡りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きるぞ」

 

 

 

 

という意思と、体中に漲るこれまでに一度も感じたことのない生命力でした。