きょう6月14日から札幌祭り。北海道神宮の例祭(例大祭)が行われています。
出店が神宮内と中島公園でも展開されるとともに、奉納行事が執り行われます。
神輿の渡御は6月16日の朝から夕方まで行われ、夏の風物詩が札幌市内を行脚します。
きょうは朝から曇り空。午後から雨がぱらつき、そして本降りへ。
奉納行事も幾つかは中止となってしまったようなのですが、わたしは土俵ステージにて
「和太鼓 タヲ 札幌道場」
の奉納演奏を聴いてきました。
演奏前の1コマ。
この情報はイベントのチラシを置かせていただいた、北海道神宮すぐそばにあります
コクーンネスト
の店主から話を聞いたのです。
実は、和太鼓タオ 札幌道場さんの演奏を聴くのはこれが初めてではありませんでした。
去年のことですが、ニセコの温泉にて慰労会が行われた際に、主催者の計らいで和太鼓タオ 札幌道場のメンバー(当日都合がついた方のみ)がわざわざ太鼓持参で宿に来てくださり、演奏はもちろんのこと、かんたんなワークショップまで開いてくださいました。
建物内で聴く太鼓と、屋外で聴く太鼓。
そのどちらのシチュエーションでも太鼓を聴くことが出来たわけですが、その音の広がりはご存じのようにからだを通り越して体内にまでずし~んと届きます。
見えない波が瞬時にしてからだとこころを突き抜けていく。
鳥肌が立つとともに、感動というか、鼓舞される感覚を味わいました。
奉納中
生音にこだわるようになったのは、小さなハコでのライブに参戦したことがきっかけだったと思います。
もちろん、ハコの大小関係なく機器のセッティングはしてありますが、迫力ある距離で歌い手の息遣いや動作がわかるから。それと、機械を通さず歌ってくれるというパフォーマンスを見せてくれたことがきっかけだったように思います。
もちろん、スピーカーを通してでも、音の熱意というか「伝われ!」という強い意志を感じることはあるのですが、直接伝わる音もそれに負けず、ときにはそれを上回るほどの熱量を放っていることがあるのです。
きょうの奉納演奏は30分で、練習の1時間前くらいから雨が降っていました。
そして演奏前には雨が強くなるほど。
そして演奏時には雨脚が強く。
しかし、不思議なのは
演奏に合わせて雨脚が弱まったり、逆に強まったりと変化が見られ、ついに演奏後には雨が上がってしまいました。
演奏後に参拝して神宮を後にしますと、手稲山方面に太陽の姿がくっきりと、しかも周りに青空までが見えていたのにはさすがに驚きました。
この奉納演奏を聴いて感じたのは
「伝える」のは人の意図で
「伝わる」のはその枠を超えること
だと感じました。
言い換えると
伝えるは「努力する」
伝わるは「委ねる」
といった感じでしょうか。
歌や演奏も人によって「伝わりかた」はバラバラです。
それなのに人は「ひとつの意図」に向けて伝えようとしがちになり、結果としてつまづくことも出てくる。
伝わるは伝える側の考えの「枠」を超えた領域で展開されるもの。
そう考えることで何かしらの「責任」を負う必要はなくなるのかもしれません。
4月のイベントのときも、わたしは「伝わる」方法ばかりを考えていました。
肝心だったのは「伝える」ほうだった。
いまとなっては反省しきりですが、厳しいことのはずなのに、太鼓の音が叱責ではなく激励に聞こえました。
伝わるときは伝わるし、伝わらないときは伝わらない。
「そんなもんじゃ」という気持ちでいれば、ここに囚われることはないんだと思いました。
伝える。
そこに想いを、熱意を、いのちを注ぐことが出来れば、それでじゅうぶんなのであって、わたしは今後「伝え続ける」ために、言の葉を磨き続けていこうと感じたのでした。
きょうはこの太鼓の音をいろんなひとが耳にしたと思います。
神宮から離れた場所でも太鼓の音はじゅうぶんに聞こえました。
そして神宮内に入ると縁日の屋台にたくさんのお客さん。
待ってましたとばかりに買い物を楽しむこどもたち。
老若男女、そして海外からの観光客や留学生と思われるひとたち。
あいにくの天気ではありましたが、ほんとうにたくさんの人たちが太鼓の演奏に耳を寄せていたと思います。
そして、ふと思ったのは
「天気」というのは
天の気持ち
なのかもしれないなーと感じました。
和太鼓の演奏に合わせて雨の強さを変えてくるなんて、そんな粋なこと、なかなかできないですよ。