昨年、2015年の12月に単発でガラクタ整理の講座に参加して、ガラクタ整理師「竹内清文」を知ることとなりました。
その講座がきっかけで、翌年、2016年に札幌で初のワークショップ開催と、その他のイベントを行うことを決め、それとは別に自分自身がこの「ガラクタ整理」で仕事をしていく、一生続けていくことのできる仕事に高めていくことを胸に秘め、2016年2月から始まる「モノ&メンタル スペースクリアラー認定講座」の受講を決め、隔週ごとに上京して講座を受講しました。
講座受講期間中は人生4度目となる「ガラクタ整理」を並行して進め、それを基に進捗を報告すると共にアドバイスをいただくという流れで時間が経過していきました。講義を受けているあいだに「整理したい!」という気持ちがこれでもかというくらいに高まるのですが、実際に整理を始めるまでには物理的な距離があることと、移動時間が相応にかかるということもあり、そのモチベーションを維持するのも苦労することがありました。
何度も何度も出てきた、雑紙(紙ごみ)をまとめるの図
改めてこの期間のことを振り返ると
「必死」
だったと思います。
「失敗はできない」という気持ちは確実にありました。
「ガラクタ整理」にかける思いは他の参加者よりも、講師である竹内さんよりも強かったと思います。
その勢いを酌んでの展開だったと思います。
長年信仰してきた創価学会を整理(退会)し、学会のモノはすべて手放しました。
そういった出来事もあり、じぶんなりに今回の「ガラクタ整理」は相当の手ごたえを感じていたのです。
しかし。
同時に進めていた、4月に開催したイベントは、自分が思い描いていた展開とは異なる結果になりました。
自分が設定した目標を達成できなかったことは、相当のショックとなって身に降りかかりました。
加えて、東京で受講していた「モノ&メンタル」の講座の認定試験(修了試験)を自宅で実施しましたが、とてもショッキングな展開と、相当なダメージを受けてしまいました。
試験は無事にパスし、認定もいただいたのですが、その後わたしはまったくもって何もできなくなり、すべてが滞り、結果、次の仕事と次の講座受講のチャンスが白紙になります。
それもまた自身に罪悪感を与える結果となり、すべてが裏目になり、だんだんと自分の視野が狭くなり、ちょっと手が付けられない状態となります。
先ほども述べましたが、講座の受講も自分のモノの整理もイベントの運営も、そのどれもが
「必死」
以外のなにものでもありませんでした。
なので
「余裕」
がなかった。
それが「欠点」だったと言えます。
必死すぎて、余裕がない。
幾つかの指摘の中で「楽しまなきゃダメ」というのがありましたが、改めて振り返ると、わたしは自身のガラクタ整理も、講座も、イベント運営も、必死でありすぎて「楽しむ」ことを置き去りにしていました。それが決してダメだというわけではありませんが、必要な要素を含めないまま進めてきた結果、大きな落とし穴にはまってしまったのだろうと思います。
それに気がついたのは、痛感したのは、竹内さんが東京へ帰ってからおよそ1か月後のこと。
自分で気がつけたからこそ、とても納得のいくひとつの「答え」でした。
だからこそ、気がついた時点で出来たこと。
それは
「楽しさを加えて加速する」
という宣言でした。
じぶんのガラクタ整理も
イベントの運営も
ガラクタ整理を教えている時も
ブログを書いている時も
カードを引いている時も
どんなときでも
自分が楽しんで、相手も楽しんでもらうようにする。
必死だけでは「気圧される」。
だからそこに「楽しさ」を加える。
そうすることで「必死」が形態を変える。
「集中」だったり「没頭」だったりと。
だからこそ、わたしは楽しみたい。
あらゆることを、残された時間を。
わたしは「楽しさ」をのせて伝えたいです。
わたしは「楽しさ」をのせて届けたいです。
楽しさの中にはもちろん「必死」さはありますが、楽しければ「必死」さはそんなに気にならないはず。
「必死」をそのまま伝えるのではなく「ワクワク」といった感覚に変換して、伝えていこう。
いま、じぶんにできること。
それはじぶんが楽しみ、必死さを「ワクワク」に変えて、じぶんを伝えていくこと。
じぶんの中にある「ガラクタ整理」をはじめとした、いろんなことを伝えていくこと。
そう、考えたら、何だかとても楽しみで、わくわくしてきたじぶんが、いました。