つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

背中とハートを押されて。久々にカードを引いてみました。

昨日は風雨が強く、出かける気さえ起きなかった荒天の札幌。

 

 

この天気が続くと思っていたのですが、一転今日は強い風が残るものの、澄み渡る晴れ間がのぞいています。

 

予想気温も25度を下回り、相変わらず暑いけれども過ごしやすい天気となり、これで少しは体を休めることができるかなと感じていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けさ、ルーティンワークの瞑想をしていて、ふと

 

 

 

 

 

 

「カードを引いてみようかな」

 

 

 

 

 

 

 

と思い立ち、瞑想を終えた後にカードを取りに戻りました。

 

 

 

 

これまでカードはイベントの時に引いていましたが、朝のワークで引くのはほんとうにひさしぶりのことでした。でも引いてみようと思ったのは「そろそろいいかな」という考えからではなく、純粋な気持ちで「カードに触れたい」「引きたい」という気持ちが高まってのことでした。

 

 

 

 

 

そして久々にカードを手にすると、カードが「リセット」されている状態に思えました。僕を待ってた?(笑)と思い、カードを抱えるように持ってから

 

 

 

 

 

 

「これからもよろしくね」

 

 

 

 

 

と、語りかけるように気持ちをカードに添えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなふれあい?の後に引いたカードは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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No.40 宇宙の真実 でした。

 

キーワードは「宇宙の現実」「高次の叡智」「魂の知識」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真の自分を信頼し、信じてください」との言葉が添えられています。

 

 

 

 

今朝はカードを引く前に質問はせず、感謝のことばを語りかけてから引いたのですが、それに応じるかのようなカードが出てびっくり。粋な計らいに頭が下がる想いです。

 

 

 

 

前世(過去世)からの記憶は現代に着実に生きており、その思考のもとは昔から脈々と続いているものだとしています。新たに修得したものでも、それが自分の中で「忘れていたもの」とリンクするならば、修得した時点でそれがすべて「甦る」感覚に見舞われると考えてもいいのかと思いました。

 

ただわたしたちは日々「制限」の中に生きているため、なかなか叡智というもの、今で言うなら自己啓発系のセミナーや本、ワークなどの効果や影響を「受けづらい」環境の中にいると思います。その枠を外すには何もバカ高いお金を払う必要もないと思いますし、何か特定の対象を信仰しなければならないということもないと思っています。

 

 

肝心なのはすべて「個人」です。「個人」の外にある「何か」ではありません。

すべて「個人」の中にあると考えたほうが、本来のことでありまた「自然」なことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしが生きている間に知りたかったことすべてを「理解」するのは不可能です。

それは単に「情報量が多い」からとか「理解できる知識がない」からではありません。

 

 

 

仮に「生きているあいだ」はどうしても理解できないことがある。

それは「生きること」を全うしてからでないと理解できないとしたら。

 

 

 

考えて理解することだけに捉われず、もう少し感じることを楽しむ時間が増えていくのかもしれません。そしてそれは当初予想していなかったかたちで、本筋の展開を示してくれるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の日記ですが「わかりにくい」と一撃をくらいました。ちーん。

わたし自身は、表現力や伝える力といったものへの見方を変えていく必要がありそうです。