つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

大地くんに共感したひとたちと語った日。~洞爺湖町佐々木ファーム 大地とあそぼう。2016~

大地とあそぼう。2016に参加したことは、昨日の日記に書きました。

 

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 畑。

 

札幌市から車でおよそ2時間のところに会場となった「佐々木ファーム」はあります。

ここで無農薬栽培を行っているということは、ひょっとしたら一般にはあまり

知られていないのかもしれません。しかし飲食店ではこの存在を知っているところが

多くあるようで、わたしが東京へガラクタ整理の講座を受けに行ったとき、偶然にも

佐々木ファームの野菜を取り扱っているお店に出逢ったこともありました。

 

 

 

しかし、現在の農業で生産される野菜の大多数は農薬を使用しているものだと

思います。その次に有機栽培になって、最後のほんのちょびっとの割合で無農薬が

出てきます。

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収穫体験でいただいた人参。

 

昨今ではこの農薬が人体や土に対してダメージを与えるということで敬遠する人も

徐々に増えてきているようで、ここから口に入れる食べ物への関心が高まって

きていることはとてもいいことだと思います。ただ気をつけたいのは、農薬を

使っているから「排除」という流れにせず、徐々に変化、または移行していく

流れを作ってあげることが大切だと思っています。

 

消費者はあれがいい、これが悪いとあの手この手で吹聴します。ときには理想的な

生産をする生産者には賛美を、そうでない生産者にはこの上ない罵声を浴びせます。

まるで人殺しだというような、そんな勢いで。しかし、悪いのはその生産者なので

しょうか。何かを名指しして悪いと批判するよりも、ソフトに次の段階へ移行する

手助けをするというのが最もクールであり、あるべき姿のように感じます。よく

SNSでも野菜に限らず多岐に渡る食品に対して「こんな風にして生産されている

食品はやめるべきだ」と、まるでデモのような勢いで投稿している人を多く

見かけます。それに対しては信念に駆られた行動だとは思うのですが、伝え方を

間違えれば脅迫になるだろうし、たとえ正しいことであったとしても、その真意は

絶対に伝わらず、却って距離を置かれます。

 

そして、忘れてはいけないこと。それは、最初から無農薬栽培では立ち行かなかった

であろうということを理解しなくてはなりません。今だからこそ、無農薬栽培に

挑戦できる社会的環境が出来つつあると思うくらいで丁度いいのです。その他にも

食品に関しては様々な問題がありますが、50年前だって食品の生産にはその当時

独特の問題があったはず。時代に合わせた生産を、1軒でも多くの農家さんが

行っていただければ御の字と思うべきだと思います。これはあくまでも個人的な

考えですがね。

 

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イチゴとベリーのスムージー。

見切れているのはジオピザ。

 

 

 

話を戻して。

 

 

 

イベント最中も食べて飲んで。

水分だけは細かく補給していたので、結構水っ腹。

 

 

 

イベント会場でホテルに泊まる方たちと合流し、イベント終了後にホテルへ移動。

 

夜には今回イベントにお誘いいただいた、特定非営利活動法人ハートオブミラクルの

ツアーで参加した方たちを対象とした懇親会が洞爺湖温泉街にて行われました。

 

 

そこで驚いたのは、本州各地から本当にたくさんの方が来ていたこと。

北海道(札幌)はわたしひとりというのにも驚きましたが。

 

 

食材は海鮮を中心に揚げ物やら何やらたくさん網羅されており、北海道の食材に舌鼓を

打ち、その味に感動していたことが何よりも印象的でした。やはり北海道の食材は

美味しいのだなぁと感心するとともに、それを日常的に食べることのできる環境で

あることに感謝しなければとも感じました。食材はかんたんに出来るものではない

ことを知りましたし、生産者の想いが込められているんだよなとも感じました。

いつ頃だったかは忘れましたが、お食事をいただく前には「いただきます」そして

食事が終わった後には「ごちそうさま」を言う癖をつけています。

 

 

懇親会ではひとりひとことかんたんな挨拶を済ませた後は思い思いに食べては喋り、

出し物に拍手が起こったりと忙しく時間が過ぎていきました。わたしの隣には

ハートオブミラクルの代表、並びに「大地の花咲き」をはじめとした作品の監督を

務めた岩崎靖子さんがいらっしゃり、映画撮影中のこととか、イベント時のトーク

ライブのことなどをお話させていただきました。岩崎さんはとても丁寧に説明して

くださり、感謝と感激でいっぱいでした。

 

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岩崎さん。

 

 懇親会を後にすると、ちょうど洞爺湖花火大会が始まっており、つかの間の花火を

楽しむことができました。洞爺湖の花火は4月の下旬から10月いっぱいまで、毎年

行われている名物行事です。過去には不況のあおりもあって花火を中止するという

話も出ていたようですが、議論の末現在でも続けられています。これには国内外

問わず観光客も大喜びで、短時間ながらも平和な光景が洞爺湖の水面に映っている

ようでした。

 

 

 

部屋に戻った後は同室の方たちと延長戦へ。

それぞれがどんな仕事をしているか、どんなことをやりたいかなどで花が咲き、

お酒もちゃんぽんにしてしまったので最後はべろんべろんの状態で終了。

お風呂にも入らず、歯も磨かずに眠りに落ちました。

 

 

 

 

 

 

そして、翌朝。

 

 

午前6時前。

 

 

同室の一番若い子が元気に

 

 

 

「おはようございます!突然ですがこのあと6時30分に

遊歩道まで出てきてください!」

 

 

 

寝ぼけている状態のわたしともう一人の方は

 

「じゃあ、急いで風呂入らないと」

 

と、その言動を疑問に思わずすぐに行動に。

 

 

 

 

ささっとお風呂を済ませ、着替えた後で外出。

 

爽やかな空気が心地良い中、案内されたのは、なんと・・・

 

 

「ボート乗り場」

 

でした。

 

 

 

 

え?ボート乗るの?

 

「はい!早朝クルージングです。

これがサプライズです!」

 

 

 

 

 

まじかぁ~!!!

 

 

 

 

ここのボート乗り場ではよくあるアヒル型のボートと、高速船のようなボート、

そして遊覧船があり、幾つかのコースの中から選んで航行することができます。

 

今回は短時間のコースを選択してくれており、早朝の穏やかな、そしてひんやりと

冷たい空気を感じることが出来たのです。

 

 ボートで中島を中心に周りの島を見て回ると、緑の多さに驚きます。

これが本来の自然の姿であり、生態系を維持する姿でもあるかな、と。

中島には結構鹿がいたそうなのですが、繁殖してきたため近年減らしたとのこと。

そのため、ボートに乗った日の朝には鹿は姿を見せていませんでした。

 

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小山の向こうから朝日が射してきた。

 

 

 

 

そしてゆっくりと乗り場へ戻り、朝食。

 

ここで昨夜のメンバーと再会し、その後別れを告げました。

 

 

軽い気持ちでイベントに参加したつもりが、結果として導火線に火をつけられた

ような感覚を抱くことになりました。それは、異業種であるはずの人たちが共通の

ことを話すことによって、まったく新しいアイデアが浮かぶことがあるからです。

まだまだ始めたばかりのわたしの仕事であってもその内容に興味を持って下さる方が

おり、ある程度形になってイメージできるようになった際には、呼んでい頂ける

可能性が出てきたほどです。それが実現するかどうかは、やっぱり「努力」しか

ありません。今すぐに結果は出なくても、何年か先のことを見据えた行動が

出来ていること。明日のための結果はまた別にタスクを立てて展開を起こすことが

大切だとも学びました。

 

いま、手の届かないこと、手の届かなかったことに対して「諦め」を簡単に

してしまう傾向があるように感じます。わたしもそっちの側の人間で、すぐに手を

引いてしまう、どうせ自分はダメだ、お金もなければ仕事もない。志だけがあっても

何も太刀打ちできないじゃないかと不貞腐れる局面が多くありました。でも、

それは「今」だけの判断であって、その後の努力次第では「どうなるかは誰にも

わからない」わけです。仮に「わかりきったこと」と発言する人がいたとしても

それは「予測」でしかなく、確定要素は何もありません。ときに人間は自分の

正しさを証明するために他人の志を簡単に、無慈悲に折ることを躊躇なしに

行います。自分の正しさが本当に正しいのかを確かめる前に行ったりすることも

あると思います。そうなってしまうと、そこには単純な「利益」があるかないかの

差になってしまいます。利益は正しさとはまた違う分野であるはずなのに、それを

単なる「よいこと」のつながりとして捉え、結果を導こうとします。加えて、人は

必要最低限にも満たない程度でしか言葉を発しません。これではコミュニケーション

も難しく、誤解が生まれても仕方ないことになります。しかもそれですら

「仕方ない」と処理をしてしまう。

 

節目節目で感じてきたことですが、この世の中は人を「諦めさせる」力が強く働いて

いると思っています。それは詰るところ、自分の力の証明をしたいがための行動に

過ぎないのかもしれません。

 

 

 

 

洞爺湖のホテルを後にして、向かった先は札幌ではなく、有珠山

 

それも、有珠山ロープウェーではなく、登山道

 

洞爺湖温泉街から車を走らせておよそ30分のところにあります。

 

 この日は有珠山の登山を行い、その足で室蘭市へ行く予定となっていました。

 

 

 

 

 

 

ここでわたしは、またというかなんというか、打ちのめされることになります。

それは、わたしを「諦めさせる」にはじゅうぶん過ぎる力を持ったものでした。