つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

手を合わせて想いを馳せる。先人に、そして自分と、自分と関わる人たちに。

ここ数日、テレビではリオ・オリンピックの特別番組が放送されています。

そして、ひっそりと行われているのが夏の甲子園。テレビだけを見ると、この夏の

風物詩ががらっと変わった印象を持ちます。

 

そんな中、今年も8月15日を迎えました。

わたしは先週末に栗山町と苫小牧市に車を走らせ、お墓参りを済ませました。

もうひとつ、お墓は石狩市にあるのですが、こちらはタイミングをずらして

墓参することになっています。

 

 

 出発は土曜日でしたが、なんと高速道路までの道のりが渋滞を起こしており、それが

高速道路本線にまで続いている状態と判明。札幌から岩見沢IC(インターチェンジ)

まで、18kmの渋滞と電光掲示板で表示されているのを見たときには流石に驚き

ました。遅々として進まない状況とわかったので、高速を使わず下(一般道)を

使うことに変更。それでも主要道路へ合流する際は渋滞が発生していました。

自宅から車を走らせ、隣の江別市に入るまで何と1時間30分。

栗山町に到着したのは、それからおよそ1時間後になったため、予定がかなり

ずれこみました。一般道の渋滞も札幌市近隣限定だったようで、苫小牧市

近づくにつれスムーズに走行ができるように。結局予定よりも1時間押しほどで

予定を消化することができました。

 

車の中でぼんやりとしていた時間が多かったためか、ふとこんな素朴な疑問が。

それは「終戦の時期って、お盆と重なってるんだなー」ということ。

そういわれればそうだねって感じなのですが、凄い偶然を感じてしまいました。

 

 

 

戦争が行われていた時代は、今からもう70年も前になります。

映像や資料として残っているものは数多くあり、戦争というものがどれほど悲惨な

結果を生んだものであったかは、戦争を体験していない世代であっても、大まかに

知ることはできます。大まかではあっても、戦争に使われた道具の脅威はわかる

はずだし、それぞれの国の立場やプライド、思惑なども理解はできるはず。その

戦争も集結して、なんやかんやと条約を結んで、各国が「平和」に向けて進んで

いるはず・・・と思ったら、実はそうでもないという事実。なんか、昔っから

人間が抱える「癖」というのは変わらずに来たのかなと思ってしまいました。

 

 

結局人は争う(または競う)ことが好きみたいだし、人は他人に責任を被せることが

好き。

自国の正当性を主張する反面、他国を批判してこきおろすという醜態はもはや

日常茶飯事です。それのどこに「平和」が垣間見えるのかは、正直わかりません。

 

 

言うなれば、このような姿勢は「本音と建て前」を切り分けて使っています。誰も

自分(自国)は損をしたくないわけです。負けたくないわけです。遅れを取りたくない

わけです。そうなってしまうと「~あらねばならない」的思考が働き、戦略を

練ります。武器ではない他の手段を使い、自国に有利になるように展開を

起こしていくのです。そしてそれが「平和」につながると頑なに信じているように。

 

そしてそれは何も「国家」という単位に限らず「企業」であったり「個人」にも

当てはまるところはあります。

 

 

どのような単位(国家~個人)であっても、判断し、動かなければならないときが

あります。国家が生きていくための使命は何なのかは大きすぎてわからない部分が

ありますが、個人の人生に置き換えてみるとどうでしょうか。

 

古来、わたしたちは生きることを終えた後には「天国」へ行くと教えられていました。

その後「成仏」だったり「解脱」だったりと、補足説明が加わり、じゃあそれを

遂げるためにはどうすればいいのかみたいなことを授業でかんたんに習ったり、

宗教団体を通して教えられたり、または自身の経験から学ぶことになります。

要約すれば、この世界に人間として生まれ出た理由は何かしら「為すべきこと」が

伴っています。生を終えるまで生き抜くということもそのひとつですが、生まれた

人の数だけいわゆる「ミッション」のようなものを背負っている、ということに

なると思います。

 

そのミッションを果たすためには、どうすればいいか。

それはまず「生き」そして「変化しなければならない」ことに気づき「努力する」

ことに尽きると思います。

 

 

学校の授業で「六道輪廻(ろくどうりんね)」という単語が出てきたかと思います。

この輪廻の輪を脱するためには~てな話も少しは出ていたかも。じゃあ実際に

どうすれば?となったときには、自分では自覚していなくても自分に課せられた

ミッションをしっかりとこなすことがそれにつながるのだと考えています。

 

それが出来なければ、死後しばらくしてから「生まれ変わり」が起きる。

ダライ・ラマのように前の世代での記憶が残っているというのはごくまれですが、

そういったサイクルが「実際にある」ことだとしたら、人間として存在している

わたしたちには何らかの責務があると考えても不思議ではないです。

 

 

 

でも、普段わたしたちはこのような「ミッション」を意識して生活はしていません。

リアルに、自分の生活に関わることを意識して生活していると思います。

仕事のこと、お金のこと、住まいのこと、パートナーのこと・・・

その組み合わせは無数にありますし、それぞれに置かれた環境でも大いに異なって

きます。

 

その中で「ミッション」を意識した判断などは、ほぼほぼ無理です。

 

自分はもうこれ以上苦しみたくないとか、困りたくないとか、お金・家・愛情全て

手に入るとか、いろいろ考えて、時には気持ちよりも実益を選択したりします。

その判断はご自身でされたものなのでとやかく言う権利はないですが、苦しみから

抜け出すために判断した選択は、わたし個人としてはごく「一時的なもの」に

過ぎないと考えています。

 

理由は「ミッションを果たすことを棚上げにしているから」。

 

 

 

個人的な経験上の話をすると、苦しい・辛い局面で「それから解放される」判断を

して動いた場合、不定期ではありますが形を変えて苦しい・辛い局面は「また」

訪れます。やっかいなのは、また訪れた局面が「キツイ」ものになっていると

いうこと。この背景を考えてみると、年齢を重ねていたり、仕事等で身動きが

とりずらいというのが挙げられます。人が変わるための大きなターニングポイントは

「いいこと」の中ではなく、実は「辛いこと・苦しいこと」の中に隠れていることが

大いのではと感じています。

 

ただ、人によっては感じ方は様々なのでわたしが話す印象そのものではないと

いうのも事実。でもひとつだけ言えることは「その局面に対して自分は納得するほど

動いたか」ということ。色んな制約があるかと思いますが、それを「枠」にして

十分な検証もしないまま判断したとあれば、それは遅かれ早かれ「また」姿を現します。

 

 

 

わたしはそれを何度か経験しましたし、つい先日も経験しました。

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

わたしの場合は辛く・苦しく・心臓が止まってもいいと思うほどのものでしたが、

これをクリアしなければならないんだということを、先日いただいた励ましで

恥ずかしながら思い出しました。ただ、これからも同じようなことを口にすることは

あるかもしれません。そのたびに、生きるんだ、生き抜くんだということを思い出し、

この苦しみや辛さにのまれず、自分がこれだと思うことのできる選択をとり続けたいと

思います。

 

 

 

それは誰かとの約束のようでもあり、また、自分自身との約束のようでもあります。

例えるならば、自分の大切なものは「どこかに預けてある」状態。そのまま

引き取らずに人生を終えてしまっては「やり直さんかい!」と言われ、次の人生も

同じミッションを背負って生きる・・・ということになりかねません(憶測です)。

 

仮に、同じミッションを数世代がかりで果たすことが「設定」されていたとしても、

この世代でやらなければならないこと、やれるならやっておきたいことはあるはずで

す。この時点で「成仏」や「解脱」とか「光になる」ための方法がこれだと確実な

ことは言えませんが、それを頭でしかわかっていない人に比べれば、自分のいのち、

またはたましいを通して体現できるだろうと思います。それは「正しい」「間違い」

「苦しい」「辛い」ではなく、単純に「やるべきこと」「必要なこと」として捉え、

納得のいく判断を下したいと思います。

 

 

昨年の夏から秋口にかけて、点描画アーティストの秋山さんに接する機会が何度か

ありました。それ以降「敢えて」お逢いすることはしていませんが、次に逢うまでの

インターバル期間を「3年」と秋山さんは表現されていました。

 

 

最初の1年が、あと少しで終わろうとしています。

この1年での挫折と、成長をどう感じていただけるかはわかりませんが、これほどの

変容を遂げるとは思っても見ませんでした。

ホップ・ステップ・ジャンプの「ホップ」の集大成が、もう少しで出来上がります。

その後の「ステップ」「ジャンプ」のときに、自分はどうなっているか。

 

わくわくです。それしか言えません。

もちろん、ネガティブな感情もありますが、それをもひっくるめてしまうものを

持てそうな感触はあります。今はまだ言葉ではうまく伝えることはできませんが、

この先をどうか見ていてください。自分でも伝えていきますが、感じたことが

あれば教えてください。わたしという人間が、どのような「変化」を遂げていったか

を。

 

 

 

 

 

 

 

 

去年と今年とでは、位牌を前に手を合わせたときの自分の心持ちが大きく異なりました。

それは故人が安心してもらうためにはじゅうぶんな決意と、生命力が漲っていました。

それは夏の暑さが肌に突き刺さるほどの、大きな大きなエネルギーでした。

 

 

 

 

 

 

 

ぼくはもう決めたんだ。

 

きみを迎えに行くと。

 

何年、いや、何百年かかっても。

 

それが、ぼくに課せられたことだとわかっているから。

 

 

いまはまだ、その時じゃないって突きつけられた。

だから、いまはまだ預かってもらうよ。

 

 

 

 

 

その時が来たら、ちゃんと引き取りに行くから。

 

それまで、待っててくれ。

 

 

 

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-追記-

 

戦争は悲惨なものしか生まない。

 

ひとつのメッセージとして、これを。

 

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