つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

決して「嘘」をつかない存在。「偽らない」存在は「努力」でした。外に出て初めてわかった、わたしだけの「力」とは。

 

今朝は久々に座ることができました。

 

わたしの場合「座る」とは「瞑想」を指します。

 

 

 

昨年の7月にヴィパッサナ瞑想を学びに千葉県へ単身飛び、本格的な瞑想に触れてきました。以来自宅で、出張先で、喜んだ土地、打ちのめされた土地で瞑想を自主的に行ってきました。

 

 何故現在も瞑想を続けているかと言うと、以前にこのような記事を書いていました。

 

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 要するに、自分が展開していく仕事を続けていくためには「必要な要素」がそこに含まれていると感じたからです。以前であれば瞑想はいかにもという感じで、それこそ悟りを開くとか、何かしらの霊的な能力を身に着けるかのような印象を持たれていた方も多いかと思います。

 

しかし実際のところは違い、集中力をつけるにはもってこいのトレーニング方法でした。もってこいと言った理由は「何も用意しなくてもできる」から。環境に左右(外の音など)されるところはありますが、身ひとつで出来る瞑想は、現在は様々な立場の方に取り入れられています。また座禅も多少ながら経験していることから、座る姿勢を保つということには慣れていました。そこも功を奏していたかなと自画自賛しています。

 

今朝はこの瞑想を1時間超行うことができました。

その時間は、目を瞑って、ただひたすら座る。

何も考えないで座るのです。

ただ、肌に感じる外気の生温かさ、体から出る熱気など、肌に触れる温度を感じ取ります。

 

集中が続けば(これが一番難しい)30分や1時間はあっという間ですが、集中できないと逆にこれが異常に長くなります。体調やメンタルにもよりますが、長く座ることができる日と、ほんの数分しか保つことができない日があるなど、ばらばらです。

 

  

わたしがこの瞑想を行う理由は

 

・天使や神など、偉大な存在からのメッセージを受け取りたい

 

からではありません(笑)

 

 

 

上記は、無理です。できませんというより、やりません。

理由は簡単です。メッセージを送ってくる相手が「誰かはわからない」からです。

こっちの思い込みでそんなことをすると痛い目を見るので、やりたくてもやりません(笑)

 

 

上記は素質の問題と、ちゃんとその感覚を「紐解く」ことができる人間に限られると思います。何もわからずただ降りてきたものを伝えているようでは、そのセンスに疑問を持つのが普通だと思います。

 

 

 

 

 

 

話を戻しまして。

わたしが瞑想を行う理由は「集中力の強化」と「センスの練度を上げる」そして「揺るぎなさを確立する」というのが主な目的でした。この中には自分の心をクリアリングするとか、ガラクタ整理時の部屋の気の確認、そしてオラクルカードを引く際の能力の引き上げが含まれます。

 

瞑想を行うまでと、行ってから数か月後のわたしは、いわばグラグラな人間でした。

瞑想を教わったとは言っても、それが自分のものになりつつあるまで、その後半年ほどの時間を要します。それほど簡単に身につくものでもないし、簡単に変化が訪れるわけでもないのです。それでもわたしがこの瞑想に賭けたのには、これからの人生を生きていくための必要なエッセンスだと感じたからでした。

 

もちろん、この瞑想を最初から知っていた訳ではなく、人を介して紹介を受けました。その後すぐに現地へ申し込みを行い、昨年の7月に単身千葉県へ渡ることになります。

 

 

この瞑想合宿のことは別に書きますが、一言でいえば「苦行」でした。

 

 

よくギブアップせず出来たと思います。

梅雨に入って、それが明けての環境を経験したので尚更ですが、一時は精神的に追い詰められました。そして、追い詰めましたね。

 

 そんな経験をしたからこそ、現在も瞑想を続けることが出来ているのだと誇りに思っています。そしてその瞑想は、着実に自分自身を鍛えていると感じることが出来ています。

 

昨年の今頃から比べたら、その変化に驚く人がいるだろうというくらい。

それは外見ではなく、もろ内面です。発展途上ではあるものの、あの日からかなり遠くへ来たという実感があります。

 

久々に1時間以上も座ることが出来て、本音は嬉しかったです。

それは先日愚痴日記(笑)を書いたからなのかもしれませんが、やはり「打ちのめされて」からの心の切り替え、諦めない気持ちの火が強くなったことに尽きると思います。

 

 

 

 

 

 

先日、友人宅にお邪魔し、ふいにガラクタ整理の話になりました。

そこのお宅は一軒家で、一階はとても過ごしやすい空間になっています。

二階は冬場に覗いたきりで上がったことはないのですが、二階のガラクタ整理を行っているということで、現在の状況を見せてもらうことにしました。

(この話は本人にブログに書くことを了承いただいています)

 

 

 そこで不思議な体験をしました。

この日の夜の札幌もまだまだ蒸し暑く、風が入れば多少は涼しいと言える状況。

そんな中で二階に上がり、とある部屋に入った途端

 

 

ざわざわざわ~っと寒気が走りました。

しかも、鳥肌つきで。

 

 

 

なんじゃこりゃ!?と思いました。この部屋そんなに寒いのかな?とも。

 

 

 

不思議に思ったので部屋の様子を聞いてみると

 

「長時間居たくない」状態なのだそう。

 

もちろん、下の階に比べれば整理が進んでいないのでそう思ってもな・・・と考えたのですが、この寒気はどうして来るのだろうという疑問が湧きました。

 

その後部屋を見て回るのですが、モノのエネルギーを測るため、収納場所それぞれに手を当てて感じ取る方法でチェックを行いましたが、そこで気になる箇所が出てきたのです。

 

 それはその部屋のパソコンスペースなのですが、部屋がそこそこ広いため、本棚で区画分けしてパソコンデスク等を設置していたのですが、寒気はどうやら仕切りとしても使用している本棚から来ているものだとわかりました。本棚は小さい区画に分かれており、各所に書籍や書類などが収納されているという状況でした。それを順番に手を当ててチェックしていくと・・・

 

 1か所、ひどく鳥肌が立つ場所がありました。

鳥肌の立ち方もまた異常で、そこから手を離すと鳥肌も引くのですが、そこに手を当てるとどうだと言わんばかりの鳥肌が立ち、それはその場にいた友人にもわかるほど。

 

 

 

そして、その鳥肌が立つブロックの詳細を確認することにしました。

 

そこには書籍と写真が飾られていたのですが、書籍は問題なし。ですが、

飾られていた写真を手に取った瞬間、これまでで一番の鳥肌が立ったのです。

 

  

その写真のことを聞くと、写真に写っている人物は既に亡くなられているとのこと。

更に聞いていくと、その写真は「遺影」であることがわかりました。

それが理由かどうかはわかりませんが、霊的な恐怖(どんなだ)というものは一切なく、鳥肌が立つという感じから、部屋の気を下げているのは確かだと断定。友人にもそのことをお話し、写真の扱いを変えたほうがいいとアドバイスしました。

 

もちろん、遺影ではあっても大切なご家族の写真であることには変わりないため、整理の方法についてはしっかり考えるとのこと。すぐに進まないにしても、そこまでの歩みがしっかり行われれば問題ないなと思いました。

 

加えて、その写真を何故飾っていたのかと尋ねてみたのですが、本人もさしたる理由はなかったとのこと。何となく飾った写真がこのような気を発していたのは、本人も驚いたと思います。

 

その後、二階の他の部屋を見て回り、現在の所感を述べてこの日は終了。

友人はちょうど体調を崩していることもあり、ガラクタ整理に充てる時間帯にも注意が必要と付け加え、その日は終わりました。

 

 

  

上記のような状況で「鳥肌が立つ」のは尋常ではないくらいおかしいことです。

人によっては「霊」の類を疑うかもしれません(笑)

 

でも「霊」の影響ではないと断定したのはそこに「恐怖」がなかったこと。

わかりやすく言うと「触れるな」「捨てるな」といった強いエネルギーはなかったのです。

単純な鳥肌であり、普段とは違った鳥肌。それらの違いから、そこから「わたしは下げる気を放っていますよ」というメッセージを受け取ったものと判断しました。

 

これだけ言えば霊能力と言われても・・・と思いますが、ただ手かざしをしているだけなのです(笑)かざしている間はどのような反応があるか、集中はしていますが。

 

とはいえ、ここまで自分がガラクタに対する「感度」が高まっていることには純粋に驚きました。そして、ここまでの努力は無駄ではなかったと嬉しく思いました。だって、必死でしたもの。一度ならず二度までも、その後何回か人生を投げ出そうとした人間ですから。

 

 

 

今回の友人のケースも多少ぼかしてはありますが、とてもいい経験をさせてもらったことは確かです。気がつかないうちに、これほどまでになっていたとはという率直な感想です。それもこれもすべて、努力の賜物であり、たくさんの人に支えてもらったお蔭であると言えます。

 

そしてこれは、強みになります。

他の人には決して真似できないガラクタ整理を提供することが出来ます。

 

そしてこれは、オラクルカードにも活かされていると信じています。

 

 

 

 

打ちのめされることはあるものの、自分自身が歩んできた道は決して無意味ではありませんでした。それは遠くに離れてしまったものを手繰り寄せるための、いわば助走時間にあたるのかもしれません。今後どのような展開が待っているかはまったくわかりませんが、わたしはこのガラクタ整理で全道(北海道全体のこと)を駆け巡りたいし、本州にも行きたい。それはオラクルカードも同様で、わたしだけのことばで伝えていきたい。わたしのイメージが実現するかどうかはわかりませんが、自分の人生の時間が終わるその時まで、諦めずに展開し続けていきたいと感じました。

 

 

 

 

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今朝は瞑想後に自分でカードを引いてみたりしました。(5枚引き)

 

 

 

 

 

 

これも、今後は対面セッションのときに展開していきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月25日、森のCasaCafeに出店します

 

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