つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

遠回りでもベストな選択でもいい。「変化」や「進歩」をしていくことが、結局は自分を助けます。いろんな経験がほんとうの自分を創っていくんだ、というのが納得できるように。

 

8月度の「森のCasa Cafe」無事に終了しました。

 

 

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今月もごちそうさまでした。

 

 

 

 

のーんびり過ごさせてもらいました。

久々に小説読みました、ほんとに。

 

 

自宅にいるとあれをやる、これをやるという風になってしまい、落ち着いて本を読む時間がなかったのが正直なところ。「何もしない」時間を創っていたりするのですが、本を読む時間は、ひょっとしたら今は必要ないと感じていたのかもしれません。

 

 

 

その後小さなお子様を連れたお客様がいらっしゃり、会話に花が咲きました。

小さいお客様は、最初は離れた位置でこちらに興味を示し、ちょっとずつ近づいてくるというなんとも微笑ましい光景を見せてくれました(笑)

場所にも慣れてきたせいか、だんだんとわんぱくさを発揮し、活動的になる姿を見ながら一緒に遊ぶ自分を客観的に見て「ああ、今月も必要だったんだな」と感じていました。

 

小さいお子さんのパワーは、やはり大きいです。

それに真正面から向き合っていくと、かなりの疲労感を得ます。

だからこそ、子育てはとても凄いことで、感服すると思いました。

 

 

親御さんと話を進めていたところ、ガラクタ整理の話に。

やはり「整理はしたい」という気持ちでいらっしゃるそうなのですが、小さい子どもがいることと、整理がどうも苦手なのだそう。整理への気持ちが「萎える」状況は様々だと思うのですが、目が離せない立場の人たち向けのサポート(ガラクタ整理のね)をしていくことで、その場限りではない、子ども大きくなった時でもその時の経験が「活かされる」かなと感じました。自分がどこまでサポートをしていくかを、しっかりと考えるいい機会になりました。そして、小さいお客様、遊んでくれてありがとうね(笑)

 

 

 

 

月イチでも、普段自分が接しない人と話すということは、色んな意味で「刺激」になります。それは自分が考えることもしなかったことだったりします。

 

そんなことを考えさせられる話を聴くことができたのも、大きな収穫でした。

 

 

 

人間に限らず、この世のものは「変わる」のがアタリマエです。

人間の姿もそうです。周りの環境(景色)もそうです。

目に見えるものも変われば、心などといった見えないものも変わります。

変わるのがアタリマエなのはどうしてでしょうか?

それは「進化」または「進歩」といった「変化」が起きているからだと考えています。

 

 

 

人間の出逢いや別れも、その「変化」がもたらしたものです。

昔空き地だったところに建物が立つことも、その「変化」がもたらしたものです。

 

 

 

その変化は、万人を「共通の認識や理解」に導くかもしれません。しかし、受け止め方はその人それぞれのため、必ずしもそうはならないというのが正直なところです。

 

Aさんという人がいて、Bさんはその人のことをいい人だと捉えていたとしても、Cさんはその人はトラブルメーカーだとして嫌っていたりもします。おそらく、Aさんはそのどちらの面も持っていると思うのですが、人によって見せているのが異なっているからそんな風になってしまうのではと思います。

 

じゃあ、お互いがAさんについての認識を改めるべきか?そこまでする必要はないかもしれません。無理に改めたってその認識が「腑に落ちる」かどうかは別問題です。逆にこじれさせてしまう可能性もありますから、それは今後の展開に任せたほうが賢明だと思いました。あとはAさんが自身の経験として「好意的に受け止められている」という現状のみを支持するのではなく、嫌われ、非難され、離れてしまったという「事実」をも受け止め、今後どのように振る舞っていくかを真摯に考える必要はあります。その努力をしなければいつまでたってもほんとうの意味での「進歩」「進化」はありません。

 

 

 

 

 

わたしだって、かんたんないさかいから離れてしまったひとはいます。

結果、自分から離れたこともあります。

 

その事実を見て「相手が悪い」と一時的に考えたこともあります。自分に非がないとも。

でも、それで解決するかというと「そうではない」。

幾度か起きた「事実」と向き合い、考えを改めるきっかけを得ることができました。

 

もちろん、距離が出来てしまった後なので、相手の認識を変えることはこの時点ではほぼ無理です。連絡先がなければ尚更でしょうし、仮に連絡した(できた)としても、その真意が伝わるかどうかはまた別の話です。

 

 

 

そんないさかいを起こすときは決まって「不安定」だった時のように感じます。

いさかいが起きる時点で何かしらのバランスは保たれていない状態なのですが、そんなことは知る由もなく、感情的になり、自分のことを棚に上げて、相手を責める。

 

そんな中で自分やその相手に「非」があったとしても、己の「正当性」を貫こうとして素直に「謝る」ことすらもできなくなる。そこには「説明しても無駄」という考えが混在しているかもしれません。それが、一番残酷な方法だと知っていながらでもです。何かを正直伝えることも、その逆で無言を貫くことも、相手にとってはこの上ない「苦しみ」になり「痛み」になります。ときには生死を分ける「苦痛」になることも。そうまでなってしまっては、果たして一連の出来事が「必要なこと」だったのかどうかすら解らなくなってしまう。長年にわたり、多くのひとが経験したことのように思います。

 

 

 

それはある意味、ずっと解決してこずに「棚上げ」にしてきたことが「顕われた」ときに、しっかりと向き合い、対処してこなかったからだと思っています。ずっと先延ばしにしていくと、その問題はどんどん大きくなります。部屋の中に少しずつゴミを溜めていくようなイメージでしょうか。最初は少しのゴミであっても、対処せず溜めていけば、ひとりの手には負えないほどの物量にまで「かんたんに」膨れ上がります。

 

 

 

じゃあ、どうすればそういったことが「解消」出来るか。

 

 

それは、遠回りしてでも「変化」する。「進化」するしかないと思います。

廻りまわって「結局そこかよ」と言われたとしても、その内容に対しての理解度は遥かに違います。理解だけではなく、体得という感覚に近いものを得て「戻ってくる」ことも、わたしは立派な「変化」や「進化」だと考えています。

 

 

 

わたしも、このブログで書いていることがこの先いつしか「変わる」かもしれません。

それは「ころころ」変わるのではなく、必要なプロセスを経るかのように、全てがあたかも「道筋」に見えるように、書き表すことを「進化」させていきたいと感じました。それは人によっては「後退」とも「真逆」とも感じ取られるかもしれません。現状判断ではそのように見られても致し方ないと思いますが、ある程度の期間「進んだ」ときに、これまで歩んできた道筋を振り返ったときに「最高のストーリー」が出来上がっていれば、それでいいのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

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No.16「受容」

 

キーワードは「受容力」「識別」「承認」「意欲」

 

 

 

 

わたしが今後の人生の時間を使って目指すことは、人間が感じる「達成」には至らないかもしれません。しかし、その道を歩むと決めた心に何をもたらすか。そこには「結果」ばかりに気を取られるのではなく「進んでいく様」を見ていくことを大切にしていくことと感じました。結果という「点」ではなく、結果を含めた「線」を見て、感じ、受け止めるように努力すること。とても苦しく辛いことですが、今はその鍛錬が自分を進化させ、強くしていくものだと信じます。

 

それが、来るべきときに「展開」を起こすための、準備のようなものだと、思っています。

 

 

 

 

 

 

 

~お知らせ~

 

8月27日(土)~8月29日(月)の3日間はPC環境がない場所にいるため、整理棚からひとつかみを掲載します。ご了承ください。 

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