つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

糸は1本じゃない。無数につながっているんだ。

きょうはイベントを二軒はしご。

 

 

 

 

 

一軒目は久々に参加した「森のCasa café」

ここ3か月ほど予定がかぶっておりましたので、すっかり寒くなってしまってからの参加となりました。

久々に行ったので、久々の顔ぶれに逢い、久々に珈琲を手淹れで提供し、おいしいご飯に満足した時間を過ごしました。

 

話にも花が咲き、森のCasaに新しいオラクルカードが入っていたので試しに引いてみたりなど、話題に事欠きませんでした。久々に居心地のいい空間に来ることが出来てよかったなぁと感じた、ほっこりな時間でした。

 

 

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 点心!

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手料理に感謝。

 

 

 

 

 

 

二軒目は、日頃お世話になっている(またはお世話をしている 笑)コクーンネストで行われた、インドの楽器シタールのライヴに参加してきました。

 

 

シタール奏者は「加藤ていじゅ」さん。

 

日本でも屈指のシタール奏者ということです。

 

HP

SITAR PLAYER 加藤貞寿

 

 

 

 

 

実はシタールという楽器の存在だけは知っていて、今回図らずも生演奏を聴く機会を得ることができました。ぼくはワールドミュージックに明るいわけではないのですが、インドにはシタール奏者と言えばこの人といった存在がおり、そのひとりが「ラヴィ・シャンカール」なのですが、実はこの人を師に仰いだなかに、世界的にも有名なジャズプレイヤー、テナーサックス奏者の「ジョン・コルトレーン」がいまして、ぼくの音楽趣味のなかに「ジャズ」が入っていることから、その1本の糸のようなつながりが出来ていたのです。

 

 

 

で、実際演奏を聴いてみますと、とても綺麗な音色で驚きの連続。

弦も、上下2段に分かれて張られているので、それだけで複雑な楽器だなぁと驚嘆。

宮廷音楽のように聴こえることもあれば、吟遊詩人がその英雄譚を語る口調に併せて奏でられるように聴こえることもあり、変幻自在に移り変わるメロディに、コルトレーンは何を感じていたのだろうと考えてしまうほどでした。

 

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演奏前のひとコマ。

 

 

 

 

シタールという楽器はもともと宗教的要素を含んだ楽器らしいのですが、正確な由来は不明とのこと。およそ700年前からあるとされる楽器は、インドを代表するものに相違はないようです。そう考えると、とても謎めいており、そしてとても奥が深い楽器ともいえるようです。

 

その奥深さが、その奥深さを表現する奏者がいたことが、まったく違うジャンルのプレイヤーを魅了したのだなと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このシタールのとても綺麗で複雑で、幻想的な音色を聴いていて思ったことが

 

 

「運命の糸は1本ではない」

 

 

ということでした。

 

 

 

 

良く使われる運命の糸、というのは、どれか特定の1本を指して言っていることのように思っていましたし、ぼくもそうだと感じていました。しかし今日のこの演奏を聴いて思ったのが、運命の糸というのは「1本」ではなく「無数」にあるのだということ。ひととひとのつながりの数だけ、運命の糸はあるのではないかということです。

 

 

 

ぼくは趣味でジャズを聴いていますが、好きで聴いているのがコルトレーンというのも偶然です。だって、他にも有名な人はいるのです。ビル・エヴァンスだっているし、マイルス・デイヴィスだっている。ハービー・ハンコックは持っているけど、それよりもなぜかコルトレーンだった。発端は忘れたけれども、何かのアルバムを聴いて、マイルスやハービー、ショーターなどジャズ・ジャイアンツの曲を聴き歩いて、コルトレーンに辿りついたような記憶があります。そしてそこからまた、他のジャンルに向けての裾野が広がっていく。当時はまったくそのようなことは考えていませんでしたし、予想もしていませんでした。その展開というか、細い細いつながりはまさしく「1本の糸」に感じたのです。

 

 

 

ひょんな出逢いがきっかけで、次から次へと・・・という出来事は、誰にでも起こり得ることだと思います。その無数の糸を手繰り寄せるタイミングや、そのときの状況によって、知らずにわたしたちが選んでしまっているということになるのではないかと思うのです。損得勘定や感情的なこと、印象で決めつけてしまうなどでそれこそ「星の数ほどある」糸を知らずに「選別」してしまうことは、知らずに「枠」を決めてしまうことと同じです。枠を決めてしまうということは「範囲」を決めることであり、それはひょっとしたら、千載一遇の機会を逃してしまうことにつながるかもしれません。あくまで個人的見解ですが、仮にそんな方程式があったとすると、いかに人間は「魔法」が好きで、じぶんだけの「特別」を望んでいるのかということがよくわかります。そしてそれが、じぶんが何をするわけでもなく、無条件でただ「もたらされるもの」と、ついつい願ってしまうことがほとんどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

運命の糸があったとしても。

運命の糸に限らず、無数にその先を拡げる糸があったとしても。

 

その糸を活かすのは、その人のその時の状況によって大きく変わります。

糸を活かすのも無駄にするも、その人次第。

 

 

 

 

 

そう考えると、日々の生活を淡々と、弛まず続けていくことの大切さを感じずにはいられません。

 

 

 

望むべくして起こる展開は、魔法によってもたらされるのではなく、相応の助走があってこそ実現されるものだと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

時間 吉田健一 青土社

「いいこと」ばかりが起こりだす スピリチュアル・ゾーン それは、すべてが自動的に起こる領域 佳川奈未 青春出版社

 

 

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