つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

点から線、そして円へつなげていくことをたいせつに。

年が明けてしばらくしてから、最後に勤めた会社の同僚の方から新年の挨拶が届きました。

 

 

 

その方は昨年オラクルカード3枚引きをご依頼いただいた方で、その後周りの環境に大きな変化が訪れたため、年内に一度会いましょうと約束していたのです。しかし双方の都合が合わず、そのまま年越しとなってしまいました。

 

久方振りに連絡をいただいた際に、近況も併せて報告していただきましたが、そこで気になること(あくまで個人的)を仰っていました。

 

それは、前にリリースしたリーディングの内容を読みかえされた、ということ。

 

 

 

その方はなんてことなく、ただ普通に「読み返してみたんだよねー」程度のことで報告をしてくださったように感じたのですが、受け止めた側(ぼくのほう)としては、理由もわからず、その行為に衝撃を受けていました。

 

 

驚き?それとも意外?

何とも表現が出来ません。

その方の追加の説明の中で、短いながらも節目節目を迎えた際に、リーディングの内容を読みかえされていた、とのこと。そこで感じるものがいろいろあったらしく、短い文章でありながらも、詰め込んだ気持ちの膨大さというのものが何となくですが伝わってきました。

 

そうこう考えているうちに、思ったこと。そして感じたこと。それは

「じぶんのリーディングを少なからず頼ってくれている」ことへの畏れ多さのように感じました。

 

 

畏れ多さというのは語弊かもしれませんが、今でも参考にし続けてくれていることは、ひとつの大きな評価であり、仕事抜きにして責任感が増します。リーディングを行ったときから3か月程度経過していたものの、その内容が色褪せず、何度も読ませているという事実に、ことばの力というものを感じました。

 

反面、伝えることの大切さ、大きさ、難しさは常々感じています。ここにゴールはありませんし、トレーニング同様、怠ってしまえば一気に鈍ってしまいます。そうならないためにも習慣づけを行うことが大事だなと、この時改めて肝に銘じました。

 

 

 

そして、ひとつ気がついたことがありました。

 

 

近況の報告をしてくださった際、リーディング内容を読みかえしているという話をしてもらったときに、ぼくもその内容を読みかえしました。

 

その際、不思議な感覚に捉われました。

 

 

 

リーディングが、今でもしっかりと「活きて」いるのです。

もちろん、当時の相談内容に沿ったことも書いてありましたのですべてがそのまま活きてくるわけではないのですが、内容の大半は、その方の現状にそのまま当てはまることが驚きでした。

 

 

それはひょっとすると「変わっていないのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、実際には数か月という時間が経過しており、その方がいる環境というのは実際に「変わって」います。

 

 

 

その事実を見ていくと、少なからずカードが示した内容の「遷移」は既に行われていると見ていい、と、ぼくは思いました。

 

では何故「活きて」いると感じたのか。

 

 

 

 

 

ちょっと伝わるかどうかは不安ですが、書いていきますと

 

リーディングを行った時点(仮にAとします)ではしっかりと「過去・現在・未来」について解説をしましたが、月日が経ったいま、その内容は既に「過去」のものになっています。

 

しかし今回、リーディングを再度読み込んで見たところ、その内容は色褪せていないことがわかりました。つまりは過去読んだ内容が「今まさに」リーディングした内容の如く、しっかりと説明されていたのです。それはつまり、「時間軸」が現在に移動し(A⇒A‘になった)、その時点を基点とした新しい「過去・現在・未来」が既に展開されていた、という感じになります。

 

その方に説明した文章をそのまま転記すると

「ぼくが読んでいて思ったのは、時間軸というのが複数あることなんですよね。最初は会社内での出来事に関する時間軸で、けっこう短期でした。でもリーディングの時間軸全体でみると、それはごく一部のことなんじゃないかって感じたのです。で、○○さんが○○してからの時間軸に移行すると、全体のほうもシフトしていき、新たな時間軸が表れるといった具合です。」

ということを言っています。

 

 

このカードは、ある一定の期間だけのことを伝えるのではないんだというのを、驚きとともにぼくに教えてくれました。ひょっとすると、世の中のオラクルカードのリーディングは、このようにある程度の期間、活かされているのかもしれません。しかし実際は対面でセッションを行う場合が多く、そこで語られたことが資料等として残る場合はほとんどありません。そのため、振り返りをすることが出来ないのです。そう考えると、それは正直言って「もったいない」ことだと感じました」。リーディングをしても結局は「点」でしか内容を受け取っておらず、それでおしまいにしているのです。それでは結局、対処療法的なものにしかなりませんし、占いやリーディングの本質からは外れているような気がします。そこがたぶん、古来から行われてきた占い(または卦)と、大きく違う、「商業的」な占いに変質してしまったのだろうと感じました。

 

それはある意味しょうがないことです。占いを求めるひとも、肝心の答えしか聴きません。

そしてそれは「点」でしか捉えていないことが、多いように感じます。あくまで個人的見解ですが。

 

 

 

 

リーディングについての気づきは、その内容は「点のみにあらず」ということを教えてくれました。リーディングに限ったことではありませんが、ものごとは

 

「点だけに留めず、線に伸ばして円にしていく」

 

 

ことが大事なんじゃなかろうか、という考えに至りました。

 

なぜ円かということについてはうまく説明が出来ませんが、点から線へというのは恐らくお分かりいただけるのではないかと思います。その延長と考えたとき、出来上がりを考えたとき、円というのが自然だろうなと、現段階では思っています。

 

 

 

 

ぼくも時折自分向けにカードを引きますが、内容を書き留めていないので振り返りをすることが出来ません。ですがここからは「記録」まあは「記憶」として残すことができます。そしてそれは今後自身がリリースするリーディングに関しても、ひとつの特徴としてピールすることが出来る。それはひょっとしたら全員に当てはまらないかもしれませんが、振り返ってもらう価値はあると思います。そのときに初めて、お値段以上の価値が生み出せるのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

再入院した母親でしたが、無事退院しました。

今後は数週間ごとの通院になるようです。

その他検査が入っていますが、まずはひと安心です。

入院した本人以上に、ぼくが安心してます(笑)

 

 

 

多少落ち着いた状況を迎え、やっとのことで今年初の瞑想を行いました。

しばらく間がありましたので集中することが難しく、短時間しかできませんでしたが、心のコンディションの違いを実感するいい振り返りの時間となりました。

 

 

 

その後これまた久々にカードを引きましたところ、出てきたカードは

 

 

No.7「ワンネス」でした。

 

 

 

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キーワードは「統一、調和、和合、一致、統合」

 

昨年は、このカードを何枚も引きましたね。

 

 

ワンネスはここでは「一体感」と訳されています。

 

もとはひとつ、そもそもひとつと伝えればいいでしょうか。

 

 

しかし、ひとつとはいっても、「点」でものごとを見てしまっては全体のいち部分しか見ることが出来ず、その助言で逢ったり、諭すようなことばであっても納得することはできません。しかし置かれている状況が変化していくと、その光景、景色は変わってきます。間違いなく、違うものが見えてくるでしょう。しかし見ている先は何ら変わらない。もともと同じもの見ていたということに、後々気づくのだと、まるで法話のような話をこのカードは伝えています。

 

 

仮にこの話を知っていたとして、それを誰かに話していたとしても、自身がそのような経験を重ねていない限りは、そこに説得力のようなものは備わりません。つまりは

 

「それはわかるけど、あんたが言ってもねぇ」

 

みたいなことになりかねません。

 

 

 

わたしたちはいつのまにか上記のような「正解」のみを求めるようになり、そこに付随するものは重視して来ませんでした。結果、たとえ正解を携えていたとしても満点回答にはならず、部分点のみのカウントになってしまったのです。

 

このような状況を切り拓くには、気づきが必要です。

頭でわかるだけでは、おそらくだめです。肝心なものをせき止めてしまいます。

 

ではどこでわかればいいのか?

そこに気づくことも重要で、その人のセンスに係ってくることだと感じました。