つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

【活動報告】7年目の3.11で行われた「きぼうのワークショップ」を担当してきました。

昨日、そして今日と、地下歩行空間では東日本大震災に関するシンポジウムや展示など、さまざまなイベントが催されました。

 

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 3月10日のもよう。

 

 

とくにきょう、3月11日は震災当日ということもあり、テレビ局アナウンサーによる朗読や、ニュース、ラジオなどでの媒体による紹介がされていたようです。

 

ぼくは自宅で報道特番を見ながら、午後2時46分に黙とうを捧げていました。

 

 

 

 

チカホの北3条広場で割り充てられたスペースで、北海道水産林務部の木育グループが主催する「きぼうのワークショップ」のお手伝いをしてきました。

 

前日、3月10日は年度末の忙しさを感じさせる人の流れがあり、足を止めるひとも少なかったように感じました。時折行われるライブやシンポジウムにはひとが集まるものの、どうしても平日というのがのしかかる結果となりました。これは今後の課題となりそうです。

 

 

 

はてさて。

 

ぼくが担当した「きぼうのワークショップ」。

 

こちらは2日間合計で140ほどの「きぼう」にメッセージを添えていただくことができました。311当日には海外のかたにも参加してもらったそう。ちょっといいなと思ってしまいました。しかし前日は前日なりに、おひとりとの時間を大切にさせていただきました。

 

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ワークショップのブース。

 

とある男性がこのワークショップに興味を持ってくださり、メッセージを添えていただけることになったのですが、震災後に東北に目を向けるようになったとのこと。お知り合いも現地にいらっしゃるとのことでした。

 

つい、ぼくの口から出てきたことは、先日亡くなった祖母のこと。

祖母は現在の亘理町の出身(当時は亘理郡荒濱町)であったこと、仙台を訪れてみたことなどをお話し、東北について想いを共に馳せました。

 

別れ際には「また東北行きましょう」とことばを交わし合いました。なんだか、背中を押していただいた瞬間でした。

 

 

 

その他の参加者では、笑い文字でメッセージを書いてくださったかたもいらっしゃいました。随分と時間をかけていたので、すごく手をかけてくださっていました。

 

 

ひとりひとり、東北に対する印象は異なりますが、こうやってカタチにしてみると、と

てもあたたかいものを感じ取ることができます。今回はワークショップというかたちで

したが、その一端を見ることができ、表に出すという行動の大切さを改めて学びました。

 

 

最後のほうではきぼうのプールで遊ばれるお子さんがいらっしゃったで、親御さんに遊具の説明などをさせていただきました。お子さんはたいそうきぼうのプールが気に入ったようで、しばらくのあいだ遊んでくれました。

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きぼうのワークショップで作成した「きぼう」。

今年は、岩手県大槌町への寄贈が決まっています。

1本でも多くのきぼうが集まり、支えになってくれればいいなと思います。

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震災から6年が経ち、7年目に入りました。

その中で、ほんとうに多くの課題が今も山積し、中には進んでいないのではと思うようなこともあるとのこと。その一端を、担当していたブース横のステージで行われていたシンポジウムで少しながらでも知ることができました。

 

復興に関するスピードの感じかたは、ひとそれぞれだと思います。だからここではどうこういうつもりはありませんが、ここ最近の震災はそのどれもが独特のケースとしてあることを知っていく必要があり、何でもかんでも比較するのは危険ではないかと感じました。

 

阪神淡路には阪神淡路の。

熊本には熊本の。

そして東日本には東日本の。

 

それぞれ独特の課題があります。共通するものもあれば、当てはまらないものもある。そこを見極めて、行動していくべきです。それは行政だけではなく、そこに住むひとたちも同様です。

 

 

 

そんな想いを、また東北に行こうという強い想いを抱きながら、チカホでの時間を過ごしていました。