つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

近いようで、遠い場所へ。東北の最たる地、青森へ~ ダンマの思い出⑭

仙台駅付近から再び高速バスに乗り、向かった先は「青森」。

 

このささやかな旅の、最終地点になります。

 

 

 

 

千葉県で10泊11日の合宿を終えた後に東京で2泊、そして仙台で1泊しました。最後の青森では2泊を予定しています。全行程で2週間という長さになりました。

 

普段は北海道にいるため、移動時間は「ある程度かかる」という頭でいたものの、本州の陸続きの移動に関しては、一貫して「速い」という印象を持っていました。連携と言うか、連絡がとてもいいのです、たまにつながりが悪いタイミングにあたることもありますが、そんなに待つ時間は発生しません。今回はバス移動と言うこともあってか、地下鉄から降り、バスに乗るまでの流れがスムーズだったことが印象的で、都会の交通手段は凄いなとひとり感心していたほどです。今年の札幌のような豪雪になってしまうと一気に交通ダイヤが乱れてしまいますが、普段の様相はそんなことを微塵にも感じさせないものでした。

 

 

 

ただ、この旅で初めて「長い」と感じたことがありました。

それは「仙台⇒青森」の移動時間。

 

 

 

 

何と「東京(八重洲口)⇒仙台駅」よりも「仙台⇒青森」のほうが、移動時間が長いのです。

仙台-青森間のほうが、距離があるのか?と感じる程でした。

実際、距離はどうなのかはわからないのですが、青森に行く際は一般道に降りてからの移動時間もそこそこありました。そういった違いがあってこそなのかもしれません。

 

 

 

 

 

仙台を夕方に出発し、青森に到着したのは夜10時頃。

真っ暗な中で見た青森駅は、小さく見えました。

駅前の通りをしばらく歩き、予約していたホテルにチェックイン。

途中コンビニを発見したので、買い物を済ませてその日は早々に就寝しました。

 

 

 

翌日。

 

大学時代の友人と待ち合わせし、久々の会話と青森市内を簡単に案内してもらいました。

 

札幌とは違い(あたりまえ)、その土地の特性がよく出ています。

青森駅近辺にはかの「青函連絡船」が展示していましたし、訪れた際にはねぶたを作成している光景を見学することができました。お祭り自体はもうちょっと後だそうなのですが、その製作工程を見ることが出来ただけでも、当日の雰囲気が伝わって来そうです。

 

 

 

 

この日の青森市は風が強く、夏とはいえ少し肌寒いお天気。

そのため外を歩くのは早々にやめ、建物内でお互いの近況等を話し合いました。

 

そして夜の食事では青森のお酒「田酒(でんしゅ)」の存在を教えてくれました。なんでも

「青森といえば田酒」といってもいいくらいなのだそうで、実際に呑んでみるとこれがおいしいのです。札幌でも出しているお店は幾つかありますが、北海道の日本酒も、本州の日本酒もどちらも美味しいなとしみじみ感じました。

 

 

 

 

この友人と話をしていて感じたのは、年を感じたこと、そして、経験してきたことの受け止めかたのつれづれです。

40近くまで生きていれば、相応に辛いことも経験します。それと同時に自分よりも年上の存在の「○○ありき」という性格や指向が、ひとを苦しめているということに気づきもしないということ。そして順応が出来ないさまを「相手のせい」にしていることなど、幾つか話してくれました。

 

ひとは「こうだ!」と決めたことがあると、それを基準にして善悪の行動を起こすことがありますが、時折そこから逸脱した行為があることもしばしばあります。つまりは

「正義の名のもとに」行う行動は、その内容如何に関わらず、何をやってもいいのだという根拠のないものを付帯させ、波紋を起こします。そんなことをやっているうちに拡大解釈が定着し、安直な考えで己の「正しさ」を相手に押し付けてしまいます。しかし当人はそれが「相手を正しくするための行為」だとして一切その姿勢を緩めることはありません。そうなるとどうなるでしょうか?環境によりけりですが、その方針を貫いている組織・団体に「巻かれる」ことになるか、袂を分かつか。色々と選択肢はあると思いますが、純粋に正しさだけ主張していっていたことが、環境などの設定条件が巧妙に効果を発揮しては、相手を困惑させているのです。それを自覚しないうちは、会社の組織や宗教・スピリチュアル等の信仰、そして政治的な運動等のいずれにおいても、そもそもの定義に則った成果というのを導き出すことは出来ないでしょう。

 

 

いま、この時代において、正しさは何なのか。正しさ「とは」何なのかをしっかり考えているひとはそうたくさんいないと思います。逆に「これが正しさだ」と教えられ、それを信じてしまい、そして妄信または盲信になってしまうひとはたくさんいます。

 

大事なのは「認める」こと。

これはもう何人もの有名な方が仰っていることですが、これに注釈付け加えれば

 

「自分の過ちを認める」こと。

これが何より大事です。

 

 

じぶんの過ちを決して認めない態度では、何も生まれませんし何も変わりません。

過ちを認めない態度・姿勢の背後にあるものを決して見ようともせず、相手に恐怖や服従のみを与えようとするのみです。それは個人だけではなく、もっと大きな組織にも当てはまります。

 

 

 

 

友人と話したその瞬間でそのようなことが逡巡した訳ではありませんが、相応の衝撃を受けたことは今でも覚えています。そしてその問題というか、古来から続いている大きな癖を知り、自分で修正していかないうちは、やれ宗教だの、やれスピリチュアルだの、やれ特殊能力だのにすがりつく傾向は決してなくならないでしょう。何故ならそれは、自分で生きていくことを「放棄」し、大いなる存在に援けを求めるだけの行為でしかなくなってしまったからです。以前はそれほどでもなかったのかもしれませんが、現代では完全に意味合いが変わりました。宗教やスピリチュアルの本質から言えばそれは「とても悲しいこと」だということを、どこかのタイミングで知って欲しいです。

 

 

 

 

 

久々の再会は、時間の経過を感じさせるとともに、大人な対話ができるようになっていたことを確認した時間でもありました。若かりし頃は熱意・情熱で話し切っていましたが、時間を重ねていくうちに表現の幅が広がりました。そこから掘り下げること、思考することにつながり、いろんな方向へ広げていくことができるのだと実感しました。

 

その後、その友人からは青森の新米である「青天の霹靂」を贈っていただきました。

青森滞在中に購入した地元紙でその生地が出ており、話したことを憶えていてくれたのです。贈ってくれたのは再会した翌年ですが、その心遣いに有難さを感じました。そしてこれが、救いの中にある本質の「ひとつ」なのだと、受け止めることができました。