今週水曜日に、札幌の中心部を1時間30分かけてあるくガイドツアーに参加しました。
そのときに伺った話は、まさしく目から鱗であり、感嘆の声をあげるほかありませんでした。
と、大通公園のガイド中、ガイドさんの経験談として、現在の市役所が建っているところには、最初は小学校があったという話がありました。その続きがあり、現在の市民ホールがある場所に、実はこの建物があったのだそうです。
それは「豊平館(ほうへいかん)」。
現在は中島公園の敷地内に移設されている、国指定重要文化財です。
豊平館の公式HP:豊平館 | 国指定重要文化財
紹介記事:
この建物に関する記憶はさらさらなくて、ひょっとしたら小学生の写生会で外観を描いたかな・・・?くらい。館内には入ったことはありません。ただ今回はガイドの中でこの話題が出ましたので、ホットなうちに1度行ってみようと思い、訪れることにしたのです。
その日は午前中に1軒外回りをし、昼食後に中島公園へ向かいました
この日も夏の暑さを感じさせる陽射しがあり、公園内にある池では鴨が日陰で涼んでいたのが印象的でした。
では、豊平館へ。
入場料は¥300となっています。
聞くところによると、最近の工事(耐震などいろいろ)後に入場料金が発生したとのこと。どこも無料で運営するのは難しいのかな。
入り口は、よく目にするところからではなく、裏手に連結するようにして建てられた管理棟から入場します。つまりは、建物の裏側から館内に入る流れとなります。管理棟は2階建てとなっており、エレベーターも設置されています。そのため館内へは、1階からも2階からもはいることができます。
こういった場所は見学のみという頭でいましたが、どうやら館内には貸室があるようです。
この日も1室を借りているグループがいらっしゃいました。一番安い場所で¥500/1hとなっています。広間も使用することができ、こちらは\3.300/1hとなっています。
こういった場所で打ち合わせするのも、いいかもしれません。
ここでこの建物の歴史にちょこっと触れます。
この建物は1880年(明治13年)に出来ました。当初の利用目的は「ホテル」。
時期的には、教科書でも出てくる「鹿鳴館」よりも少し早く完成しています。
翌年、明治天皇が行幸されますが、その際の行在所として利用されます。
その後、後の大正天皇・昭和天皇の行啓があり、管轄も省庁の管轄から最終的に札幌市へ移管されます。
当初の利用目的が「ホテル」であったものの、その回転率は悪かったようです。
イメージで言えば、「1日1組」の高級ホテルなのです。
価格も高価ということもあり、宮様かそれなりの地位がある方しか宿泊することができなかったそうです。
その後、用途を広げていきます。
ぼくは知らなかったのですが、結婚式場として長く利用されています。
しかも公共の場所なので、結婚式場として貸出した頃から所謂「人前式」を行っているとのこと。過去に誰がいつ挙げたかという台帳もしっかり残っており、大切に保管されています。建物は1958年(昭和33年)に中島公園へ移築、その後国指定の重要文化財に指定されたのは、1964年(昭和39年)のことでした。移築に関しては賛成・反対とかなり紛糾したそうです。
中島公園に移築された建物は、その後2度の改修工事を経験します。
現在の姿は最初に建てられた頃を再現したと、館内ガイドの方が仰っていました。完全に西洋の建物ではあるのですが、模様に日本を代表する花が使われていたり、宮家がお越しになった際に使用されたものの一部には、菊のご紋が入っています。桜の文様や牡丹など、そこかしこに日本の空気が感じられました。また、外国人技術者の協力を得て作られはしたものの、日本人大工の技術力の高さに脱帽。「遺したい」という気持ちが、とてもわかる気がしました。
その妙技を見るたびに、これまた感嘆の声。
こんな身近な場所に、これほどの価値のあるものがあるとは。
こういったものに興味ない人にとってはそれこそなんのこっちゃですが、歴史的見地からしてみれば、立派な歴史の証人です。
中島公園に移築されてから来年で60年の月日が経過しますが、その外観はとても眩しく見えます。まさしく、札幌における「文明開化」を告げるものであったのではないかと思います。近年国際都市としての施策を特に打ち出しているようにも思いますが、そんなことはない、ずっと昔から国際都市としての歩みを始めていたのだなと感じました。
そうそう、写真には収めていませんが、館内には映像で豊平館を振り返ることもできます。幾つかのチャプターに分かれており、全部見ると30分程度かかります。
意外にもといった感じですが、視点が変わることでこういった場所でも充分に楽しむことが出来ました。これは訪れるひとがどういった目的を持つかというのが大きく変わってきますが、世界屈指の観光都市である以上、こういった場所は少なからず必要になります。
また、現在ガイドはボランティアというのが「どうしても」ついてしまいます。
これは正直言って「甘え」でしかありません。ガイドになるための講習などに関しては金銭が発生するのに、その対価は無償でというのは、考えが古いです。物品を販売もしくは食事を提供してのインバウンドによる収入増は、必ずピークがやってきます。その後下降していくならば、また寒い時代の到来となります。目新しいものばかりに目を向けるようなことばかりをやっていては、こういった歴史あるものを何で地元がちゃんと活用しないの?とツッコミを受けそうです。今後は収入を発生させるべき。そのうえで、産業として成り立たせるべきなのです。それが、観光都市の命題と言ってもいいと思います。瞬間的に大人数を募るのであればボランティアしかないと思います。が継続した活動として行うのであれば、対価が発生するガイドと位置付けなくては、今後先細りするのは必至です。すぐに成果があがるところばかりに予算を割り当てるのではなく、100年くらい先を見据えた投資を、思い切って行政はしていくべきだと感じました。
豊平館は天井が高く、これまで見てきた近代の西洋式建物の中では異色だと思いました。そして、この建物のあゆみを見たとき、札幌を語る上では重要な証人になることもわかりました。この場所を活用していかなくては、と感じましたし、中島公園のガイドツアーを行う際は、豊平館を最終案内地点として設定しようと考えています。
また余談ですが、2階に天皇がご滞在された部屋を再現した場所があります。
その場所に、不思議にも一礼して入りました。
空調も入っていたのですが、入った瞬間に、空調のものとは違う、荘厳なものを感じました。つまりは鳥肌です 汗。それは他の部屋とは明らかに違いました。ただ、嫌な感じ、怖い感じはしませんでした。いくばくかではありますが、天皇を拝したとしたら、このような感覚が来るのかなと思っていました。
札幌市中心部には、他にも見所があります。
そのひとつひとつを廻っていき、自分なりにこの街のあゆみをしっかりと掴んでいきたいと決意した、まだまだ夏の暑さが残る1日でした。