残念なこともあれば、その逆もある。
ぼくは、残念な人間と言われます(笑)
どれくらい残念かと言うと
飲食店に行ったら定休日もしくは臨時休業にあたる
と言った具合(笑)
他にも残念さをあらわすエピソードがありますが、よく起きることが上記の内容です。
そんな残念な人間にも、逆の出来事は起こります。
例えば
買おうと思っていた商品がセール品になっていた
とか(笑)
とても小さいものですが、ささやかな幸運と言いますか、良いと思える出来事は意外と起きています。
ぼくは時折、懸賞に応募することがあります。
懸賞は全国区のものと地域・店舗限定のものなどがあります。
あと比較的多く応募していますのが、地元のテレビ局・ラジオ局で行っている試写会などのイベント。
そう頻繁というわけではありませんが、実は周りを見渡すと懸賞が溢れています。
印象としては、全国区の懸賞は競争率が高く、地域限定のものは比べると下がります。
かといって競争率が高いものも中にはあり、そのどれもが「応募すれば当たる」というものではありません。
しかし、「応募」もしなければ当たらないのが現状です。
宝くじも同様。買わなければ夢のような金額も当たることはありません。
皮肉を言えば、「自分が何もしないのに幸運を手に入れることなどできない」といったところでしょうか。言いたいことは色々あるという人もいるかもしれませんが、展開は行動を起こさない限りは、波紋を呼びません。わたしたちは波紋を向ける先を、自分の都合に合わせて決めているに過ぎません。
懸賞も「とにかく」応募するものもあれば、選択をして応募するものもあります。
その中で、先日不意に嬉しい便りが届きました。
懸賞元はあのLINE(ライン)。
その中で行われていた懸賞に、いつのまにか応募していました 汗。
で、ほどなくして当選通知が届いていたのですが、実物が送られてくるまでに更に日数が経過していたため、本人はすっかりその存在を忘れてしまっていました(笑)。
ただ、実際に届けられた当選品を見て、驚いたことは言うまでもありません。
人間は、どうしても不幸・不運なことを膨らませて捉えがちで、幸い・幸運なことと比べると、どうしても「大きく」捉えがちです。
仮に不幸なこと、幸運なことが2回ずつあったとしても、印象が強く残ってしまうのが不幸なことのほうであったりします。自分でもそのような経験をしていますから、時々どうしてなんだろうと考えることがあります。
ひょっとしたら、自分は恵まれていないのだと「決めつけて」いるのかもしれません。最初から自分を卑下し、そこから這い上がってやろうとか、幸せになってやるんだとか思っているのだろうと思ってしまいます。その考え方は「適切ではない」と、以前誰かに教えられました。幸運・不運を決めているのは、他でもない自分自身です。しかし、自分を外してものごとを見ていくと、幸運・不運の枠組みすら消えます。人間はどこかで線引きをすることで、状況の把握をし、そこからどうするかに取り組む仕組みになっているようです。
若い頃から比べると、感情を露わにするようになってきました。
それが良いと思う人もいるでしょうし、良くないと捉える人もいます。
ひとは何かと「理想」というモデルケースを想定し、そこに向かって猪突猛進しているかのように思えてならないことがあります。しかも、その理想こそがこの人生で求めていたものだと、信じてやみません。ただ、この理想から外れてしまいますと、落胆の度合いが大きくなってしまいます。重要なのは、理想に近づくことではなく、今の一瞬が「理想」であることのような気がします。
何も出来ない日だってあります。
色々と出来て充実したと感じる日もあります。
そのどれもが、わたしたちにとって必要な日であり、理想であることの証明になるのだと、自分に言い聞かせていきたいと思います。
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