つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

その言葉遣いが人の性格を現わしていることを、その人はおそらく知らない。

言葉遣いが、気になります。

 

 

というのも、今働いている場所は問い合わせ受付の窓口となっており

 

電話窓口はもちろん

メールでの問い合わせ

 

にも対応しています。

 

 

 

先週から本格的な繁忙期に入ったのでその量も膨大となり、まさしく言葉の海と言いますか、荒波に揉まれている感覚です。

 

 

 

 

目にする言葉、耳にする言葉も人それぞれで、自覚をしていないのでは?と思うくらい、その人の性格がにじみ出ていることがよくわかります。

 

その中には、「どうしてこんな風にしか言えないのだろう」といった表現もあれば、

純粋にどう言葉にしていいかわからないものまで、多種多様です。

 

そんな中で、ある程度の立ち位置を確保・維持しながら、応対や返信を行っています。

 

 

 

お客様の言葉遣いに注目が集まりがちなのですが、意外にも働いている方の言葉遣いにも聞き耳を立ててしまうことがあります。

 

そこには抑揚があるため、どのような心情で応対しているか、おおよそではあるものの把握が出来ます。そういった声と言うのは誰かにしか聞こえないというわけでもなく、これまた意外にも周りの人の多くが気づくこともあります。

 

そんな局面を、何度も見てきています。

 

 

そのたびに、指導しています。

かしこまった指導ではありませんが、どうしてその言葉遣いがいけないのかを、出来るだけわかりやすく説明するようにしています。

理由は、損をするのが自分自身だから。

どうしても感情的になってしまうのは仕方ありません。

でも、それを次の応対に持ち込んでしまう訳にはいかないのです。

また、会話を始める言葉やつなげる言葉必要です。それがないと、会話が一方的になります。それが原因でお客様を怒らせることになってしまいます。

 

しかし、そういった場合に限って、本人に自覚がなかったりします。

そこは本当に、悩みどころです。

どうやったらわかってくれるだろうと考えること自体、無意味なのでは?と思ってしまうほど。

 

人を育てる、または、見守るというのは、簡単なようで実は難しいのだと実感しました。

 

 

 

 

ぼくの立場は一応(笑)リーダー的な立ち位置。

そのため、運営側の要望に対して反発を受けることもあります。

 

先週金曜日に言われたひとことが

 

 

「恨んでやる」

 

 

 

でした(笑)

 

 

 

その時は

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

 

という気持ちでした(笑)

 

 

 

 

 

背後は割愛しますが、その「恨んでやる」発言をした方はルールに則らない行動をしようとしたのです。どんなに忙しくても、それを容認するわけにはいかないのです。問い合わせが多く入る時間帯ならなおさらです。恐らくぼくの言葉にむっとしたのでしょう。それゆえに出た言葉だと思います。

 

が、本人はその言葉の重みをわかっていないでしょうね。

 

やはり「恨んでやる」と言われた側は、気持ちいいものではありません。

 

 

本人に言い返すかどうかは別として、現在の気持ちは

 

「恨むならどうぞ。倍返しにして恨み返しますよ。」

 

というもの(汗)

 

言葉にしてしまうとドロドロしてますが(笑)

姿勢としては「そのお気持ちは受け取りません。そのままお返しします」といった感じです。

 

 

 

そんなのもらったって、誰も喜びませんよ。

 

そして、そんなこと言ってると、応対に出てしまいますよ。

 

と、まだまだ未熟なぼくでも、確信して言うことができます。

 

 

 

 

 

言葉は、実はその人を表している。

 

それを自覚しない限り、年齢に関係なく「枠」を外すことは、難しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

きょうまでに読んだ本

 

当選請負人 千堂タマキ 渡辺容子 小学館文庫 (327)

月と6ペンス ウィリアム・サマセット・モーム 土屋政雄光文社古典新訳文庫 (328) ※月イチ古典

リミット 五十嵐貴久 祥伝社文庫 (329)

夢を与える 綿矢りさ 河出文庫 (330)