11月30日をもちまして、出稼ぎの1回目が終了しました。
11月の半ばに1か月間の延長の話しが出ていましたが、自身の体調が崩れてしまったため、この話は立ち消えになりました。そのため当初の契約期間で満了となりました。
久々に手淹れの珈琲。
10月からおよそ2か月経過しましたが、時間の経過はあっという間でした。
自身で仕事をしているときとはまた違う、まったく異なる時間の流れ方でした。
それゆえに、感じたこともたくさんありましたし、改めて貴重な経験をさせていただきました。
経験をすることが出来た。
あたりまえのような感想なのですが、そのように思えるということもまさしく収穫に他ならないのです。だって、それすら感じることが出来ない人が、いまこの時代にはいるのですから。
管理職としては、数年ぶりの現場でした。
そのため、当初は不安ばかりが纏わりついていました。
知識量も満足にいかず、焦りばかりが目立ちました。
その焦りが重苦しい鎖となり、徐々にこころとからだの自由を奪っていきました。
そのくさりはいつしか毒になり、思考もままならないほどのマヒを招きました。
そして、何度か会社を休みました。
その結果、動きを評価してくれていた声をかき消す結果になってしまいました。
そのような躓きがありつつも、期間内の業務を全うすることができました。
終わりの日を迎え、時間を過ごし、ビルを後にしたときに思ったことは
「やるべきことは果たした」
という想いのみでした。
2か月という短い時間ではありましたが、この場所で過ごした2か月は実際の期間の何倍も長く、そして濃いものであったと確信しています。それこそドラゴンボールに出てくる精神と時の部屋のような感じです。世間ではたった2か月でも、自分自身はもっと長い期間を過ごしている感覚。そのような体験は、集中や没頭といった、ひとつの表現として「打ち込む」とか「ひたむきになる」ことへの、正当な恩恵であったのだと思います。
最後の日は人数も少なかったため、ぼくが11月で最後だったということを知らないパートさんもいます。それもまた縁なのかなと思いつつ、朝礼も少し自分の事を交えて話をさせてもらいました。ぼくが出勤している時は毎日朝礼を行ってきましたが、これほどことばが見つからない朝礼もありませんでした。用意していたはずのことばがどこかへ行ってしまい、ことばに詰まってしまったほど。感傷的過ぎるのが欠点ですが、そこにはなみなみならぬ感謝がありました。自分で頑張ってきたという自負もありますが、みんながぼくを育ててくれたんだという実感もあります。
ひとことでは言い表すことの出来ない、凝縮されつつも大きな大きななにかが、いつのまにかぼくの中に備わっていました。
それが、この2か月間の成果なのだと思います。
決してお手本となる存在ではなかったと思いますが、パートさんも社員さんもよく声をかけてくれました。ぼくのモットーの中には「接しやすいひとを目指す」というものがあります。声を掛けられやすくなるといろんな案件が飛んできてしまい、自分の仕事が止まってしまうという影響もあります。でも、ぼくが仕事を憶える究極の機会でもありました。パートさんと比べると、入社時期は一緒であっても対応時間数は違います。知識しかない部分をどうやって補い、どうやって活かしていくか。そこの難しさを改めて感じながら、毎日ビクビクしながら(汗)過ごしていたと正直に話しました(笑)。
虚勢を張っているな、と思われていたかもしれません。でも、それを隠しても仕方のないことだと思っています。それだったら、正直でいたほうが疲れないやと考え、着飾ることのないようにしてきました。それがいちばんだと考えていましたし、それが間違いだとは現在でも思っていません。
管理者としての能力はどうだったのかは正直本音を聞きたいところではありましたが、存在感としての評価は、最終日とその前日に図らずもぼくのもとに届けられました。そのどれもが、ほんとに嬉しい評価でした。どう贔屓目に見ても、この場所にきた甲斐があったと感じました。この場所で、この人たちと一緒に仕事が出来て良かったと思いました。
やけに感傷的じゃね?と思われても仕方ないと思います。
そのような「アタリマエ」のことですら、ぼくにとっては貴重なことなのです。
ただその貴重なことが毎度毎度繰り返されてしまうと、人間は鈍感になってしまい、そこに価値を見出さなくなってしまい、勝手に評価を下してしまうという癖を持っています。
人間、慣れが出てしまいますとどのようなことでもマンネリを感じ、そこから新しい展開を求めます。それを自分の努力不足とは感じずに、外のせいにします。外が変わらないからダメなのだと決めつけ、最終的にそこから離れます。そのときはそれが最善かと思うのだと思いますが、それは「必ず」周回して、同じような状況がくるものと決まっています。誰かが、何かがどこかへ「連れて行ってくれる」わけではないのだと、改めて感じることができました。
勤務最終日は一緒にいたもう一人のかたと札幌駅までJR車内で会話。
最後は会釈をして別れました。
その後ぼくは赤レンガテラスで食事。
その後、飲みに行きました。
久々に飲みすぎて、午前様になりました。
帰宅すると、郵便受けにはぼく宛の封書が一通。
良く見ると出版社からのものでした。
開封してみるとびっくり。
応募していた「高倉健」の展示の招待券が同封されていました。
久々に雑誌の懸賞に応募していたのですが、これが見事に当たりました。
思わぬ形での労いになりました。
来週、健さんに逢ってこようと思います。
そんなささやかな嬉しい出来事の反面、哀しいできごとも。
そんな出来事からしばらく時間が経ち。
家計簿でもつけるかと自分の財布を見てみると。
ない。
ない。
やっぱりない。
クレジットカードがない(大汗)
どこかにクレジットカードを落としてきたようです(涙)
幾つか心当たりを当たってみましたが不発に終わったのでカードの休止と再発行を依頼。
幸いカードは使用された形跡がないとのことでした。まずは一安心。
これで自宅からカードが出てきたらなんとも恥ずかしいお話ですが、しょうがないやと諦めております。
昨日今日と自宅である程度ゆっくり過ごしています。
所用で出かけることもありますが、羽根を伸ばしているという実感があります。
ただ不思議なのは、仕事をしているときよりもなぜか疲れを感じること。そして何だか眠いこと(笑)どうやら仕事をしていた期間は、相応の集中力で取り組んでいたようだと今になってわかりました。
想えば、すべてが必要な訓練のようなものだったと捉えています。
そして、これまでやってきたことの成果を感じ取る絶好の機会だったのだと思います。
2か月間という時間で感じたことや学んだことは、どんなものにも換えがたい宝物です。
この恩恵を忘れないようにしたいと思います。
これから少しのあいだは家のことや自分の事を少しずつ片づけていこうと思います。
並行して来年への準備を進め、またいつでも動くことができるようにしたいと思います。
ここでのことばはみんなに届かないけれど、改めて伝えます。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
きょうまでに読んだ本
日輪の賦 澤田瞳子 幻冬舎 (353)
桜の下で待っている 彩瀬まる 実業之日本社 (354)
東京ダンジョン 福田和代 PHP (355)
いちご同盟 三田誠広 河出文庫 (356)
海に降る 朱野帰子 幻冬舎