つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

果たしてこの世界に不変のものはあるのか?

完全に蛇足なのですが、昨日の日記で2か月という短期間の仕事の勝手な総括を書きました(ほんとうに自分勝手 笑)。

 

 

 

あれこれと書いていきますと、ふと気になるワードが出てきました。

 

 

 

それが「評価」。

 

 

 

評価の基準は、仕事においては無論「仕事ができる人」になると思います。

それが前提としてあって、その他付随するものに関しても評価が下されると考えます。

 

そのように前置きしたとしまして、果たしてぼくの評価は実際のところどうだったのか?と、いらぬ思索を巡らせました。

 

 

これはほんとうに自分で考えてもどうしようもないのですが、ひとつの判断基準として、建前であっても実際にかけてくれた声を材料とするしかないかなと。後は仕事ぶりを見た周りの態度と言いますか、空気のようなものを肌で感じた内容になると思います。そう考えると、決して満点ではないですが、相応の評価をいただいたと実感しています。

 

 

 

しかし、その評価は「不動」のモノとは限らない。

それもまた、昨日の日記を書いているさなかで感じたことでした。

 

 

 

つまりは、「ころころ変わるのが常」と言い換えたほうがいいかもしれません。

 

 

 

物事ひとつで、人はその対象の印象や評価を「常に」変えていきます。

材料が増えれば増えるほど、その内容も細かくなり、大きな修正から微細な修正へと変化していきます。そのように考えていきますと、その時の評価はあくまでも「その時」前後にしか活きてこないのであって、いつまでも持ち歩くべきものではないということができます。

 

「過去の栄光」という皮肉を込めた語句がありますが、わたしたちは「いま」を過ごしている以上、過去については必要以上に持ち出すことはしなくていいのだと思います。事あるごとに過去を出してしまいますと、じゃあ今のこの状況は不満なのかと、いらぬ争いの元となります。そうなってしまうよりは、いまを生きることに目を向けたほうがずっとよいです。

 

そして、評価が変わるからといって、逆に評価が変わることを「怖れ」てしまうこともいけません。それは委縮につながり、結局は何も「しなく」なります。相手の出方を待つという人もいるかもしれませんが、出方を待っても何かをするとは限りません。結局は自分自身を何らかの理由で納得させ、そのまま動かないこともあると思います。

 

 

 

思いつきで書いていきましたが、印象や評価はその人によっていつでも「書き換えられる」という特性を持っています。よって「変わらない=不変」のものとは言えません。だからこそ、あの場所でいただいた評価はあくまであの時点での評価ということで区切りや自信をつけ、次の場所に向かえばよいだけのことということになります。

 

ここから少し話を拡げますと、果たして「変わらない」ものはあるのだろうか?という素朴な疑問が浮かびました。この時期に読んだ本や見た映像等を総合しますと、どうやら「不変」のものは一切ないのではないかという考えが起きています。

 

 

これについては明日、その続きを書いていこうと思います。

それまでに少しでも、考えをまとめたいと思います。

 

 

 

ほんとうならば、ノートに書いた「書くことリスト」を元に少しでもブログを書いていく事が出来ればいいのにと思っているのですが、どうやら中々うまく進まないようです。これはぼく自身の性格も影響しているかもしれません。ひとつの記事から副産物のような感じで新たなテーマが浮かぶ。そしてそのテーマについて考え、書いていくとまた新たなテーマにぶつかる。その繰り返しが頻繁に起きています。今はその連鎖反応をただただ歓迎し、1日でも長く続けるための要素とさせてもらっています。シリーズとして書いているものの中には完結させていないものもありますので、それは記憶が薄れてしまう前に書き上げたいと考えつつ、いま書きたい内容に指が動いてしまうのはどうしようもありません(笑)。

 

 

 

とにかく、とやかく、書くだけだと。

それがこの場所でやるべきことだと、改めて感じました。

 

 

 

 

天気予報を見て見ましたら、どうやら全国的に寒波が襲っていたようです。

強風による被害や路面状況のシビアな変化による事故など、さまざまなアクシデントが起きているようです。

身体も硬くなってしまいがちですが、体調にも留意して、けがも病気も寄せ付けないように師走を過ごしていきたいと思います。