つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

思い入れ。

家人の実家に帰省し、本日戻ってきました。

 

 

 

車を走らせていますと、ところどころ混雑している場所がありました。

初売りをしている店舗や高速道路、洗車スペースに飲食店。以前であれば3が日は自宅でゆっくりと過ごす(しかなかった?)というのが定番だった気がしますが、時代が変わりますと行動パターンも変わっていくようです。

 

 

 

札幌は雪があるものの気温は少し高め。

札幌近郊、または離れた都市の気温はそれより低め。

天気が良いものの、寒さがしみました。

 

 

 

 

帰省時くらいは、ほんとうにだらだらと過ごさせてもらっています。

ぼくの実家に帰省したときも、ぼくはほぼ何も動かず。

親もそんなに動けるわけではないのですが、兄も含めてあれこれと動いていました。

 

家人の実家に帰省したときも、他人の家とは思えないほどのだらだらっぷり 笑。

家人の家に着きますと、時刻に関係なくお食事(という名の酒宴)がはじまります。

そのため食事も早めに済み、一眠りしたあとはみかんやお菓子をつまみながら、お正月特番を見ていました。

 

 

 

お互いの実家に行って思うのは、やはり親はありがたい存在であるということ。

親族も同様です。

また、昨年から積極的に話をするようになりました。

これもまたひとつの親孝行なのかもしれません。

子ども特有の毛嫌いといいますか、親に対するなんとも説明できない感情が「やっと」払拭されたような気がしています。少し遅かったかもしれませんが、ようやく親子の会話が昨年からできるようになったと実感しました。

 

また、ありがたいのが「おふくろの味」。

帰省時に用意してくれるのが、とてもありがたいです。

んで、帰りに持たせてくれます 笑。

 

ありきたりな光景かもしれませんが、このようなやりとりを繰り返しますと、いつまで経っても親は親で、子どもは子どもなんだなと感じました。

 

 

 

 

 

帰りに千歳市へ立ち寄りまして、行きつけのショップに預けていましたデニムパンツ(いわゆるジーパン)を引き取ってきました。

 

 

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デニムは元来ワークパンンツであるため、かなりハードに履いて来ました。そのため、破れや裂けなどのダメージが出てきたのです。そこまで傷んだものであれば捨ててもいいものですが、不思議と捨てることが出来ません。修理してでも履きたい(着用したい)と思ってしまいます。

 

 

どうやらこの世界には

 

モノが傷んでもその価値は変わらない、もしくは向上する場合もあれば、

モノが傷むと極端に価値が低下し、魅力を感じなくなってしまう場合もあるようです。

 

 

高い買い物、安い買い物という区分けもできそうですが、それだけではないように思います。価値の判断基準がそもそも異なりますので、どれが正しいかとは一概に言えないでしょう。

 

写真に出しましたデニムも、軽く5年以上着用しています。

これ以外にも、10年以上着用しているデニムを所有しています。そのデニムもボロボロですが 笑。

それでも手放す気にはなれませんし、ちゃんと履きます。色落ちなどの楽しみがあるからなのですが、売りに出されていた状態からは色も褪せていますし、破れなどもあります。新しい服を買えばいいのに、なんででしょう?と思ってしまいます。

 

 

 

そこは「思い入れ」の差なんだろうと感じました。

そのため、そこに金額の大小は左右しない場合があります。

それはたぶん、人付き合いに関しても同様なのだと思います。

 

自分がどれだけ相手に「思い入れ」があるだろうか。

それって、あまり考えたことはありませんでした。

逆に、相手は自分の事をどう思ってくれているんだろうということは考えます。

 

そこのバランスが成り立っていないにも関わらず、相手が離れていくことに敏感に反応してしまう。相手を嫌いになったりしてしまう。

重要視していたのは、相手からの評価「だけ」になってしまっているような気がしてなりません。

 

本来であれば、自分が相手をどれだけ評価しているか、ということも、生活のうえでは大切なことになります。プライベートでも、仕事でも言えることだと思います。

 

 

だから、仮に誰かが離れていった。

誰かと連絡がつかなくなった。

相手の対応ががらりと変わってしまった。

 

 

となったときは、果たして自分はどうだったんだろうというのを、しっかりと考える機会になります。

 

SNSでは単純に「つながっている」だけでもいいのかもしれません。

それがいいという場合もありますし、そうじゃないという場合もあるでしょう。

つながりが「可視化」されているぶん、やるべきことは明確になりますから、それができないのであれば、がらくた整理の対象になっていくと判断していいでしょう。

 

 

 

 

新しい・古いに関係なく、がらくた整理の判断基準として「思い入れ」が大きく差を分けます。「思い」は「エネルギー」と置き換えてもいいです。要はそのモノにどれだけ「エネルギー」を注いできているか。それだけでもがらくた整理を行うことは可能です。その

「思い」を見極めていくこと。つまり「考える」ことも、がらくた整理には求められます。

 

何となくですが、自宅にあるモノでも、この世界で繰り広げられている主義主張等についても、共通しているものはあると感じました。

 

 

 

 

今週末は書類を作成するとともに、改めて自分のモノに触れていこうと思います。

春までにまとまった整理をしたいと考えているためです。

そのためには「手足」を動かさなくてはなりません。

何事もバランスが大事だということですね。