つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

周りは、喧騒でしかないというひとつの事実。

日ハムの選手のふるまいなどに注目するオフシーズンですが、特に目を見張る出来事がありました。


ご存知、大谷翔平先週のメジャーリーグ移籍です。

この出来事は待ちに待ったと言うべきか、またはとうとうと言ったほうがいいのか、少し複雑になってしまいます。

しかしメジャー移籍は選手本人が学生時代にもった目標のひとつであり、その気持ちはプロ野球選手となった今でも、微塵も動きませんでした。プロ生活は、メジャーで活躍するための布石、言わば「やるべきこと」のひとつとして明確に捉えていたんだと思います。

大谷選手の二刀流挑戦は、物議を呼びました。
両立に否定的な意見が、解説者から出てきました。それは前例がないとか、身体がもたないなどの理由によるもので、どちらかに専念するべきだという意見が出ては消えの繰り返しになりました。

では、当の本人はどのように思っていたのだろう?と考えてみたら、ひょっとしたら「周りの声は知ったこっちゃない」という風に見ていたんじゃないだろうかと感じました。

監督やコーチ、球団がどのように大谷選手と話してきたかはわかりませんが、本人には二刀流をやめるという選択肢は「ない」のだと思います。それなのに周りではあれやこれやと言っているのですから、何を言ってるんですか~というふうに感じていたのかもしれません。目の前の事象に右往左往する他人を横目に、彼自身はメジャーを見据えたうえでの「やるべきこと」を五年間かけてじっくりやってきたんだろうと思います。

こういうケースを、自分や自分の周りの人にも当てはまることはあります。
他人の話には「こうだ」と論拠もないまま自分の意見を押し付けたり、自分自身のことだったら「わたしがやるんだから」と意固地になったりします。

大事なのは、「そんなのやる前から答えはわかってる」と決めつけないこと。決めつけは、未来を閉じてしまいます。それは選択肢を捨てることと同義になります。

自分のやりたいことが正しいのか、間違っているのか。その価値観が正しいとはいえないこともあります。価値観は人それぞれなのです。正しさばかりを選んでもだめなときがあります。間違いを受け容れるという流れも、必要なときがあります。上手に生きるのは、かなり難しいと思っています。

札幌ドームでメジャー移籍の会見を行った様子を録画して後日視聴しましたが、彼という存在を知ることが出来て本当によかったと感じました。大谷翔平というひとりの人間が、可能性のなんたるかを、自分の振る舞いを通して、提供してくれました。そのことにただただ感謝です。

現代はどことなく、他人の可能性には現実を突き付け、自分の可能性には甘やかす風潮があります。可能性は、あらゆるものへの第一歩です。そのことを刻み直し、明日からまた可能性を意識していこうと思います。