つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「確率」の中で生きていることを知る。

昨年から何かと「あたり」を引いております。

 

 

 

懸賞はそこそこに、無理のない範囲で応募しております。

その昔、バラエティ番組の企画で「懸賞の当選品だけで生活をする」というものがあり、その光景に憧れていました(笑)。

 

いまでも諦めきれていない・・・(楽したい衝動に駆られています 汗)のですが、そのような生活をしていくことにも相当の覚悟が必要ですので、目に留まった範囲で自分が「欲しいもの」に絞り込み、応募などを繰り返しています。

 

 

 

さて今回の「あたり」とは何かと言いますと・・・

 

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「コレ」です。

 

 

 

 

 

何かわかりますでしょうか(大汗)

 

これはいわゆる「あたり棒」なのですが、コンビニエンスストアのレジ付近にある惣菜コーナーにある商品で、「あたり」がついてくるキャンペーンというものをやっており、何回か購入していたのです。アイスの惣菜版みたいなものです。

 

どうせ買うなら「あたり」の可能性があるものを買おう(笑)、ということで、出張先でもこの商品を買ったのです。そうしましたら見事あたりを引きました。

投資金額は、500円程度で済みました。

まだ交換をしていませんが、洗ったあとで交換しに行こうと思います。

 

この出来事を通して、ふと「人生は確率のうえで生きている」と感じました。

つまりは「確かなこと」はないということです。

言葉の表現として「確実」がありますが、100%のものは実は存在しないんじゃないかと。

100%とは言っても、実はそれに程なく近い「高確率」のものではないかと思いました。

 

くじの類に関しては、あたりとはずれがあるのはおおよその人が知っています。

大きく見て半々、細かく見ますと当選の種類によってそれぞれ確率が変動します。

ギャンブルなどはその典型ですが、決して有利とはいえない確率に投資しているという事実があります。

 

 

この仕組みを別な分野に見ていきます。

 

例えば試験。試験も合格か不合格かで大きく分かれます。

受験者は試験に合格するために、それぞれの投資を行います。その投資は塾や予備校などの「勉強に充てる時間」の長短になります。

 

くじも受験勉強にも言えることなのですが、よくよく注意しなければならないこと。それは投資したからと言って「必ず」結果が返ってくる保証はどこにもないということではないか、ということです。

 

 

 

くじもあたりとはずれがあるように、試験も合格と不合格があります。

つまりあたりが出る人がいるということは同時にはずれが出る人がいるということ。

試験も同様です。全員が報われるという仕組みにはなっていないということです。

そういう意味で「確実」という表現はそぐわないな・・・と考えていました。

 

 

 

そして今も昔も流行っている「詐欺」。

その中でも、株や仮想通貨、商材等に対する投資の詐欺が跋扈しています。

謳い文句の代表例が、確実性を強調したものです。

その確実性を証明するために、代表者は色んなところから情報を集め、仕組みのようなものを相手に見せて信用させています。

 

そして、一部の宗教やスピリチュアルにも、この論理は当てはまります。

「必ず幸せになれる」「必ず成仏する」「必ず罪が報われる」などなど。

 

共通して言えることは、入り口で見える範囲ではその負担が軽いこと。

そして、加わる時点ではその全貌が見えないことです。

 

ましてや人間は、自分の考えを優先させる癖を持っています。どんな説明書きでも作成者の意図とそれを受け取った人間の考えがイコールになるとは限りません。そういった行き違いが歪みを生み出し、騒ぎを引き起こしていくのが現状だと考えます。

 

 

 

ひとはどこかで確率の事実に触れながら、「確かなこと」に身を委ね、楽をしたいと考えてしまうようです。そのため、自分が信じることのできる「確実」を謳ったものに時間や金銭を注ぎ込んでしまいます。結果を得るための必要な行動は起こしています。が、自分の望む結果が得られるとは「限りません」。それはタイミングであったり、規模などであったりです。何が言いたいかというと、「すぐに」その答えが出るとは限らないということです。答え(のようなもの)が出るまでに、数年いや数十年かかる場合もあります。そのまま答えが出ない場合もあります。

 

だからと言って、投資をしないという行動を取ることは難しいと感じています。なぜなら原因があって結果があるというのがこの世界の摂理です。具体的な行動がなければ、結果は訪れません。具体的な行動をせずに結果だけ求めようとする姿勢こそが、何らかの被害に遭ってしまうのだろうと思います。

 

 

 

たった一本のあたり棒ですが、その棒を手にしてそのようなことを出張先のホテルで考えていました。