つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

プライド。

昨日は新聞の号外も発行されましたが、冬季五輪において日本人金メダリストが誕生しました。

 

 

 

種目はフィギュアスケートで、当時ぼくは勤め先の社屋にいてこの演技を鑑賞していました。本来土曜日は休日なのですが、食事会に誘われておりましたので出席しました。この食事の席でも話は五輪が中心。どこもかしこもという感じです。

 

その後の演技は見ずに会社を出まして、書類の請求など必要な手続きを行うために歩き回っていたところ、スマホに登録してありますアプリの速報で金メダリストが生まれたことを知りました。期待されながらしっかりと1位になるというのは、やはり凄いことだと感じました。

 

フィギュアスケートの詳細はわからないのですが、足首のケガの影響で、多くの制限と我慢などが絡み合っての競技だったのだと思います。その中でも切らさなかった、または制限をかけることを一切しなかったのが「気持ち」だったのだろうなと、昨夜のテレビや今日の新聞などを見て感じました。

 

 

 

少しひっかかることがありまして、これは競技者本人のことではないのですが、ネットまたは街角の声として紹介されていたコメントだったと記憶しているのですが、演技中の表情、特に目が普段のものとは全く異なっていることについて触れていました。その写真を見ますと、真剣という表現では到底説明できないほど、鬼気迫るものが在ったように思います。命を取る取られるレベルの目ではないかと思ったほどです。それほどの集中力と、それほどの気持が「スイッチ」を入れているのだと感じていました。

 

 

 

「この試合に勝つために、命をかける」

シンプルに、一心で居た結果だと感じています。

 

 

 

演技中はジャンプの着地がうまくいかないシーンが多々ありました。

五輪という特別な環境が負担や圧力をかけており、万全ではないなかでの演技でした。その中でもフリーで200点を超えるポイントを獲得し、合計300点を超える成績を残すことが出来た理由は何なのか。

 

 

 

個人的な感想ですが、まさしく「プライド」であったと思います。

演技中は、有無を言わせない迫力があったように思います。曲も日本独特の曲であったためか、この曲がかかっているあいだ、演技をしているあいだは、何だか結界を張っているようにも感じました。それほど、金メダリストとなった演者の世界に「引き込まれた」のだと思います。この方だけが、五輪に対する気持ちの入れ方がまったく違いました。そんな感想を持ちました。

 

 

 

プライドを訳しますと「誇り」というのが出てくると思います。

しかしそれだけで説明がつくものではありません。

あの日あの時、彼が持っていた「プライド」は、「ゆずれない願い」ではないかと個人的には感じていました。