つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

移住をすることになった、「理由」の話。

着任初日から挨拶回りをしていますと、どこでも大体、同じような質問に出会います。

 

それは、「冨澤さんはどうして八雲に?」という質問。

 

お決まりの質問だとは思いますが、シンプルに一番知りたいことだと思います。

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 上記の質問に対する回答は、以下のようにしています。

 

 

・移住・移住先での定住を希望していたこと

・自然体験活動(中心はボランティア活動)をきっかけに、地方への興味が湧いたこと

 

地方への移住を志すきっかけは、かんたんに言えば上記のようなことです。

あとは具体的に「何をしたいか」というところで、どのマチに行きたいかが変わってくると思います。

 

で、どうして八雲に来たのか?という部分ですが、味気ない言葉で答えてしまいますと、試験に受かったのが八雲町のみであったこと。他はすべて落ちました。

そしてそもそも八雲町に応募した理由ですが、家人の職場の同僚の実家が八雲(野田生)であり、その土地の魅力を強烈にアピールしてくれたことがあり、応募したのです。

 

当初ぼくが応募先に選んでいた市町村は、自然体験活動を職務として担当させてもらえるところに絞っていました。他はそれに準ずるもので、平たく言えばそのマチの観光ガイドのようなものも含め、各方面に書類を提出していました。唯一の例外が八雲町で、それらの条件にかかっていなかったのですが、知人の勧めもあり、応募していたのです。

 

それが最終的に残り、こうして移住が叶いました。

ええ、自分で選定して応募した先は、見事に全滅ですよ 笑。

 

それも今となっては笑い話。

結果として「移住」は叶いました。

あとは「定住」を目指すだけです。

 

 

 

ひとは何かしら行動を起こす際、何らかの「理由」が発生すると思います。

 

ひねくれ発言ですが、「理由がない」=「なんとなく」というのも立派な理由にあたると考えています。理由の定義は何とも難しいですが、論理的な理由と感情的な理由がありますし、そのどちらにも当たらない、今の感覚では説明できないものもあると考えています。

 

 

 

理由は行動の源泉、展開の源泉につながると思ってます。

理由ばかり気にしても仕方ないのですが 笑。

 

 

 

ただしっかりと、きっかけを把握しておくことは大事なのではと考えています。

自分のやることが支離滅裂となってしまっては、その人への信用・信頼に影響を及ぼします。そのために考えや理由を整理して、明確にする、頭の中を整理することは大切なのではないかと感じます。

 

 

 

現代人の特徴としては、あまり頭で考えることはしなくなってきた感覚があります。

わからなくなったらすぐにパソコンやスマホで調べることができますから。

そのほうが解決までにかかる時間を短縮することができるからですが、自身の頭、脳みそを使うわけではないので、どんどん衰退化していくことになります。何かに頼らなければ解決の糸口が掴めなくなってくる。じわりとそんな時代に浸りつつあります。それではダメなんだろうなーとひとり考えています。かくいうぼくも、何かとスマホやパソコンに頼り気味ですが。

 

「理由」はたぶん、人生という時間を過ごすにあたっては重要なキーワードになるんだと思います。

 

 

そこを見つめなおしたときや何かを新しく始めるとき、理由という枠に当てはめてみると、意外なことが見えてくるかもしれません。それはいままで分厚い雲に隠れて見えなかった、月や太陽そして星空のように、大きな感動と新鮮な発見を連れてやってくるものだと、ぼくは信じています。

 

 

 

みなさんも、機会がありましたらそれぞれの「理由」を考えてみてくださいね。