つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

がらくた整理の目的の話。

さて今日の八雲町は晴れています。

 

で、とても風が強いです 汗。

 

勤務先の「ら・ふも」の裏側には隣に入っている飲食店の駐車場があるのですが、その駐車場では何度も旋毛風が発生しています・・・

 

春一番どころじゃないですね。

 

 

  

昨夜は早々に布団に入り、朝少し早く起きてお風呂に入りました。

全部というわけではありませんが、少しは疲れがとれたかな。

 

 

そんな流れで今日も「ら・ふも」に出勤しております。

 

 

 

 

 

出勤して店舗を開ける前に店舗内の掃除をするのですが、今日は何故だか掃除機を使わず、ほうきと塵取りを手に取りました。理由を考える間もなく、無意識にという感じです。

 

ほうきで店内を掃いていますと、掃除機では吸い込めなかったところからごみが出てきます。掃除機は吸引力が強いものの、行動範囲といいますか、すべての場所のごみを吸引できるわけではないようです。ほうきはその点、細かな対応が可能だったというわけです。

 

ほうきでの掃除は多少なりとも体力を使います。ほうきが小さいですから、腰も落としますので姿勢を維持するのがきついです。その中でもふと、いまこれが必要なのかなというものを感じていました。自分の手を汚すことを厭わないと、きれいにできないものもある。そんな確信を持ちながら、短時間で掃除を済ませました。

 

 

 

それと付随してというわけではないのですが、自宅に運ばれたダンボール箱の中にあるものを収納しているときに、ふと

 

「まだモノが多い」

 

と、直感で感じていました。

 

 

現在あるスペースに十分入るほどの量ではあったものの、そのようなことを感じました。

八雲町での生活で、モノが増えるのか、それとも今より減らすことができるのか、自分自身がどのように動いていくかがとても楽しみです。

 

環境が変わりますと、それにかかわるものもまた変わっていく。

「変えなくちゃいけないんだ」ということを受け入れて、どのように変化させていくか。

それだけのことなのですが、それがなかなかできないのも事実。

目指すところは、「抵抗なく」そして「自発的に」といったところでしょうか。

 

モノが多ければ多いほど、何かあったときのためにという気持ちは強くなります。

しかしその「何か」ばかりを気にしていくのも、生活していく上では負担の一部となっていると感じています。「何か」は不確定要素のため、はっきりする場合とはっきりしない場合があると思います。そこに意識を向け続けるのも、実は大変なこと。そこで疲れてしまうのであれば、その部分は思い切って捨ててしまうというのも手だと思います。

 

 

 

ぼく自身はミニマリスト(でしたっけ)を目指しているわけではないのですが、がらくた整理を絶えず行うことによって「巡り」を良くしていこうという強い気持ちがあります。がらくた整理の目指す先は、家の中にがらくたがない状態だけではないことを、少しずつではありますが実感してきています。

 

目に見えるものと目には見えないもの。

その両方において減らすことが必要なものがある。

そこをつぶさに感じて行動を起こしていけば、なんて言っていいかわからなくても、実感として成果はやってきます。

 

何かと世の中は理論が走りがちですが、言葉で説明できるものも大事な反面、言葉では説明できない、凌駕されたものを感じていくことも、生活の上ではとても大事なことだと感じています。

 

 

 

強風に負けないための装備を整えるのではなく、自分自身が強風に負けないたたずまいを覚える。

それが今言うことのできる、やれること・やるべきことなのなかと考えています。