つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

おっと、のはなし。

 

きょうも夕方まで外出していました。

 

各所に訪問して、ときには見学し、またときにはお願いをし。

 

 

 

普段は一カ所に留まっているため、こうして外に出るというのは新鮮味を感じるようです。

 

 

 

 

八雲町内、まだまだ訪れていないところがあります。

業務中にグーグルマップで町内の至る所を見て回りましたが、八雲町は結構広いことがわかります。

あいさつ回りなどで訪れた場所もあれば、実はまだ訪れていない地域もあることがわかりました。市町村合併で熊石町と八雲町がひとつになり、新生八雲町がうまれました。ふたつの町がひとつになるということは、それだけ町の敷地が広くなるということになります。普段は八雲の中心部にいることになりますが、端から端まで自分で見て回るということを遅かれ早かれやらなくてはならないなと感じました。

 

 

 

 

 

訪問先に伺いますと、ああそうか、という反応をもらうことができます。

つまりは、自分が想定していた反応とは違うものを時折いただく場合があります。

業務外ですが自分自身で体験して凹んだことと似たようなことが、きょうの業務中に起きました。

 

詳細は伏せますが、中身としては「企画をしている人間の意図」と「対象となる側の思惑」は必ずしも一致しないということ。その原因は圧倒的なコミュニケーション不足と、片側の(もしくはその両方)「善がりな考え」でる場合が多いです。そのすべてではありませんが、企画している内容のすべてに対して需要があるとは限りません。自分の能力を使って何かしらをする場合も同様ですが、相手の都合を考えずに事を進めようとしますと、どこかで躓く可能性が強まるのです

 

本日、相手側の考えを聴いて「おっと」という感触を持ちました。

それは置き換えれば地域おこし協力隊でもあるぼくにも当てはまることであったため、何かしら企画をして事を進める場合には、机上だけではなく実際に声を聴きに行く必要があるのだなと強く感じたのです。

 

 

 

相手のことをしっかりと考えずに、自分の思惑だけで動いてしまいますと

 

「なんなの、マジで。」

 

と言われてしまいます(実際にプライベートで言われました 汗)。

 

 

 

 

思惑は自分だけで進めることができますが、やりたいことというのは「相手(または対象)」があってのことになりますので、相手の立場に立つことも重要な要素になります。それが疎かになりますと、祭りのようなイベントでも人の集まりは格段に減ってしまうのではないでしょうか。数字を追うことも大事だとは思うのですが、そこを気にしてしまいますと最初の段階で躓いてしまうことも充分にあり得ますので、どこに意識を置くかというのも、大切な要素なのだなと感じました。

 

コミュニケーションとひとことで言ってしまっていますが、シンプルに「会話」のことです。わたしたちはことばを使う以上、ことばを使ったやりとりが今でも重要になっています。濃密度合いも影響はしますが、会話にどれだけ「気持ち」を注ぐかによって、双方の温度は変化していくものかなと考えました。そしてこれは、ぼくが現在構想している企画に関しても言えることです。自分の気持を理解してもらうためには方々で会話を重ねていく必要があります。それはアナログそのものだと理解していますが、それを嫌ってしまいますと折角のチャンスを逃します。泥臭くても、これだけは徹底してやらなければならないな・・・と感じました。

 

 

 

ものごとのすべてが、自分の考え通りに進むわけではありません。

そのような壁にあたったとき、相手に非があると決めつけてしまうのか、それとも双方の考えにズレがあるのかなどを考えていく必要がある。

 

それが出来る出来ないだけでも、今後の展開が大きく変わっていく予兆を感じた、風の少ない快晴の八雲町でした。