つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

風物詩の話。

きょうの出勤時ですが、ちょっとした変化に気がつきました。

 

 

 

 

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写真を見ますと「なんのこっちゃ?」と思いがちなのですが、実はこの道は住宅街にある道で、バス通りなどの大きな通りではないのですが、白線が引かれていることに気がついたのです。

 

これはこの時期特有の出来事で、春から夏にかけての風物詩となっています。

 

 

  

実は20代の頃、この白線引きの仕事をしたことがあります。

(業務内容は道路の白線や停止線、横断歩道などの工事を行う助手として)

 

繁忙期は3月末くらいからになるのですが、夜明け前に出勤して現場に向かい、ラッシュ時間を回避しながら白線を引いていくというヘビーな勤務をこなしていました。現場の状況にもよりますが、1日の業務が半日(12時間!)かかることもあり、タフな仕事だったと記憶しています。

 

そういった経験があったので、この時期の道路事情には多少ながら敏感になっています。

 

バス通りや国道などは雪融けが確認されてからなるべく早い時期に行われるのですが、こういった生活道路については予算や道路状況との兼ね合いもあり、着工時期が少々遅れます。標識などに関しても、同様のタイミングで行われると記憶しています。

 

 

 

春の時期というのは、こういった装いを改めることであったり、税金の支払通知書が届いたりと一喜一憂するものでもあります。反面、自分が何をしていなくても、色々な報せはやってくるという、教えの時期でもあるように思います。

 

 

 

報せというのは、ある意味「誰にでも」、そして「平等に」やってくるものです。

そして、風物詩に関しても同様に言えることだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

その人にとっての風物詩とはいったい何を指すのでしょうか。

 

 

ある一定のタイミングで訪れる出来事とは?

 

 

そういった出来事がありますか?と尋ねますと、思い当たる節がある方がいらっしゃることと思います。

 

 

 

 

それはどうしてなのか?

 

一説には、その出来事を「先延ばしにしてしまっている」ということが挙げられます。

つまりは、それにしっかり取り組んでいないということ。

 

「なんなの、マジで。しっかりやってるけど。」

 

と、反発する方もいらっしゃると思います。

しかし、同じような出来事が毎度毎度その身に起こっているのであれば、それはまだ解決(解消)されていないという事実になると思います。

 

 

 

上記の出来事に関しては、だいたいが「めんどくさい」出来事になります。

言い換えれば「自分は手をつけたくない」出来事になります。

そのため、それに対してはなるべく労力をかけず、何とかやり過ごそうと考えてしまいます。しかしその時はそれでよくても、巡り巡ってカタチを変えて、再び自分の元にやってきます。

 

その時にどう思うか。

ベストセラーの本ではないですが、その時に「どう生きるか」なのだと思います。

 

 

 

こんな偉そうなことを言っているぼくでも、同様の出来事は起こります。

それは忘れた頃にやってきますので、それはもうエンドレスに近いです(大汗)

 

しかしながら、がらくた整理をマスターしてからは、その個数を着実に減らしているという実感と自信があります。この一生をかけて、ゼロにすることが出来れば本望です。

 

 

 

 

風物詩は、季節を知らせるものから自身の成長などを実感する出来事など、実は様々。

そうであるならば、自分に訪れる風物詩は良いものであるほうがいい。

それは受け止め方もありますし、純粋に訪れた内容にもよります。

哀しい・苦しいことを避けることは難しいですが、その事実に目を背けず、しっかりと向き合うだけでも、物事は動き始めます。

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常に困難な道を選べと偉人は言ったと伝えられています。

常に選ぶことこそ難しさの極地と言えますが、自分に恥じない生き方をしていこうと感じた、ひんやりとした陽射しが注いでいた午前中の出来事でした。