ベタですが、サッカー・ワールドカップのグループリーグ戦において、日本がコロンビアを破る金星を挙げました。
その試合を自宅ではなく、北海道八雲町にある老舗ジャズ喫茶「嵯峨」で鑑賞。
夕食と珈琲をいただいて帰るはずが、試合終了まで居座ってしまいました。
聞くところによりますと、下馬評では日本の劣勢だったようです。
加えて、予選通過も難しいとみられているようです。
それが実際にはどうなのかというのは、ぼくにはわかりません。
ただそこから聞こえてくるのは、自分がこれから何かをやろうとしているのに、早々に言い訳をしてしまい、失敗ありきな空気を出してしまうかのようなものでしかありませんでした。
言い訳をするなとは言いません。するなと言っても、なかなかできるものではありません。
しかしそれが毎回になりますと、それが普通になってしまいます。
他とは明らかに違うというものがあったとしても、自分はそれに気づかぬままになってしまいます。
それって、とても惜しいことだとは思わないでしょうか。
地震が起きた地域は、いま必死に堪えています。
これがいつまで続くでしょうか。
その中で、どこかで言い訳をしてしまうかもしれません。
それは、この状況下では、仕方のないことなのだと思います。
しかし、それをいつまでも続けていくわけにはいかないのです。
それに慣れてしまいますと、何かが「確定」してしまいます。
そうなると、大きな変化を生むことが出来なくなります。
自分の置かれている状況を、大きく変えていくことが出来なくなるのです。
どこかで、日常は必ず流れています。
その流れから、どうか離れないでください。
日常に身体を置くことこそが、変化の第一の条件なのです。
変化とは、1度でも180度でも、変化なのです。
覆す、とはどういうことを指すのでしょうか。
まさしくそれは「逆転する」ことだと思います。
この世界では、色々なことが要因となって「堕ちてしまう」ことがあります。
そこで自分に言い訳をしてしまい、しょうがないのだと「認めて」しまいますと、堕落したままとなってしまいます。
意識的にではありませんが、この状況を「自分が必ず覆す」という強い気持ちでいたならば、誰もが予想もしなかった、見下していた展開を覆すことが出来るのだと思います。
ぼくも偉そうなことは言えません。
言い訳を連続し、それを後になって激しく後悔しました。
そして今は、人知れず「本気」になっています。
それはしばらく逢っていない人が見ましたら、驚くことと思います。
目的は、ありません。
単純に、自分が納得したいからということだけです。
そのために、どのような状況に置かれても、誰かがこれはこうだとかああだとか「決めつけて」も、それは決まったことではないので、その決めつけを「覆す」ことに本気になります。
今夜の日本代表のゲームは、よい姿だったと思います。
まさしく「覆す」ために「本気」になったんだなと感じました。
世界的に活躍される選手たちの本気の姿は、全世界に波及します。
それが表す影響と展開に、注目したいと思います。
今夜はぼくも、「本気」をもらいうけました。
明日からまた、本気になろうと感じました。