つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

やっと実家の母に電話した話。

ようやく、札幌の実家に電話しました。

 

 

 

 

このブログを読まれている読者のかたは、ご実家(またはそれに準ずるところ)に電話をしていらっしゃるでしょうか?

 

というのも、実家に電話するというのは、「いつでもできる」ことの究極だったと気づいたのです。

 

  

「いつでもできる」。

 

 

これは、断捨離やがらくた整理などでいうところの「先延ばし」にあたります。

 

 

きょうは○○だから、今度でいいや。

 

 

言い換えればこのようなことで、やることを済ませず、次の機会にしてしまいます。

そうなりますと人間の癖として「繰り返す」ことが発動し、自分では短いあいだのつもりが、気づけばあれから数か月、ひょっとしたら1年過ぎていたなんてことも。

 

ついこんな風にして、やるべきことをやらないままでいる。

 

 

 

恐らく多くのかたが、思い当たる節があるのではないかと思います。

 

 

 

 

がらくた整理を繰り返し行ってきたからといって、すんなりとこんな癖が治るとは限りません。忘れた頃にこういうのはやってきますし、気づいて初めてわかることが多いのです。

 

 

 

実家の母が難聴で耳鼻科入退院を繰り返してからは、比較的こまめに実家に連絡をしていましたが、八雲町に移住してからはその間隔が長くなってしまいました。頭では「連絡しないと」とは思っているのですが、それがすぐ行動に移すことができない環境であったりなどして、今日の今日まで先延ばしに。先月はかろうじて母と話すことが出来ていたのですが、実質1ヶ月の間が開いてしまいました。

 

 

 

そんなこともあり、やっと実家へ電話し、母と近況の話しなんぞをし。

今月も無事に親子の対話が終わりました。

 

母との話は、比較的長めです。

 

長くて20分越えですし、どんなに短くても10分前後は離します。

家人との電話での会話なんぞ、ものの数分、いや数十秒かも(笑)

 

 

 

札幌はまだまだ寒いそうです。でも、母は元気そうです。

それが何よりだと思います。

 

 

 

 

過去、祖母の見舞いを伸ばしに伸ばした結果、生きているあいだにお見舞いに行くことができなかったという苦い経験をしています。そういった場面に直面した際、ひょっとすると言い訳をしてしまうかもしれません。しかし、その言い訳を「誰に」向かって話すのでしょうか。そう考えると、言い訳というのは他人に対する説明ではなく、自分が「仕方ないことだったんだ」と納得させたいがための行動なのかもしれません。ですがそれは、大切な何かが離れてしまった後では、無意味であることを知り、忘れないようにしなくては何度も同じことを繰り返してしまうのです。意識することは無理かもしれません。でも、その因果を刻んでおかなくてはなりません。

 

 

 

八雲町と札幌市は、どんなに短くても200kmは離れています。

つまりは、すぐに駆けつけることは、無理です。

札幌市はふるさととはいえ、移動にも結構な時間を消費します。

この長距離が今後どのような展開を起こしていくのかは、わかりません。

ただ見守るばかりです。

 

 

母がもう少し調子が良くなれば、八雲町に来てもらおうと思っています。

来てもらうこと自体が少々大変ではありますが、何かしら息子らしいことをしてあげたいと思う年頃になってきました。後は何よりも「元気でいて欲しい」ということのみ。

 

そんな余韻に浸りながら、ひとつの大事なやることを終えた月曜日でした。