つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

「神事」の話。

6月の出来事になってしまいますが、八雲神社例大祭、御輿を担がせていただくことができました。

 

 

 

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これは昨年も地域おこし協力隊が参加しており、ひとまずは毎年恒例の行事になっているようです。

 

 

 

前にも触れたと思いますが、改めて八雲神社について説明しますと、八雲神社は日本にふたつとない、熱田神宮の分社となります。その起因は尾張徳川家にあり、よって八雲という場所は尾張地域、現在の愛知県とのつながりがあります。実は八雲町の地名には「熱田」という場所があります。そして「東雲」や「出雲」など、雲という名がつく地名もあります。

 

 

 

八雲神社、というのはどうやら北海道八雲町以外にもあるようですね(ざっと20社)。

 

祀っている神様は

 

熱田大神

天照大神

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

日本武尊(やまとたけるのみこと)

宮簀媛(みやずひめ)

建稲種命(たけいなだねのみこと)

徳川慶勝

 

となっております。これは北海道神宮よりも多いかな?

 

 

 

 

 

 

 

実はわたくし、この年齢になるまで御輿を担いだことはありませんでした。

こども会のみこしも担いだ記憶はありません。

なので、今回は貴重な経験となりました。

 

 

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過去の日記にも触れていますが、幼少の頃より創価学会(入信当時は日蓮正宗創価学会だったか)に入っていたため、他宗の催しには参加できない状況でした。今でも言われているようですが、「鳥居はくぐるな」と、小さい頃はよく言われていたことを思い出します。夏祭りは神社で行われることが多いと記憶していますが、そういった環境のためか、積極的に神社へ行こうとはしませんでした。今となっては、もったいなかったと思います。

 

 

 

それからウン十年が経過し、創価学会を退会した前後で、宗派にこだわらず歴史的意義のある場所や、その文化が学べる場所などを訪れるようになりました。宗教の教えとしては相いれないものがあったとしても、育んできた文化には敬意を持たずにはいられませんでした。そのため、他宗を排することはどういうことなのだろうと感がえるようにもなりましたが、今回はその話は関係ないので忘れた頃に書きます。

 

 

過去の話を参考程度に。

maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

maruyamabase.hatenablog.jp

  maruyamabase.hatenablog.jp

 

 

 

 

説明のような説明にはなっていないような案内はこれくらいにして、御輿渡御当日は曇り空で、小雨がぱらつく程度となっていました。結果夕方近くになりますと雨が本格的に降り出すようになってしまいましたが、ずぶぬれにならずに済みました。

 

 

 

御輿渡御についてのスケジュールはかんたんに書きますと以下のようになります。

 

  1. 神社にて着替え
  2. 祭壇前より渡御開始
  3. 幾つかのチェックポイント(祭祀を行う場所)まで御輿を渡御する
  4. 祭祀中は小休止
  5. 再び町内を渡御し、神社に戻り昼休憩
  6. 再び渡御を開始し、メイン通りにて渡御の披露
  7. 商工会の建物内にて御神楽を披露
  8. 渡御再開
  9. 神社へ戻り、終了の儀式
  10. 直会(なおらえ)を行い、解散

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移動は基本徒歩(商工会前のメイン通りまではバス移動)であり、足袋を履いての移動となりました。慣れていない履物で疲れ、雨にも時折打たれ。そして御輿はとんでもなく重い。当日は悪天候のためスケジュールを変更して行ったようですが、とにかく疲れました。これほどの重労働とは思いませんでした。

 

 

 

でもね、でもね。

 

とみーは、背が低いのです。

そして、周りは背が高いのです。

 

しかし本人はいたって真面目。

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正直、あまり担ぐことが出来ませんでした(笑)腕で支えていた時間が多かったのです…

そんなんでも、両手両足パンパン。

肚に力を入れていかないと、途端にけがするだろうなと考えながら歩いていました。

 

 

 

 

そして、御輿を担いだ個人的な感想を述べていきますと、文化としての行事はとても意義があり、歴史を物語る貴重な財産であると感じました。

 

町内を歩いているときには雅楽の生演奏がつきましたし、沿道には御輿を待つ町民の姿がありました。耳で音楽を聴き、傍らに御輿を待つ人を見る。うまくは言えませんが、こういった時間もまた必要なことなのかなと感じました。

 

こういったお祭りは年々縮小傾向にあります。それでも続けていくことが出来るのは、これが「神事」であり、続けていかんとするひとたちの助力があってこそだと思います。しかしながら興味が薄れたり、高年齢化が進んだりと、後を担ってくれる人が少なくなっているとも聴きます。そのいっぽうで開催「だけ」を待ち、催しが縮小または廃止されると、あれが悪いこれが悪いと匿名で、一流コメンテータを気取って批判を重ねる者もいます。

 

 

 

これでは終わりますよ。どこでも。どんなものでもね。

 

 

 

いまや日本全国、いろんな問題を抱えています。オラが町、オラが村だけという規模ではもはやありません。そこを見誤ってしまいますと、マチも、ムラも、そして自分自身も後戻りが出来ないところまで来てしまいます。

 

物事はその最中ではなかなか判断がしにくい傾向を持っています。

終結果が出たときに初めてひとは事態の大きさに気づくという繰り返しも行っています。

 

それを止めるにはどうすればいいのか?

 

 

 

まずは「動く」ことが必要になります。

口先だけでは、ダメだということです。

現状は口だけでも回るヨノナカになっています。ワイドショーなんか見ていますとよくわかります。

口と手足はまったく異なります。それがわからないとなりません。

面倒だの何だのと言われますが、アナログに還らないと一生出来ずじまいになります。

 

究極を言えば、スピリチュアルもリアルも、楽は決してしてはダメです。

だってそうでしょう?何故御輿に神さまを乗せてわざわざ回るのでしょうか?

神さまでしたら、ひとっとびでしょうに。と、素朴な疑問を抱きます。

 

 

 

わたしたちは、不器用とか不便とかを受け容れなくてはなりません。

便利な世の中ではあっても、原理原則を忘れてはなりません。

このような神事は単なる「祭り(祀り)」だけのものでしょうか。

もともと、何の為だったのか。何を自覚するためのものなのか。

 

基本に立ち返ること。まさしく「還る」ことが重要なのだということを、学んだ気がしてなりません。

 

 

 

 

これまでこういった神事には縁遠い場所にいましたが、移住という展開が様々な縁を結んでくれています。そのことにただただ感謝し、その恩を送ることができるように、限られた時間を生きていこうと感じました。

 

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最後に、疲労困憊な本人です(笑)