つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

地震後の札幌へ。

ただいま札幌市中央区に滞在しております。

 

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ホテルはかつて宿泊したこともあるホテル。

夏になりますと、無料のジャズライブが行われる、スタイリッシュなホテルです。

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高速バスで札幌市に入りましたが、地震の爪痕が残っているのはごく一部なようで、中心部はいたって普通な時間が流れていました。

 

 

もともと実家の様子を見に行く予定で組んだのですが、母親から

 

「来なくていい」

 

と無碍なひとことを食らいました 汗。

 

余震の影響もないようなのでほっとしていますが、後々出てこないかなぁと心配なのです。

他にもやっておきたいことがありましたので単身帰ってきましたが、実家のほうへは行かず、日常に戻った札幌の様子を感じては、ひとり勝手に安心しております。

 

 

 

八雲町での日常は緩やかに流れながらも時折急流が発生する感じで、何かと気を休める暇がなかったような気がします。特に自分で企画を進めるなんていう暴挙を行っていますので(笑)、体力的な消耗は予想以上です。

 

そんなわけなので、からだのメンテナンスをしてきました。

これは長年お世話になっている、驚くほど「痛くない」整体院。

きょう行きましたら4人待ちでしたが(汗)、お陰様でストレスがかかっているところを和らげていただくことができました。

 

これで、イベントを乗り切るための準備がまたひとつ、整いました。

 

 

他には買い物を済ませてきました。

自分が佇むフィールドはその大部分が自然であり、野外になりますので、アウトドアのギア(というか衣類)を購入。そして札幌駅ステラプレイスにて恒例の本の購入。

本当はジャズのCDが欲しかったのですが、店頭にはありませんでした。残念。

 

整体を受けている最中に身体の循環が再開し、空腹感を覚えたので同じくステラプレイスで夕食。親子そばをいただきました。

 

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そしていま、窓の向こうにあるテレビ塔を眺めながらこの記事を書いています。

 

 

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ぼくはメガネをかけていますので、調整をお願いしにメガネチェーンへ行きましたら、そこは今回の地震で被災された方に対してのサービスをいろいろと行っていました。

北海道内でのニュースでも報じられていたのですが、罹災証明書があれば受けられるとのこと。このサービスがすべてのメガネ店ではないかもしれませんが、正直これはうれしいです。厚真にはまだ入ることができていないと仰っていましたので、1日も早くサービスを提供できる日が訪れて欲しいと思いました。

 

 

 

 

なんとなくですが、日常というものはありがたいです。

だからこそ、その中に埋もれてしまっている様々なサインを見過ごしてはいけないのかなと感じています。それは自然が示すもの、そして人が示すものとにわかれます。

 

ここ数日、「本を読む!」と言い聞かせて本を読んできました。

高速バスの車中でも、本を読みました。

地下鉄での移動中も、読みました。

このときに「文字や表現を蓄える」ことは、なんだかタイムリーなように思えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもいつも、頭の中では最悪の展開を描いてしまっています。

 

寝ているときに企画関連の夢を見ることもあれば、うなされてしまうこともあります。

短期間でけっこううなされております 笑

気持ち、眠っている時間も短くなっている気がします。

 

他にも、色々とネガティブな妄想も繰り広げてしまっています。

これは本当に悪い癖です。

 

そして今でも、「企画をやめなさい」と言われそうで怖いです。

通った以上はそんなことないのかもしれませんが、どこでどう変わるかわかりません。

見えない影にびくびくしながら、前を向いているような感じです。

 

そんなんでも札幌のときより比べて大きく異なっているのが、ぼく自身の健康状態。

どっちかと言えば「メンタル」面が、いっこうにへこたれない。

いや、瞬間的にへこたれたことは何度もありました。

途中、深呼吸ができないと感じたこともあったくらいですから。

そんな佳境を迎えても、倒れることなく生きています。

それは整体を受けているときにも話したのですが、「気の持ちよう」なのだと思います。

 

余震は変わらず続いていますが、徐々に日常のほうが大きな広がりを見せています。

爪痕自体が見えなくなるには、数十年という時間がかかるやもしれません。

たとえ時間がかかっても、わたしたちはこの地で生きていかなくてはなりません。

そのように考えたとき、いま何が起きていて、何をやるべきなのかを見据える必要があるんじゃないかと考えています。

 

スケールが大きくても小さくてもいい。

目の前に、「やるべきこと」は芽を出しているはずなのです。

 

そのように書いてしまいますと、背負うものが一気に重たくなってしまうので注意が必要なのですが、ひとりひとりが何かを見つめなおす時期に来ているんだと思います。

そこから、次の150年に向けた、はしわたしになることをはじめて欲しいなと思いました。

 

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