つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

移住は、リハビリ。

きょうは札幌市中央区のホテルから記事更新。

 

どこにいても目覚める時間が一緒です。もはや目覚ましいらないくらい。

 

昨夜は記事更新のあと、紹介されたお店へ飲みにいってきました。

終電を気にしないで飲むことができるのは、優越感かもしれません。

 

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札幌市にいたときは、ここまでのパワフルさといいますか、アグレッシブさはありませんでした。八雲町に来て開花したのか、それともふたたび・・・?

 

というのも、八雲町に引っ越してきてから既に何組かお客さんを迎えているのですが、口々に言うのは

 

「とみーが元気でよかった」

 

なのです 笑。

 

 

それだけ、札幌市在住時は元気がなかった、ということになるのです・・・

 

 

ざっと健康遍歴を書きますと、コールセンターでの長時間勤務(なんと10時ー21時のシフト)からはじまり、管理者になってからは終電、または終電後に帰るのが日常。

ごはんもコンビニの弁当が主で、気づけばどんどん太っていきました。

何かに挟まれ続けてきた状態だったので、意を決して仕事を辞めて、その後遭遇したのが「ボーダー」という性格を持った女性でした。

 

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そこから、ぼくという人間が大きく崩れます。

 

まず、その人との出会いがきっかけで抑うつ状態になりました。

夫婦げんかも頻繁になり、夜も満足に眠れない日々が続きました。

過去にも一度、自分の人生を投げ出そうと本気で考えたことがありましたが、このときはじんわりと続く頭痛による無気力感から、生きることへの興味を失っていきました。

 

そこから、うつの症状に対する治療がはじまります。

 

カウンセリングや呼吸法、ヨガやナントカの水など、効果があると思われるものにどんどん触れていきました。中には効果を感じるものもあったけど、なかなか「芯」にまで届くものはありませんでした。そうこうしていくうちに心療内科を受診。仕事復帰をしても、その症状が顔を出すことがあり、長く続くことはなかったのです。

 

それが何年、続いたでしょうか。

 

正直、生きていて「申し訳ない」という気持ちにすらなりました。

 

 

 

 

だからほんとうは、八雲町への移住の話が出てくるずっと前に、じぶんの生きかたの総括をしてもいいよな、と考えていました。

 

結局いまもこうして生き恥をさらして生きていますが、北海道神宮の近くに引っ越したことをきっかけに「どんどんフェードアウトしていこう」と本気で考えていました。

それは自分で自分の「賞味期限」のようなものを決めた瞬間でもありました。

 

うつに対する治療は、途中でやめました。

薬も診察も、ずっと続くような気がしましたし、なんとなくですが、その治療は自分には合わないという気がしていました。

 

では代わりに何をしたかといいますと、家事を行いました。

家のこと全般を行いました。

これって意外に体力と気力を使います。

掃除だけで1日終わり、という日もありました。

しかしこれをやりますと、不思議と体力がついていきます。動けるようになります。

沈む日もありましたが、そこに「いまをいきる」ための基礎が培われたような気がします。

 

そして再び社会へ出て、仕事をします。

途中、これまでの症状が顔を出したこともありましたが、ドロップアウトをせずに勤め上げることができました。就職のチャンスは逃してしまいましたが、その後違う仕事に就き、地域おこし協力隊の応募を行ったことで、現在があります。

 

 

現在も、元気にさせていただいております。

睡眠時間は少ないままですが、生きる興味を失うことなく、毎日を過ごしています。

何が違うのか?と自分自身に問うてみても、答えは「気の持ちよう」としかいうことがありません。

それだけでこんなにも違うのか、と思います。

どうやら、寿命はまだ先のようです。

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いまのところ、快活な日常を過ごすことができています。

それも来月のイベントを迎えることで、ひとつの節目を迎えます。

 

その時間を過ごしたことで何かが変わるというわけではないのですが、そこで出てくるひとつの「こたえ」のようなものがあるのではないかと思っています。

 

 

 

まだまだ住み慣れない移住先での生活は、慣れないことに対して地道に努力し、次第に順応していくリハビリのように感じました。

 

そう考えてみますと、「人生リハビリ」と言えなくもありませんね。

 

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ここだけの話、ぼくは社会にいてはいけない人間だと思っています 汗

なので、いまいる場所でいのちを込めて展開を起こしたあとは、人里離れたところに落ち着きたいなと勝手に考えています。

 

地震の後に幾つかの本を読んで、いまの自分の姿勢や考えが「危険」なものであるとわかりました。

つまりは「肩に力が入っている」ということで、どうやらそれは一種の「枠」のようです。

 

地域おこし協力隊は最長で3年間。しかし、その後も八雲町に住み続けるのなら、3年以上の時間を費やすことになります。

 

3年間で・・・と考えてしまいますと、それはもう無理がかかります。

はい。わたしはいま、無理をかけています 汗

 

恐らく、双方が何かしらの結果を・・・という気持ちでいますから、余計なんだと思います。

それを取り払うことができればと思いますが、なかなかそう簡単なことではありませんね。

 

 

 

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札幌に来まして、ほんの少し考えが変わりました。

それは「地域おこし協力隊でいるあいだはとことんリハビリをして、協力隊を抜けたあとの人生や仕事に注ぎ込もう」というもの。

 

そのように考えていくと、暴走する恐れ(笑)もなくなるかも。

 

 

 

そんななかでも、忘れたくないことがあります。

 

それは、この瞬間はそのとき「だけ」のものだということ。

たくさんたくさん後悔し、取り返しのつかないことをこれでもかというくらいやってきたからこそ、一本の線のようにつながる瞬間の連続を、大切にしたいと思います。