木育のイベントが無事終わって。
風邪もだいぶ回復して。
久々の休日に少し走り、向かった先は八雲町の郷土資料館。
こちらの展示に関しては勤務先の「ら・ふも」にも掲示してあり、前から興味がありましたので期間内に行こうと思っていたのです。
で、無事に風邪の症状もよくなり、軽くジョグしながらまずは八雲神社に参拝し、そこから資料館に向かうことにしました。
上の写真の展示は記念事業となっており、その展示品についてはすべて撮影NGでした。
そのため木彫り熊資料館の入口しか撮影していませんが、新鮮な驚きといいますか、発見が見られます。
尾張徳川氏が入ってきてからの時間にも関わらず、濃密な時間がこの会場には刻まれています。11月末までの展示となっており、残り1カ月を切りました。
この八雲町を知るための貴重な資料を、機会がありましたら是非ご覧ください。
その足で向かったのは、同じフロアにある郷土資料館です。
こちらは町内から見つかった出土品を展示しています。
夏場にもいちど見に行きましたが、感覚としてはその続編のように感じます。
八雲町の内浦湾側は縄文時代にいくつもの集落があったことがわかっており、そこから生活と文化の痕が多数見つかっています。
高速道路の建設時にも多数見つかっているそうですし、ぼくがイベント会場として使わせていただいた「噴火湾パノラマパーク」も、敷地内にいくつもの遺跡が存在していました。
これらの現地を確認することはできなくなっていますが、出土品をつぶさに見て、わたしたちの先人に思いを馳せるのもいいかなと感じていました。
これはポスターに写っていた、骨で出来た櫛です。
この時代に装飾品があることに、ただただ驚きです。
何故驚きなのかといいますと、その時代に「飾る」という意識があったということです。
それは祭祀のためなのか、ファッションのためなのかは勉強不足でわかりませんが、材料を加工する技量やセンスなどがあり、実際にそれを生産できたことは純粋にすごいことだと思っています。
美的センスは、古来のものだったということですね。
ファッションの進化は、必然のことだったようです。
へぇ~っと思って撮影した出土品。
芸が細かいです。
結構精密だと思います。
赤いマルで遺跡があった場所を囲っています。
噴火湾パノラマパークは広大な敷地を持っていますが、その中にいくつもの遺跡があることを見ますと、生活の基準などが見えてきます。資料館には説明書きのパネルも掲示してありましたので、この地域の遺跡について少なからず学ぶことができるようになっていました。
こういう展示は大都市では日常的に行っているかもしれません。
しかしながら、結局そういう場所に足しげく通うことはありませんでした。
一体何がいけなかったのか?と考えましても、「機会に恵まれなかった」としか言えません。
というのは、やはりその人の置かれている状況によるのだと思います。
ましてやぼくの場合、移住がバタバタといった具合で決まりましたので、札幌で訪れたい場所を残しての移住になりました。そうなるともう、「行っておけばよかったなぁ」と後悔して終わりです。
八雲町に移住してからは、おそらく当人の意識が変わりました 笑。
町のことを知る為でもありますし、勉強やこの先の何かに繋げるための準備でもあります。
趣味とか、道楽で考えていないようです。
かといって、自分の仕事として、ということでもないようです。
今は取捨選択をするよりも、あらゆることを可能な限りというスタンス。
そこから、広げられるものは広げていければいいやという考えです。
随分と変化したものです 笑。
加えて、現在ではこのように考えています。
「外に出ろ。動け。そうすれば出逢うから。」
単純明快でアタリマエなことなのですが、これは何も、「人」だけに当てはめるものではありません。そのように考えた結果のひとつとして「噴火湾パノラマパーク」に出逢い、そこでイベントを行うことになったのですから。
そのように考えますと、きっかけは中々わからないものです。
なので、素材をとことん集めましょう、ということになります。
いまは不要なものはどんどん手放しましょう、という時代になっていますが、最初からそれを行うのはすごく難しいです。
ではどうやって減らせばいいのかと言いますと、「増やしてから減らす」ことがひとつの方法ではないだろうか?と思うようになってきました。
どうしても、人間は生活のうえでモノが増えていきます。
それはもう、仕方のないことなのです。
だから増えるのは仕方ないから、そこからでも減らすことを放棄しないで、という具合です。
それができないと、いろんなメソッドもすべて無意味になります。
ぼくは一応、世間で言うところの断捨離を何度も実践し、その都度モノを減らしてきました。
ただ現在は八雲町に移住し、またモノは増えてきています。
それを「いつかやんなきゃなぁ」と思うのではなく、少しでもいいから手をつけていく。
それができるかできないかで、大きく変わっていきます。
ぼくはこの北海道八雲町でも、がらくた整理(断捨離の事)を活かして生活していこうと考えています。これを再び仕事とするかはまた別の話になりますが、少なくともこれで、自分自身で道を拓いてきました。だから、今後もこの方法で拓いていきたいと思います。
朝訪れた八雲神社は、とても静かでした。
その静けさが、これからの生活に必要な気がしました。