つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

3年2か月の。

スマートフォンの機種変更をしてきました。

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 右はこれまで使用していた機種。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の機種変更ですが、近隣の店舗に在庫があるかどうかという不安等もあり、オンラインショップで機種変更の手続きを済ませました。受け取りは店舗指定にし、本日無事に機種変更を済ませてきました。

 

 

 長く付き合ってきた、これまでの機種は自分がかなり辛い時期を一緒に過ごした愛機でもあります。

 

以前の機種を持った時期は3年前の8月。

この時のぼくは、正直言いますと「生きる」ことに対しては正直どうでもいいという姿勢でいました。

 

そんな中、点描画アーティストである秋山峰男さんの札幌でのサポートをすることになり、活動を始めた頃でした。

 

そのさなかなのですが、打ち合わせ中にその当時持っていたスマートフォンがクラッシュします。急いで機種変更をした機体が、これまで使用していた愛機でした。

 

実はこの愛機に変える際、クラッシュしたスマホの状態が思わしくなく、一部のデーターを引き継ぐことができませんでした。その中に、どうしても押さえておきたかった連絡先が含まれたメールなどがあったのですが、それらを含めたデータの一部が、引き継ぎできませんでした。この事実に、ぼくは無力さを感じ、力が抜けるかのごとく膝を折り、その場にへたり込みました。

 

 

「負け」。

 

 

この感情を、強く感じた瞬間でもありました。

 

その後、記憶を辿ってみることを試みましたが、結果はいずれも辛いものとなりました。

 

 

 

 

 

ぼくはこれまで、「死ぬ」ことを幾度も意識してきました。

 

それは「自死」も含まれています。

 

 

若いころは「自死」を強く意識し、そしてそこから更に生きる時間を過ごした後は、さまざまな「寿命」を意識するようになりました。

 

自然に死ぬか。力をかけて死ぬか。

たったそれだけの違いではありますが、それだけ強く意識を向けていた時期がありました。

 

まぁ、現在はのうのうと生きていますが 汗。

 

 

 

 

 

そうか。3年2か月か。

 

正直に、その長さを感じていました。

 

 

 

 

 

 

 

この3年2か月の苛酷な独り旅は(どっかで聞いたような・・・)、いや、期間はまだ続いていると思っています。

 

周りに誰かがいたとしても、その人のすべてまでを解ることは難しく、そういった意味から「独り旅」と表現をしています。そう、それを痛感し続けた3年2か月でした。

 

独り旅は、自問自答の、禅問答の日々でした。

常に疑問を持ち、常に気づきを得ながら過ごしていました。

 

 

抱いた疑問のいくつか、または多くは未だ解決をしていませんが、それが「正しかった」「間違いだった」という判断は、不思議にもしなくなっていきました。代わって出てきたことは「必要だった」という言葉。そのように考えることで、受け止めることができるようになっていったのです。

 

 

 

どこかで時間の経過を感じるタイミングは、そこかしこに存在しています。

それはときには忘却の引き出しを動かすことにもつながります。

ときにはおさらい、再確認が必要なこともあると思えばいいのだと考えています。

 

 

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これも3年2か月の成果のひとつです。