つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

なにもないことのメリット。

毎日何かしらのメディアに触れていますと、とにかく「もっている」人への注目が高まっています。

 

これは昔からだと思うのですが、有名人やとても高いスキルを持つ人のところには、人が集まります。声もかかります。それはひとつの成果のようなもので、目に見えてわかる「メリット」なのかなと思っています。

 

 この「メリット」。考えていくと奥が深く、また、自分自身を知るいい機会になりそうだということが見えてきました。

 

というのも、「メリット」を考えてしまいますと、自分にとってプラスになるための行動を起こす、という流れになります。それは自然と「メリットにならない」ものに対しては「なにもしない」ということに直結します。

 

あとよくあるのが、Aさんの誘いには乗るけど、Bさんの誘いには消極的、というか、返事をしない、または無視。

 

Aさんからの場合「はいっ!行きます~」

Bさんからの場合「えっ・・・」

 

と書きますと、かなり残酷です 笑。

 

 

こんな反応を、これまで何回されてきたでしょうか。

もちろん、移住先の八雲町でも既に経験済みです 汗。

 

 

 

以前の知り合いに「わたしはメリットのある人しか逢わない」ということを公言していたかたもいらっしゃいました。損得を考えてしまうと、こうなるのは自明の理です。ただ素朴な疑問として、「これでよいのだろうか」というものが出てきました。

 

 

つまり、その人にとってメリットのない人は、ほんとうにメリットがないのか?ということなのですが、それは「点」での判断であって、それが「線」や「面」になると、ひょっとしたら変わってくるのではないか?と思ったからです。

 

テレビアニメなどではコメディのように取り上げられることがありますが、これまで目も向けられなかったキャラクターが、ひょんなことから注目を集める存在となり、デメリットの存在からメリットの存在にがらりと変わる。

 

ぼくもこんな経験をしたいですが、それを気にしていたらダメなような気がします。

 

 

 

 

言葉は悪いですが、「メリット」を求める人の行動は、なんとなく「使い捨て」「その場限り」という印象を持ちます。だって、そのメリットある人からは永遠に自分に対するメリットを受け取れるかどうかは不明です。なので、あくまでも「受け取れるまでのあいだ」ということになります。これは決してハズレではないはず。

 

では、デメリットといいますか、メリットになるものが何もない人はどうなのでしょうか。

ぼく個人の考えでは、それこそが最大のメリットだと考えます。

 

というのは、「ここからいかようにも変わることができる」からです。

もちろんどうなるかはその人次第なのですが、これって可能性がいちばん凄いんじゃないかと想うのです。

 

どうしてもわたしたちは視覚で認知するものに対して感情を抱きますし、考えを働かせます。何かの利益を求めるために、特定の場所や人にだけ注ぐということも、仕方のないことなのです。

 

でも想うのは、この世界に、自分の利益にならないことはあるんだろうか?ということなのです。それって、「勝手に」判断、つまりは「決めつけて」いるんじゃないかってことなのです。

 

 

 

 

 

周りはね、しょうがないですよ。

そうやって自分が知りたい分野などに対するメリットを求めて動くのは。

興味ないことには一切足が向かないのは、八雲町に来てよくわかりました。

「ら・ふも」にメリットを感じていない人は、大多数います。

最初はそのジレンマに襲われましたが、そうなのか~と気づきを得ましたら、かなり楽になりました。

 

八雲町に移住してきたこのぼくは、周りの人からしてみれば、「メリット」のない人間だと思われているかもしれません。または、メリットがあるのかどうかわからないといった具合です。

 

ぼくは札幌で長く生活してきたので、八雲町の生活や視点など、中心になるものにまだ適応しきることが出来ていません。だからというわけではありませんが、どこかで部会者のような、よそもののような感覚を味わっています。

 

 

それも込みで、ここに来たと思えるようになれれば。

と、最近では考えることが出来るようになりました。

八雲町に住む人にとっては、ぼくはまだなにもない存在です。

一緒にご飯を食べるメリットもなければ、飲みにいくメリットもないと評価されています。

 

だからこその強みがある。

それは、メリットとデメリットを考えて行動している人には気づきにくい感覚です。

何かがあることのメリットは、言ってしまえばアタリマエです。

アタリマエじゃないところにもメリットがあるのだと自分気づき、周りも解ってくれたなら、これほど嬉しいことはないんじゃないかなと思います。

 

 

 

 

これまでたくさん、無力感を感じてきました。

ぼくには何もない、ということを痛感してきました。

それは最近主催したイベントでも感じたことですし、

相手の素の反応に大きく落胆もしました。

 

 

だからこそではないですが、なにもないことの強みを持ちたいなと強く思うのでした。

 

※明日から数日間は、自動更新で記事を掲載します。ご了承ください。