つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

お前は、苦しめ。

 

さきほど戻りました。

 

 

夜に講演会があり、流れで懇親会に参加してきたため、更新が遅くなりました。

 

 

聞けば八雲町でも「雪」が降ったとのこと。

 

外に出たときにはその様子はうかがえませんでしたが、ところどころ路面が凍っているのを見つけました。

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踏切ですが、きらきら光っているのがわかります。

 さて、きょうはオラクルカード、最後の1枚を紹介します。

 

 

 

 

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No.23「新たな始まり」

 

キーワードは「開始」「発動」「新たなスタート」「第一段階」

 

 

 

 

解説を後にして、このカードを見たぼく自身の感想は、何というか、何とまぁ・・・というものでした。

 

残り3枚のカード、実は中身を見ずに決めています。

不思議にも選んだ順番は、今のぼくに必要な、「喝」でありました。

 

実は先週から、ずっと「落ち目」を迎えており、昨日、それがどん底にまで堕ちました。

背景には浅はかさ等、自分の愚かさばかりが目立ちもするのですが、その奥には他人には決して理解してもらえないだろう、純粋さがあります。その中身にもよるのですが、たとえ純粋であったとしても、批判されてしまえばそれまでというものがあり、そこから議論や検証が一切進まなくなりますと、その時点での最悪の評価が下されるだけとなります。

 

その純粋さはだめだ。

 

そういうのは至極かんたんです。誰にでも言えます。

ではなぜその純粋さを持ったのか?

それが説明できなければ、どんなにいっぱしのことを言っていたとしても、その人にある優位な立場は虚しくなるのではと感じました。

 

 

 

 

堕ちた次の日に見たカードが、「始まり」。

 

新たなとはありますが、「ここから」という波動をすごく感じます。

 

翻訳すれば、「待ちくたびれたけど、ようやくここに立てたね」。

 

 

 

新たな始まりです。

 

 

英文には「新たな感情のサイクルが始まります」とあります。

現在のところは「闇」に覆われそうな感情ではありますが、この奥深くに入らなければならないようです。

 

「闇」にのまれるのは、簡単です。

はい。諦めればいいだけです。

そうすれば、言葉は過激ですがいともかんたんに死ねます。

これまで死ぬという語句を何度か用いてきましたが、人が自らそれを選ぶときの心境は、ほんの少しでもわかる気がします。

 

 

この「堕ちる」体験は、学びだとカードは語っています。

これすらも学びなのかと想うのが正直ですが、実際ぼくはこれを「選び」ました。

なので、今受けている苦しみも「望んで受けたもの」になります。

 

これだけ聞けば、立派なキチガイです。

 

いつかは自分のクソさ加減を書いていこうと思いますが、そのクソさをただ「いけない」ということは簡単なのです。こどもでも言えます。でも、なくならないのはどうしてなのか?と考えますと、単純に「ダメ」では解決になっていないからです。そこを理解してあげないと、根本的な解消にはつながりません。

 

わかりあえないからといって、相手をまるきり信用しなくなるというのは、性急な気もしました。それはかつてとった自身の判断でもありますが、いまその判断の後悔が苦しみを生み、こうして学びにつながっています。

 

 

 

 

 

 

 

正直、疲れました。

もういいだろうと思ってしまいます。

悪い癖ですが、このままもう目を覚ましたくないとも考えてしまいます。

 

カードの解説を読み進めていきますと、やはり苦しみも学びだといったことが書かれていました。どうやら更なる学びを生むそうです。

 

いま求めているのは「学び」なのか?

 

 

 

 

 

わかりません。正直に、わかりません。

もう、ほっといてくれ、というのが、求めているものかもしれないというのに。

 

 

貴婦人と一角獣にある「我が唯一の望み」。

それはいったいなんだったのか?

 

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再び「第一段階」に立ち、苦しんでいこうと思います。