つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

役目とは、役割とは。

なぜ、生きているのか。

 

なぜ、生きるのか。

 

 

 

 

とある映画のテーマのような、ときには禅問答のようなこの問いを、ここ数日見つめています。

 

今週、札幌時代から抱えていたものごとに対して、ひとつの答えが出ました。

その答えに関しては、わかってはいたのですが、どこかで「理解したくない」「認めたくない」という気持ちが残っていました。

 

自分のこころの中で「きっと、こうだ」と考えているのと

相手から「お前は〇〇だ」と意思表示されるのとでは、現実味が大きく違います。

 

 

そのものごとは、長いあいだ抱えていました。

長かったこそ、でしょうか。いまとても無力を感じています。

 

 

そしていま、一気に見ているアニメーションがありまして。

 

それは通称「リゼロ」と呼ばれるラノベが原作のアニメーション。

内容は面白いのですが、いまのぼくには重くのしかかる内容になっています。

 

 

 

 

 

 

ぼくはなぜ、生きているのか。

ぼくが生きる、役割とはなんだろうか。

 

何かにつけ、このことを考えることがあります。

 

 

今週の大きな経験をして感じたことは、「ずっと同じ役割はほぼない」ということではないだろうかということです。

 

基本軸としては「生き抜く」というのがあると思います。

その他に、ずっと続くものというのは、ひょっとしたらないのかもしれません。

※ずっとというのは、人間が生きている時間軸で測れるものではないとの仮定です。

 

 

 

 

 

 

 

人間の気持ちとして。

このような役目・役割を持ちたいと願うことは多々あると思います。

しかし実際に、そのようになるということはまず稀であると思います。

そこには「他人」の意思などがかかわるほか、そのときの時代背景もあります。

要するに「自分ひとりではどうにもならない」環境が、そこにはあるというものです。

 

 

 

 

 

 

 

大馬鹿な話ですが。

 

自分の中の比較的長い時間軸として、「1万2千年」というくくりがありました。

今ではそれも軽蔑の対象となってしまいましたが。

小説や映画の見過ぎと言われても仕方ありませんが、その長い間ひとつのことを追いかけてきたような余韻があります。

 

しかし、それに追いつくことは結局できませんでした。

 

 

 

 

そのように自分の中で整理がついたのは、奇しくも先日主催した「噴火湾木育ひろば」を実施し、報告書等を作成した後でした。

 

ことばにはならない気づき。

それはひとつの境地だと思います。

 

短期間でも追い求めたものを手にしたとき。

違う分野で、長期間追い求めたものに対しての「結論」を得ました。

それがどのような反応を経てもたらされたものかは、正直わかりません。

しかしなぜかそれには説得力があり、納得ができるものでした。

 

 

 

 

自分が何かの役に立つ。

しかしそれは「ほんの一時」。

 

それが済めば、メリットのないものとして扱われる。

かきかたは少々乱暴ですが、現実的に書けばそのような一面を持ちます。

加えて、役目を終えるまでのあいだに「けんか」などのようなことが起きますと、その後は塩対応以上の冷めた接し方になることもしばしば。

 

モノに対してはそこまでの感情はなかなか持たないのに、いきものとなりますと大きく変わる。

人が意識する「役目・役割」は、生きることに大きく影響するものなのかなと、感じています。

 

 

 

 

何か深く思い入れのあるものに対して発動する役割や役目が、その対象となるものからは大したものではないことや、好意的に受け止めることができないとなったとき、自身の中にある大義が大きく揺らぐ。

 

そうなってしまうと、自身がいま生きているのはどうしてだろう、と閉じこもるようになる。

 

 

現代はとかく、そう思わせる風潮があるようです。

そして人は意図せずにそのような行動を相手にとってしまっています。

自分の幸せのためだとか、自分を守るためだとかで。

そのためには、相手が傷つくとかはもはやどうでもいいこと。

勝手に傷ついて、勝手に生きていってなどと言って。

それがかつて、役目を求めていた相手だったとは思いもしません

 

瞬間だけ切り取れば、それは狂気になり、凶器にもなります。

言い換えれば、「死刑宣告」のようなものです。

その考えに同調しない!と言われても、傷ついている側の心理は、絶望へ動くことを配慮しなくてはなりません。

 

そう考えると、人間関係は複雑で、とても面倒臭いものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを考えながら。

 

絶望に片足を踏み入れたぼくは、人と接することが少し怖くなりました。